第17話 思いやりの嘘
「え……?」
そう言ったサリエルの言葉を、クロは上手く飲み込むことが出来なかった。
その場に座り込んだまま、ただサリエルを見つめれば、サリエルはスッと目を細め
「君には、彼女が、どのように映っていましたか? いつも笑っている"明るい娘"ですか? それとも、何を聞いても平然としている"強い娘"ですか? 死を立派に受け入れて、自分が死ぬことなんて全く恐れていない。そんな娘に見えていましたか?……もし、そう思っていたのなら、実に愚かなことです」
「…………」
まるで心臓を、えぐられているようだった。
何もかも見透かすかのような深いアメジスト色の瞳をのぞかせて、たんたんと放つサリエルのその言葉は、まさにクロが見てきた、コハクそのものだった。
「あの子はね、ずっと嘘をつき続けてきたんですよ、自分自身に」
「……え?」
「自分の心を守るために、自分に嘘をついていたんです」
17. 思いやりの嘘
◇
【7月6日】
浅羽コハクが死亡するまで、あと──1日。
◇
鏡ヶ丘総合病院。
午後10時をすぎ、消灯時間を迎えた一階のロビーには、非常灯の小さな灯りが等間隔に点灯しているだけで、ほんのりと不気味な雰囲気が漂っていた。
そして、そんな薄暗いロビーに、男性の足音が一つ。
コツコツと規則的な音を響かせながら廊下を歩いていたのは、コハクの主治医である藤崎だった。
「あれ?」
二階のナースステーションに戻ろうとエレベーターの前に立った藤崎。だが、ふとロビーにいる人物に気づき、藤崎は、その行き先を変えた。
「コハクちゃん?」
そこにいたのは、コハクだった。
パジャマ姿に、白のカーディガンを羽織ったコハクは、たった一人で、七夕飾りの前に佇んでいた。
「びっくりした。どうしたんだい? こんな時間に」
昨日、外で泣いていたと聞いてから、丸一日。看護師にきけば、今日は特に変わりなく過ごしていたと、藤崎は聞かされていた。
コハクを見れば、こよりのついた短冊を一枚、背伸びをしながら、笹に結びつけていて、藤崎は笹をみあげながら問いかける。
「もう就寝時間は過ぎてるよ。なにか、願い忘れたことでもあったのかな?」
明日の朝には、この笹を外に立てかけることになっていた。藤崎は、そのことを思い出すと、よほど願いたいことがあっただろうと、コハクが結びつけた短冊に視線を移した。だが
「……え? コハクちゃん……なに、この願いごと?」
その短冊に書かれたコハクの願い事をみて、藤崎は目を丸くした。
するとコハクは
「あのね、先生。私、短冊にかいた願いごとを、神様に叶えてもらったこと一度もないの」
「……」
「私の両親、五年前に事故で死んじゃって『家族と、ずっと一緒にいられますように』って書いた、そんな些細な願いですら、神様は叶えてくれなかった」
コハクは、当時のことを思い出すと、その瞳に涙を滲ませた。
不慮の事故だったらしい。両親が乗った車に、トラックが突っ込んできたらしい。
幸せだった日常は、一瞬にして消え去り、大切な家族は、あっという間にいなくなった。
「やっぱり、私みたいに、神様を信じてない人間の願いなんて、叶えてくれないかな?」
「コハクちゃん?」
悲しげに呟いたコハクの言葉をきいて、藤崎が心配になり声をかけた。
だが、コハクは、キュッと心臓の辺りを握りしめると
「先生……! 私、藤崎先生には、とてもとても感謝してます。藤崎先生だけは、嘘をつかずに、全部本当の事、話してくれた気がするから……!」
それが、みんなからの”優しさ”だとはわかっていた。
”思いやりの嘘”だとは理解してた。
だけど──
『大丈夫、きっとよくなるわ!』
『治ったら、遊園地に行きましょう』
『ドナーなんて、すぐに見つかるさ』
『心配しないでね!』
だけど、不安に不安を上塗りするように、嘘の言葉を並べられても、全く不安なんて消えなかった。
知りたかったのは、そんな"いい加減な言葉"じゃなくて、残酷でもいいから、今の確かな現状が知りたかった。
しっかりと向き合ったうえで、未来の話をしてほしかった───
「ありがとう、先生。私の担当の先生が藤崎先生で……本当によかった……っ」
するとコハクは、ありったけの感謝の気持ちを伝えると、藤崎にむけ頭を下げた。
「コハクちゃん、どうしたの?」
いつもと違うコハクの様子に、藤崎は困惑する。だが
「うんん……ねぇ、先生! 明日の七夕、晴れるかな?」
すると、コハクはまた短冊を見つめ、笑った。
その、いつもどおりのコハクを見て、藤崎は、小さく小さく安堵すると
「そうだね。きっと晴れるよ。明日は天気も良いみたいだし、天の川も綺麗に見れるんじゃないかな?」
藤崎も、コハクと共に目の前の七夕飾りを見上げる。
そこは、たくさんの願いごとで溢れていた。
明日は、7月7日。
星に、神様に――――願いを届ける日。
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