エピローグ
「いい加減にしてくれませんか?」
その頃、書類を手にコハクがサリエルの仕事部屋に訪れると、その広々とした部屋の奥で、珍しく荒んだ声をあげるサリエルが目に入った。
いつもと違うその様子に、コハクがおずおずとサリエルを見つめると、どうやらサリエルは、その前にいる"天使の女性"と、言い争いをしているようだった。
「少しくらい手伝ってくれてもいいでしょう。うちは、もう手がいっぱいなの!」
「だから、うちも手がいっぱいなんですよ。大体、うちは"未練を残しそうな魂"専門なんです。大往生して、とっとと天国にいけそうな魂は、そちらで何とかしてください」
いつものにこやかな表情。だけど、あまり笑っているとは言いがたい引きつった笑顔。
どうやらサリエルは、その女性と仕事の話をしているらしかった。
たぶん、看取りにいく魂の話だろう。
一日に、どれだけの生き物が亡くなるのかはわからないが、それは人間だけにとどまらず、動物まで合わせたら、かなりの数だと思う。
(そういえば、ラエルさんが言ってたっけ?)
すると、コハクは数日前、ラエルから聞いた話を思い出した。
サリエルとラエルが行っている仕事は、大きくわけて二つ。まず一つ目に
『未練を残し、天国に昇れないおそれがある人間界の清い魂を、未練なく導き、看取ること』
そして、二つ目に
『天界で罪を犯した天使を見つけ、裁きを下すこと』
その二つの仕事を、サリエルが中心となり、行っているようだった。
(看取る仕事だけじゃなくて、警察署と裁判所の仕事も一緒にこなしてる感じなのかな? 大変そう……)
目の前で揉めているサリエルの姿を改めて凝視して、コハクは手にした書類をキュッと握りしめた。
だが、このまま立ち尽くしているわけにもいかず、コハクは意を決して歩き出すと
「サリエルさん!」
思い切って声をかければ、サリエルは女性との話を中断し、コハクの前に歩み寄ってきた。
「どうかしましたか?」
「あの、これ頼まれた書類です」
「あぁ、ありがとうございます。では、代わりにこちらの本を、書庫に持って行ってください」
書類と入れ替わりに本を手渡され、まるで『早く立ち去りなさい』とでも言うように、背中を押された。
だが、その瞬間──
「まぁ、もしかして、この子。神様に気に入られたていう人間の女の子って!」
なんと、その横にいた天使の女性が、サリエルを押しのけ、コハクの前に割り込んできたのだ。
まるで珍しい物でも見るように、目を輝かせる女性。そのあまりの迫力に、コハクは唖然とする。
「へー、人間だったって本当なのね、髪の色が天使とは少し違うわ。ねぇ、あなた名前はなんというの?」
「え?……コ、コハクです」
「そう、コハクちゃん! あなた、よっぽど神様に気に入られたのね。本来なら人間が天使に生まれ変わるなんてありえないのよ!あ、そうだわ! ねぇ、あなた私のところに来なさいな!」
「え?」
「サリエルの所じゃなくて、うちに来なさい
。こんな悪徳天使の所にいたら、どんな仕事をさせられるかわかったものじゃないわ。でも、うちなら女の子も多いし、きっとあなたも気に入ると思うの! ね!そうしましょう!」
「あ、あの……っ」
「うちの子、引き抜くのやめてもらえませんか」
すると、いきなりコハクの手を取り語り出した女性をみて、珍しくサリエルが低い声を発した。
その顔に、いつものような笑顔はなく、どこか怒っているような、そんな表情。
