第17話 思いやりの嘘


「え……?」


 そう言ったサリエルの言葉を、クロは上手く飲み込むことが出来なかった。


 その場に座り込んだまま、ただサリエルを見つめれば、サリエルはスッと目を細め


「君には、彼女が、どのように映っていましたか? いつも笑っている"明るい娘"ですか? それとも、何を聞いても平然としている"強い娘"ですか? 死を立派に受け入れて、自分が死ぬことなんて全く恐れていない。そんな娘に見えていましたか?……もし、そう思っていたのなら、実に愚かなことです」


「…………」


 まるで心臓を、えぐられているようだった。


 何もかも見透かすかのような深いアメジスト色の瞳をのぞかせて、たんたんと放つサリエルのその言葉は、まさにクロが見てきた、コハクそのものだった。


「あの子はね、ずっと嘘をつき続けてきたんですよ、に」


「……え?」


に、自分に嘘をついていたんです」









 


 17. 思いやりの嘘


 









 【7月6日】


 浅羽コハクが死亡するまで、あと──1日。



 



 鏡ヶ丘総合病院。


 午後10時をすぎ、消灯時間を迎えた一階のロビーには、非常灯の小さな灯りが等間隔に点灯しているだけで、ほんのりと不気味な雰囲気が漂っていた。


 そして、そんな薄暗いロビーに、男性の足音が一つ。


 コツコツと規則的な音を響かせながら廊下を歩いていたのは、コハクの主治医である藤崎だった。


「あれ?」


 二階のナースステーションに戻ろうとエレベーターの前に立った藤崎。だが、ふとロビーにいる人物に気づき、藤崎は、その行き先を変えた。


「コハクちゃん?」


 そこにいたのは、コハクだった。


 パジャマ姿に、白のカーディガンを羽織ったコハクは、たった一人で、七夕飾りの前に佇んでいた。


「びっくりした。どうしたんだい? こんな時間に」


 昨日、外で泣いていたと聞いてから、丸一日。看護師にきけば、今日は特に変わりなく過ごしていたと、藤崎は聞かされていた。


 コハクを見れば、こよりのついた短冊を一枚、背伸びをしながら、笹に結びつけていて、藤崎は笹をみあげながら問いかける。


「もう就寝時間は過ぎてるよ。なにか、願い忘れたことでもあったのかな?」


 明日の朝には、この笹を外に立てかけることになっていた。藤崎は、そのことを思い出すと、よほど願いたいことがあっただろうと、コハクが結びつけた短冊に視線を移した。だが


「……え? コハクちゃん……なに、この願いごと?」


 その短冊に書かれたコハクの願い事をみて、藤崎は目を丸くした。


 するとコハクは


「あのね、先生。私、短冊にかいた願いごとを、神様に叶えてもらったこと一度もないの」


「……」


「私の両親、五年前に事故で死んじゃって『家族と、ずっと一緒にいられますように』って書いた、そんな些細な願いですら、神様は叶えてくれなかった」


 コハクは、当時のことを思い出すと、その瞳に涙を滲ませた。


 不慮の事故だったらしい。両親が乗った車に、トラックが突っ込んできたらしい。


 幸せだった日常は、一瞬にして消え去り、大切な家族は、あっという間にいなくなった。


「やっぱり、私みたいに、神様を信じてない人間の願いなんて、叶えてくれないかな?」


「コハクちゃん?」


 悲しげに呟いたコハクの言葉をきいて、藤崎が心配になり声をかけた。

 だが、コハクは、キュッと心臓の辺りを握りしめると


「先生……! 私、藤崎先生には、とてもとても感謝してます。藤崎先生だけは、嘘をつかずに、全部本当の事、話してくれた気がするから……!」


 それが、みんなからの”優しさ”だとはわかっていた。


 ”思いやりの嘘”だとは理解してた。


 だけど──


『大丈夫、きっとよくなるわ!』

『治ったら、遊園地に行きましょう』

『ドナーなんて、すぐに見つかるさ』

『心配しないでね!』


 だけど、不安に不安を上塗りするように、嘘の言葉を並べられても、全く不安なんて消えなかった。


 知りたかったのは、そんな"いい加減な言葉"じゃなくて、残酷でもいいから、今の確かな現状が知りたかった。


 しっかりと向き合ったうえで、未来の話をしてほしかった───


「ありがとう、先生。私の担当の先生が藤崎先生で……本当によかった……っ」


 するとコハクは、ありったけの感謝の気持ちを伝えると、藤崎にむけ頭を下げた。


「コハクちゃん、どうしたの?」


 いつもと違うコハクの様子に、藤崎は困惑する。だが


「うんん……ねぇ、先生! 明日の七夕、晴れるかな?」


 すると、コハクはまた短冊を見つめ、笑った。


 その、いつもどおりのコハクを見て、藤崎は、小さく小さく安堵すると


「そうだね。きっと晴れるよ。明日は天気も良いみたいだし、天の川も綺麗に見れるんじゃないかな?」


 藤崎も、コハクと共に目の前の七夕飾りを見上げる。



 そこは、たくさんの願いごとで溢れていた。


 明日は、7月7日。


 星に、神様に――――願いを届ける日。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る