第18話 兄として
「自分に……嘘?」
自分の心を守るために──そう言って、コハクが嘘をついていたのだというサリエルのに、クロは大きく目を見開いた。
見あげれば、サリエルは、とても悲しげな表情をしていた。
辺りは静寂に包まれ、その瞬間、クロが力をなくすと、もう暴れる意思を持たなくなったクロを見て、サリエルは再び話し始めた。
「死を恐れないものなどいません。それは人間も天使も同じです。あの娘も、そう。本当は怖くて怖くて仕方ないのに、無理に笑顔を作ることで、自分の心をあざむき、死を受け入れようとしていたんです。なぜだか、分かりますか? そうしないと、正気を保てなかったからです」
「……」
「ドナーなんてみつからないと思われながら、助かると思いやりの嘘をつかれ、死んでほしいと陰口をたたかれながらも、明るく未来の話をされ、嘘にまみれたあの場所で、あの子はたった一人戦ってきたんです。『どうして自分だけが、こんなに辛い思いをしなくてはならないのか』何度も思ったことでしょう。それこそ、この世を呪いたくなるくらいに……それでも、あの子はいつ止まるかわからない心臓を抱えながら、その終わりの見えない恐怖に一人で耐えていたんです。だからこそ『死を怖れない自分』でいたかった。それなのに、そんな子が必死につき続けてきた自分への嘘を――」
生きていてほしい
「君の"その言葉"が、全て突き崩してしまったんです」
瞬間、あの日、声を上げて泣き崩れたコハクの顔が過ぎった。
心臓が痛いのは、動悸が早くなっているせいか……サリエルの言葉は、まるで槍で深く深く心臓を貫かれているかのように、鋭く心に響いてくる。
「死を受け入れようとしている者に、あの言葉は、もっとも『残酷な言葉』でしたね? 決して嘘のない"本心"からの言葉でも、相手の心に寄り添えなければ、相手を傷つけます」
「……」
「余計なことをしてくれましたね。もしかしたら、あの娘は、もう天国には昇れないかもしれません」
「……え? なんで」
サリエルが苦々しげにそう言えば、クロは勢いよく顔をあげた。
「現世に未練を残せば、魂だけがそこにとどまるということは、よくあることなのです。我々の仕事は、そのような魂を救い、現世に未練を残すことなく天国に導くこと。それが、魂を看取るという本来の目的です」
「魂を……救う?」
「はい。あの娘の最期の願いは、君に『兄』になってほしいでしたね。あの娘は、死を覚悟していたからこそ、『家族』に看取られることを選び、その未練を立ちきったのでしょう。孤独に苦しむ、あの娘らしい願いですね?」
「……」
「本来なら、その願いを叶えることで、安らかな眠りにつくはずだったのですが……君のその『願い』のせいで、あの娘が、また現世に未練を残こせば、あの娘はもう、天国には行けません」
「っ……」
天国に行けない──現世に未練を残した人の魂が、人間界をさまよい続ける話は、クロも聞いたことがあった。
死してなお、何かに『執着』する強い意思をもつ魂は、人間界をさまよった挙句、悪霊になると言われていた。
(オレのせいで……コハクが……?)
顔を青くし、クロはただ呆然と何も無い空虚をみつめた。
一体今まで、コハクの何を見てきたんだろう。
生きることを、諦めたわけじゃなかった。
死を受け入れたわけじゃなかった。
本当は死にたくないのに、生きる確率が低い病だと知って、死を受け入れるしかなかったんだ。
自分に嘘をついてまで、この世の……『生きたい』という未練を立ち無きった。
それなのに、そんなコハクに
オレは───…
「オレ……どうすれば、いい?」
ボソリと呟くと、クロは助けを求めるように、苦しそうにサリエルを見上げた。
「やっと分かりましたか? 自分が、いかにあの娘の首をしめているか……未来は変わりません。あの娘は死にます。無事に天国に送りたいのなら、改めて伝えてきなさい『お前は、死ぬのだ』と──そしてまた、あの娘の『嘘の鎧』をきづく手伝いをしてきなさい」
「……っ」
生きていてほしい。
笑っていてほしい。
たとえ偽物でも、クロにとってコハクは『家族』だった。
でも、それを伝えなければ、コハクは、この世に未練を残し、人間界をさまよい続けることになる。
伝えなきゃいけない。
未来は変わらないということを—―
だけど、なぜだろう。
一週間前は、なんの躊躇いもなく伝えられたのに、今はそれが
とてつもなく――――辛い。
「嘘、つきたくなりましたか?」
「え?」
苦渋の表情を浮かべたクロに、サリエルがクロの顔をのぞき込むようにして、優しく問いかけた。
「つきたいなら、ついてもいいですよ。ただし、彼女は天国には行けず、君は消滅する。それでも、よければの話です」
「……っ」
だが、優しさの奥に見えたのは『現実を見据えろ』という、あまりにも厳しい言葉だった。
目頭がじわじわと熱くなるのを感じると、クロは、それに耐えるように、きつくきつく手を握りしめた。
サリエルは、そんなクロを見つめると
「明日の夜、人間界に戻りなさい」
「明日?」
「はい。また、心変わりしても余計なことをされても困りますからね。明日、コハクのもとに戻ったら、しっかり兄として、彼女の死を見届けてきなさい」
兄として──その言葉に、クロは初めてコハクとあった夜のことを思い出した。
『私の、お兄ちゃんになって……』
そう言ったコハクは、ホッとしたように笑っていた。
コハクが『家族に看取られて死にたい』
それが、"最期の願い"だというのなら……
「…………わかった」
クロは小さく小さく呟くと、その後ゆっくりと目を閉じた。
だがそれは、どこか覚悟を決めたような、そんな表情でもあった。
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