「コハクは、まだ天上界に来たばかりで、この世界のことを知りません。右も左も分からないこの子に、変なこと吹き込むのはやめてください」
「変なこと? 私はこの子のために言ってるんじゃない。だいたい、あなた自分の仕事が、どんな仕事か分かってるの? 天使を裁き、その命を奪う仕事。あなたの手はいつも仲間の血で穢れてるじゃない。そんな穢れた仕事、この子にさせるつもり? こんな所にいたら、せっかく天使に生まれ変わってきたこの子の魂も、あなたと同じように穢れてしまわ」
「…………」
固く口を閉ざし、ただただ、その言葉に耳を傾けていたサリエルは、その後、悲しそうに目を細めた。
──穢れた仕事。
そう言われても仕方なかった。実際に自分の手は、たくさんの仲間の命を奪ってきたから。
「ね、うちにいらっしゃい。歓迎するわ!」
すると、天使の女性は、再びコハクの手をとり語りかけ始めた。
どうしたいかは、コハクが決めること。
だからか、その後サリエルが、言葉を挟むことはなかった。
だが──
「嫌です」
瞬間、ハッキリと。それでいて、まっすぐに女性の目を見て言ったコハクの言葉に、女性はもちろん、サリエルも目を見開いた。
「私は、サリエルさんが穢れてるなんて思いません。サリエルさんは、とても優しいし、私たちのことを、よく考えてくれています。それに、例えどんな仕事でも、人の仕事をそんなふうに侮辱するような人とは、一緒に働きたくありません。お誘いは嬉しいですが、お断りします」
「「…………」」
ポカンと、大人二人が口を開けて凍りつく。
その子供らしからぬ言動に、二人はしばらく硬直すると
「そ、そうね……ごめんね、サリエル。言い過ぎたわ」
そう言って謝った天使の女性は、すこしバツが悪そうな顔をして、逃げるように部屋から出ていった。
すると、コハクは
「信じられない! あの人、本当に天使ですか!?」
「ぷ、ははっ!」
女性の天使らしからぬ言動に、コハクが怒りの声をあげると、その横でサリエルが、こらえきれず笑い出した。
「あんな言い方ってありますか!? 天使って、もっと心優しい人ばかりだと思ってました……って! サリエルさん、なに笑ってるんですか!?」
「いぇ、すみません。ちょっとツボに入ってしまって」
口元を押さえ、肩を震わすサリエルは少し涙目で、コハクは、そんなにおかしなことを言ってしまったのかと、顔を赤くする。
「あの、私……なにか、変なこと言いました?」
「いいえ、むしろスカッとしました」
すると、いつものような柔らかな笑みを浮かべて、サリエルはコハクの頭をなでる。
「神様が、君の願いを叶えたくなった気持ちが、少しわかった気がします」
「?」
サリエルが微笑めば、コハクはキョトンと目を丸くする。
「サリエル!!!」
だが、そこに、叫ぶような声が響いた。
コハクとサリエルが、部屋の入口に目を向ければ、扉を開けるなり入ってきたのは、クロ。
コハクは、それをみて、サリエルの横から明るく声をかける。
「クロ! いらっしゃい!」
「あ、コハク……」
こちらに向けて手をふるコハク。それを見て、クロはグッ吐息をつめた。
そこには、あの日と同じ、背中に天使の羽を生やしたコハクの姿があった。
正直、羽が生えている姿は、まだ見慣れないからか、少し変な感じがした。
そういえば、先日「家族でいてくれる?」なんて言ってきたけど
あれは、兄としてなのだろうか?
それとも、別の意味だろうか?
