第20話 最期の夜


 消灯時刻を過ぎた病院の中は、シンと静まり返っていた。


 コハクが死ぬまで、あと48分。びょしつに入ると、その後、看護師が見回りに来て、起きていたコハクに声をかけたけど、コハクはいつもどおりの会話して看護師を見送った。


 いつもと変わらない夜。

 それは本当に、静かな夜だった。


「あのね、クロ」


 看護師を見送って暫くして、コハクが、ベッドに横になったまま、そばに座るオレに声をかけた。


 カーテンを閉めていない窓からは月の明かりが差し込み、薄暗い病室を唯一照らすその光は、コハクをより一層、儚げにみせた。


 オレは、コハクの顔をのぞきこむようにして見つめると、コハクは申し訳なさそうに笑って


「あのね、クロ。本当は、"あの言葉"ずっと"家族"に言ってほしかったの。でも、私の家族は事故で死んじゃって、新しい家族には、煙たがれてて……嘘じゃなく本心から、生きていてほしいって言ってほしかった」


 それは、死を受け入れていたコハクを更に追い詰めてしまった、オレの言葉。


 コハクの気持ちに寄り添えず、言ってしまった言葉。だけど、コハクは


「嬉しいはずだったの。うんん、嬉しかった……でも、クロと一緒にいると、私まだ死にたくないって思うようになっちゃって……そうおもったら、余計に死ぬのが怖くなって……ッ」


 次第に声がかすれ始めて、月明かりに反射するその瞳には、涙が滲んでいるのが分かった。


「ドナーが、見つかれば治るって言ってたの。だけど、どれだけ待っても見つからなくて、このまま、ずっと病院の中にいて、いつか死ぬ時が来たら、誰にも気づかれずに一人で死んでいくのかなって思ったら、それがたまらなく、怖くて、辛くて、苦しくて……」


 吐き出される言葉が、とても耳に痛かった。だけど、きっとこれが、自分に嘘をついていない本当のコハクで


 オレは、涙を堪えるコハクの手に触れると、その細い手を、そっと両手で包むように握りしめた。


 すると、コハクは一瞬驚いた顔をして、だけど、どこか安心したように、またオレに笑いかけてきた。


「時々ね、すごく不安になって眠れない時があって、あの日も、そんな日だったの。クロがきてくれた日。嬉しかった、私を看取りに来たって言ってくれて……私、最期一人じゃないんだって思ったら、なんだか、すごく安心したの」


「……」


「それなのに私、クロに酷い事言っちゃったね。ごめんね、ごめん。ごめんなさい。クロは何も悪くないのに……っ」


 繰り返される、ごめんの言葉に、握りしめた手に自然と力がこもった。


 コハクは悪くない。悪いのは全部オレだ。


 オレが、コハクの気持ちを、全く理解してなかった、オレのせい……


「なんで、お前が謝るんだよ、悪いのは」


「……謝るよ。死んじゃったら伝えられないもの。『ごめんね』も『ありがとう』も──」


 謝ろうとしたオレの言葉を遮って、コハクがオレの手を握り返した。


「ありがとう、クロ。『生きていて欲しい』っていってくれて、一週間ずっと傍にいてくれて、私のお兄ちゃんになってくれて、ありがとう……ありがとう、私……クロと一緒にいられて、幸せだった……っ」


