第13話 嘘偽りなく
「俺は、死んでほしくない」
喉をついて出たその言葉は、紛れもない”本心”だった。素直に、嘘偽りなく言った言葉だった。
「オレは、コハクに、死んでほしくないッ」
「……ッ」
コハクの肩を掴むと、オレはまっすぐにその瞳を見つめて、今の思いを正直に伝えた。
自分でも、ダメだと思った。
オレは、コハクを看取りに来た。
それなのに、一度言葉に出てしまえば、それは、もう抑えることができなかった。
「コハク! なんで、死ぬこと簡単に受け入れてんだよ!! まだ、諦めるなよ! オレは、オレはコハクに、生きていてほしい……っ」
ただ微動だにしないコハクを見つめて、必死に訴えた。するとコハクは
「なに……言ってるの、クロ……嘘、ついちゃダメなんでしょ?」
そう言って、不安げに表情を歪めた姿をみれば、ひどく困惑しているようだった。
分かってる。
オレだってわかってるんだ。
オレの役目は、コハクを”看取る”ことで『生きていてほしい』なんて、そんなこと思ってはダメで、だけど、コハクと過ごすうちに『死なせたくない』と思うようになった。
いつまでも笑って、生きていてほしい。
そう思うようになった。
遊びでも、ニセモノでも、オレはいつしかコハクを、本当の『家族』のように思うようになっていた。
「死ぬなよ、コハク……っ」
「っ……」
その言葉を最後に、辺りは静寂に包まれた。
頬を切るように風が吹きぬければ、それは、ザワザワと緑を揺らし、一面に響かせる。
天使にとって、死ぬはずだった人間の”未来”を変えることは、本来ならあってはならないことだった。
神様が決めた”運命”を変えることは、神様に逆らう行為で、それは同時に「大罪」を犯すということ。
だけど――
「オレなら……できるかも……っ」
「……え?」
「オレなら、コハクのこと助けられるかも!」
コハクみたいないいやつが、コハクみたいに優しいやつが、死んでいいはずがない。
ただただ、そんな思いだけが、なだれ込むように大きくなって、オレはコハクの肩を掴んだ手に無意識に力をこめた。
神様は、なんでコハクを選んだんだ?
まだ、13歳。本当は、やりたいことも、叶えたい夢も、たくさんあったはずなんだ。
だから、今ここで少しでも”延命”できれば、いつか、この先の未来で、助かる日が来るかもしれない。
ドナーが見つかって、病気が治って、コハクが笑顔で、この病院を出ていく日が、来るかもしれない。
だから――
「…………な、んで」
「え?」
だけど、その次の瞬間、聞こえてきたのは、コハクの少し掠れた声だった。
見れば、コハクは目にあふれそうなほど、涙を浮かべていて
「コハク……?」
「なんで、そんなこと言うのッ!?」
「ッ……!?」
ベンチから立ち上がり、オレを見下ろし、コハクが叫ぶ。
「っ……なんて……なん、で……ぅ、うぅ……うッ」
瞬間、糸が切れたようにその場に座り込んだコハクは、必死に顔を隠しながら、しゃくりあげるように泣き始めた。
その度に、頬や腕には大粒の涙が伝って、オレはその涙を見つめながら、呆然とする。
「コ……ハク……?」
意味が、わからなかった。
なんで、泣いてるのか?
なんで、悲しそうなのか?
なんで、そんなに傷ついたような顔をしているのか?
(なんで、オレは―—)
嘘なんて、ついてないのに……っ
◇
◇
◇
天上界、とある部屋の一室では、ラエルはサリエルから頼まれた資料を一冊一冊、丁寧に本棚に戻していた。
天井高くまで積み上げられたそれは、まさに本や資料の山。
書庫と呼ぶにふさわしいその部屋は、とても狭く、そしてどこか埃っぽかった。
(これが、終わったら、クロの様子を見に行ってみるか……)
そんな中、ラエルは手にした本をあった場所に戻すと、ふとクロのことを考える。
『天使の監視役』とも言われるラエルは、規律に厳しいという一面も持つが、仲間にはそれなりに愛情深く接する、良き天使でもあった。
その上、サリエルの側近というだけあり、その仕事ぶりは実に見事なもので、特に、看取りの仕事に関しては、どんな人間も確実に天国へと導く。
それ故に、サリエルからの信頼も厚く、 また、ラエルにとってもサリエルは目標となる偉大な人物でもあったため、二人は良き上司と部下として、良好な関係を築けていた。
「ラエル」
「……!」
だが、手にした本を全て元に戻し、軽く肩を鳴らした瞬間、いきなり扉が開いた。
見ればそこには、三つ編みにした銀色の髪を横にながし、いつものように柔らかく微笑むサリエルの姿があった。
「サリエル様? どうなされたのですか、わざわざ、こんなところまで」
いつもと変わらない穏やかな雰囲気のサリエル。だが、その珍しい行動にラエルは首を傾げた。
基本、サリエルは自分の仕事部屋からは、あまり出てこない。
それに、小間使いになる天使は他にもいるし、わざわざ、こんな倉庫のような部屋まで、自ら来ることはない。のだが……
「ラエル、今すぐここに、クロを連れて来てください」
「…………」
その後、笑顔を崩さず、少し低い声で放ったサリエルの言葉に、ラエルはじわりと汗をかいた。
「いいですか。今、すぐにです」
あぁ、これはかなりお怒りだ!
いつも通り笑顔だけど、とてつもなくご立腹だ!!
「ぁ、あの、クロは一体……何を……?」
どうやら、原因はクロだろう。そう思ったラエルは、その怒りの発端となったクロの事を問いかける。だが、サリエルは
「聞きたいですか?」
「いえ! 畏まりました! 今すぐクロを連れて参ります!!」
にっこりと笑顔で。だが、その笑顔に、なんともいえない威圧感を感じとったラエルは、いち早く逃れるべく、そそくさと退散する。
あのサリエルが、わざわざこんな部屋にまでやってくるなんて、よほどの急用に違いない。
ラエルは、サリエルに一礼したあと、部屋から出ると、廊下に面した大きな窓から、バサリと翼を羽ばたかせ、空へと舞い上がった。
(……クロの奴、一体何をしたんだ?)
そして、クロを連れて帰った後のことを考え、ラエルは深く深くため息をついたのだった。
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