クロは、まだ、その返事を返せていない。
「あのね、クロ! 私、サリエルさんの所で働くことになったの!」
「はぁ!? お前、コイツの仕事分かってんのか? つか、大丈夫か!?」
「大丈夫だよ。サリエルさん、とっても優しいし!」
「いや……お前、本当に大丈夫か?」
いつの間に、ここまで懐柔されたのだろうか。想像以上に懐いているコハクを見て、クロはサリエルに疑惑の目を向けた。
正直、一度処刑されかけたクロからしたら、サリエルはまた少し胡散臭い。
だが、クロには手厳しいサリエルやラエルも、不思議とコハクには優しいようで、それに、短冊にお礼を書いていた時のことを思えば、コハクがサリエルに懐つくのは、当然のことなのかもしれない。
「それより、オレに何か用か?」
すると、当初の目的を思い出したのか、クロが、サリエルに要件を問いただし始めた。
部屋の入口から、サリエルの前まで移動する。だが
「クロ、お前はこっちだ」
「わ!?」
その瞬間、背後に現れたラエルが、クロの襟首を引っ張った。
数枚の書類を持ち、いつもとは違いメガネをかけているラエルは
「今から、筆記試験を行う。お前は、あっちの部屋で試験を受けろ」
「ひ、筆記試験!??」
ちょっとインテリ風になったラエルに、訳もわからないことを言われ、クロは目を丸くする。
「筆記試験て、なんだよ!?」
無理もない。クロには、全く身に覚えがなく。何より、クロは勉強が嫌いなのだ。
それなのに……
「私のもとで働くための入団試験ですよ」
「は?」
だが、ダラダラと汗を流すクロを見て、サリエルが答えた。
いつもと変わらず、ニッコリと笑うサリエル。だが、クロには全く笑えない。
「にゅ……入団試験?」
「はい。君、仕事につけず、天使を騙しながら生計をたてていましたよね。最近は詐欺まがいのことまで始めて、目にあまる勢いだったので、君の身柄を、私が引き取ることにしたんです。ちなみに、コハクの事も、今後私が面倒見ることになりました。なので、二人ともこれからは私の元で一緒に暮らしなさい。部屋ならいくらでもありますから」
「…………」
まるで寝耳に水な話に、クロはサリエルを見つめたまま立ちつくした。
え? なんだって? 一緒に……暮らす?
「はぁ!? なんで、そんなこと勝手に決めてんだよ!! オレの意思は!?」
「ありません。まぁ、いいではありませんか、家もなく、野良猫みたいな生活をしている君に、こんなに立派な
「は?」
「まー、大罪は犯しそうになるし、看取る相手に情は移すし、実技試験の結果は最悪だったのですが、私も考えが甘かったようですし、神様にも許していただけたので、今回は、筆記試験だけで勘弁してあげようと……」
「ちょ、ちょっとまて!! なんで勝手に実技試験なんて!? じゃぁ、もしかして、嘘をついたら消滅って、あれは嘘なのか?」
「いえ、それは本当です。君、かなり恨みをかってましたからね。もし、更正の見込みがない場合は、問答無用で消滅さてました」
「!?」
たんたんと発さられる言葉に、クロは唖然とする。すると、そんなクロをみてサリエルは再びにこりと微笑むと
「つまり、君は生死かけた入団試験を受けさせられていたんです。良かったですね、消滅せずにすんだうえに、仕事まで決まるんですから」
もはや、言葉も出なかった。
勝手に試験を受けさせられていたうえに、更生の見込みがなければ、消滅!?
そんな理不尽な就職試験、聞いたことがない!
「いいですか、二人とも。私の仕事の一つは、天使の罪を暴き裁くこと。高い"演技力"で嘘をつくのが上手なクロと、自らの心にすら嘘をつき、どんな時も"ポーカーフェイス"を貫くコハク。君たちのような嘘つき天使は、スパイや潜入操作を行うのに、とても適しています。君達には、これから私の元で、たくさん働いてもらいますから、覚悟しておいてくださいね?」
とてつもなく爽やかな笑顔でそう言ったサリエルの言葉に、クロとコハクは、二人同時に目を合わせた。
これから、一緒に暮らすのは分かった。
サリエルの元で働くのも、なんとなく分かった。
だけど───嘘つき天使??
「えぇ!? ちょっと待ってください!! なんで私まで、クロと同じ"嘘つき扱い"されてるんですか!?」
「てか、色々勝手すぎるだろ!? コハクはともかく、サリエルと一緒に暮らすなんて絶対嫌だ!!」
ここは天上界──
その広間には
天使たちの声が高らかに響く。
あの夜──
死にゆく少女を前に
少年がついた
最後の"優しい嘘"は
少女の心を変え
神の心を動かし
最終的に
未来を変えた。
そして
孤独だった、少年と少女は
その後
新たな仲間たちとともに
再び、未来を歩みはじめる。
嘘が得意な少年と
天使に生まれ変わった人間の少女
この二人の物語は
まだ、始まったばかり。
-End?-
嘘つき天使の一週間 雪桜 @yukizakuraxxx
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