 コハクがそう呟けば、その表情に自然と目頭が熱くなった。


 オレの手を優しく握り返すコハクの手は、とても温かくて、この温もりが、もう時期なくなるのかと思うと、悲しくて、辛くて仕方なかった。


「最期に、ちゃんとお話出来てよかった。クロ、私ね、もう大丈夫だよ……もう何も、思い残すことはないよ」


 ──もう、何も。


 もしかしたらこの言葉も、自分の心を守るための嘘なのかもしれない。


 いや、きっとコハクは、今オレのために嘘をついてくれてる。


 本当は、まだやりたいことが、たくさんあったんだ。


 学校に行って、勉強したかったかもしれない。


 友達と遊んだり、もっと遠いどこかに出かけて、思い出をたくさんつくりたかったかもしれない。


 恋だってしたかったかもしれない。


 なりたいものや、叶えたい夢だって、たくさんあったかもしれない。


 だけど、例え大丈夫じゃなくても、本当は怖くてもしかたなくても、家族オレが悲しまないように、コハクは今、笑って「大丈夫だよ」と、嘘をついてくれてる。


 もう、思い残すことはないと、嘘でも『死』受け入れようとしてる。


 なら、俺が今できることは、コハクの覚悟うそを、しっかりと受けとめること。


「コハク……お前は、もうすぐ死ぬ。だけど、絶対にお前を一人で死なせたりしないから……最期までずっと、側にいるからな」


「……っ」


 瞬間、コハクの瞳から涙が流れた。


「ぅん……っ」


 小さくうなづいて、ぎゅっと手を握りしめられて、その手を伝って、コハクの不安とか恐怖とか、そんな感情が一緒に流れこんでくるようだった。


(……俺が、死亡日時なんて教えたからだ)


 心臓が止まるのは、痛いのだろうか?

 どれだけ苦しむのだろうか?


「死」という未知の恐怖が刻刻と迫りくるそれは、死亡時刻を知っているだけに、必要以上に恐ろしく感じた。



 ◇


 ◇


 ◇



 それから、数分が経ち、時間が進むにつれて、コハクの手が震え始めた。


 病室はただ静かなまま、時計の音だけが響いていて、その音が更にコハクを追い詰める。


 俺は、震える手を更に強く握りしめると、次第に自分の視界が霞み始めていたのに気づいた。


 涙だと分かった。


 コハクを思うと、今にも涙が溢れそうだった。だけど、今オレが取り乱せば、コハクが心配する。


 そう思うと、必死に下唇をかみしめた。


「コハク、もう眠れ。目が覚めたら、そこは」


 ────天国だから。


 そう囁けば、コハクは、そっと視線を移して、病室の時計に目を向けた。


 時刻は、23時半を過ぎていた。

 残り時間は──もう、22分。


「そっか……もう、お別れなんだね」


 今にも消そうな声で


「できるなら、また会いたかったな、クロに……っ」


 そう言って、涙ながらに笑った顔を見て、必至にこらえていた涙が溢れそうになった。


 会えるわけがない。


 俺は天使で、コハクは人間で、種族も生きる世界も違う自分たちは、それぞれ別々の世界に帰る。


 会えるわけない。もう二度と。


 だけど……



「……会えるよ」


「……え?」


「会えるよ……、いつかまた……絶対に、会えるから……ッ」


 震えるコハクの手を必死に握りしめて、必至に言葉を放った。


 するとコハクは、一度大きく目を見開いたあと、綺麗に笑って


「ぅん……ありがとう、クロ……っ」






 ───嘘でも、嬉しい。







 そう言って、泣きながら笑っていった言葉を最後に、コハクは眠りにつくと、予定の時刻の少し前に少しだけ苦しんだあと、眠ったままゆっくりと息を引き取った。


 そしてオレは、その手が次第に冷たくなるのを感じながら


「っ、ぅ……ごめん、ゴメン……ッ」


 ただひたすら、謝り続けた。


 あふれた涙は止まらなくて、頬を伝う雫は、ゆっくりと輪郭にそって、真っ白なシーツの上に流れおちる。


「ッ……ごめん、コハク……っ」


 今まで、こんなに涙を流したことなどなかった。


 だけど、どんなに泣いても

 どんなに声をあげて謝っても


 もう—―――運命が変わることはない。



「ごめん……コハクッ」



 それは、コハクと出会って7日目の夜。


 オレはこの日、最後の最後で


 初めてコハクに






 ───────嘘をついた。



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