第25話 君たちが生きる未来


「藤崎先生~」


 鏡ヶ丘総合病院──


 夏の日差しが眩しい8月上旬。医務室の机に向かい仕事をしていた藤崎の元に、看護師の女性が声をかけにきた。


「はい、どうしたの?」


「あの、七夕飾りをそろそろ片付けようかと思いまして、藤崎先生、手伝ってもらえますか?」


 病院のロビーには、まだあの日、立てかけられた七夕飾りがあった。


 7月7日の七夕の日。外に一日だけ立て掛けたそれは、雨風にさらされないようにと、次の日には、またロビーに戻ってきた。


 あれから一ヶ月。ロビーを華やかに彩ってくれたそれも、そろそろ片付ける時期がやってきたらしい。


 藤崎は、その後、快く承諾すると、医務室をでてロビーに向かった。


 すれ違う患者たちに、軽く声をかけながらも、エレベーターに乗り一階につくと、ロビーの奥で、少しだけほっそりとした七夕飾りが目に入った。


 その前につくと、藤崎は今年はもう見納めになるであろう七夕飾りをゆっくりと見上げる。


 そこには、たくさんの『夢』があった。


 『サッカー選手になりたい』

 『アイドルになりたい』


 そんな、子供たちの夢から


 『宝くじが当たりますように』

 『試験に合格できますように』


 そんな大人たちの夢まで。

 そして、ここが病院だからかもしれない。


 『病気が早く治りますように』


 そんな病を抱えた患者や、その家族からの願いも、たくさんあった。


 藤崎たちは、そんな人達の『願い』を叶えるために、毎日、手を尽くしていた。


 だけど───


「コハクちゃん……」


 ふと、自分が担当していた少女のことを思い出して、藤崎は目を細めた。


 初めて、コハクがこの病院に来たのは、小学一年生の時、学校で受けた心電図の検査で引っかかり、精密検査を受けに来たのが始まりだった。


 当時はまだ、本当の両親が健在で、コハクの両親は、それはそれはコハクのことを心配していた。


 なんとか、娘を救って欲しい──そう、泣きながら頼まれた。


 病気が分かってからは、何度と通院や入院を繰り返して、それでも自宅で両親と過していた。


 コハクはとても明るくて、いつもニコニコ笑っている子だった。


 七夕前に診察にくれば、短冊に願い事を書いていては、それを藤崎にみせてくれていた。


 『早く、病気が治りますように』

 『家族とずっと一緒にいられますように』


 他にも、今やりたい事や将来の夢など、コハクの短冊は、夢と希望に満ちていた。


 そんな切実な願いに、この子の病気が早く治るように、出来るだけ早く『普通の生活』を取り戻せるようにと、藤崎は出来る限りのことをしようと思っていた。


 だけど、ある時を境に、コハクは、ぱったりと病院に来なくなった。


 心配になり電話をしても連絡先が変わったいて、両親とは話せず、てっきり転院でもしたのかとおもった。


 だが、それから数年して、またコハクが病院にやってきた。


 小学5年生の時、学校で倒れて、救急車で運ばれてきたのだ。


 そして、藤崎はその時初めて、コハクの両親が事故で亡くなり、今は叔父の元に引き取られていることを知った。


 病状は悪化していて、今すぐにでもドナーが必要だった。だけど、血液型が珍しいコハクのドナーは、そう簡単には見つからなかった。


 義理の両親は、自宅では見れないからと、入院をお願いしてきて、それからは、まるで取り残されたように、コハクは病院の中で一人で過ごすようになった。


 年の近い子が、患者として入院してきても、いつも、その子の方が先に退院していく。


 仲良くなっても、何度とサヨナラをする。


 それを繰り返すうちに、いつしかコハクは、患者と距離をとるようになった。


 見舞いもほとんどこない中、いつも一人で退屈そうに、絵を描いたり、本を読んだり、折り紙をおったり。


 淡々と同じ毎日を繰り返すだけの日々に、コハクの感情が乏しくなるのは、当然のことだった。


 だけど、七夕が近くなると、看護師がコハクに七夕飾りを作ることをお願いしていて、コハクは、なにか役割をあたえられることを、とても喜んでいた。


 退屈しのぎに丁度いいからと、ダンボールがいっぱいになるくらいの飾りを作ってくれた。そして、七夕飾りと一緒に、いつも短冊に願い事を書いていた。


『病気が、早く治りますように』


 そんな、昔と同じ願い事。


 だけど、あの頃一緒にかいていた『家族とずっと一緒にいられますように』という願い事は、もう書かなくなっていた。


 一つずつ消えていく『願い事』

 一つずつ消えていく『夢』


 なんとか、叶えてやりたかった。


 だけど──叶えられなかった。




 一度目を閉じたあと、藤崎は、ゆっくりと視線を動かし、たくさんある短冊の中から、あの夜、コハクが結びつけた短冊を見つけ出した。


 そこには、コハクが書いた『最後の願い事』が書かれていた。


 もう、そこに『病気が、治りますように』と言う言葉はなかった。


 その変わりに書かれていたのは


『もしも、生まれ変われるなら、次は天使になれますように』


 そう、書かれていた。



「天使、か……」


 ボソリと呟いたあと、コハクが亡くなった夜を思い出す。


 星が綺麗な夜だった。


 7月7日がすぎ、8日になった深夜。看護師が見回りに行き気付いたときには、もう心臓が止まり、息を引き取ったあとだった。


 どんなに手を施しても、もうダメだった。気づくのが遅すぎた。


 でも不思議なことに、そのコハク表情は、たった一人で最期を迎えたとは思えないほど、とてもとても安らかなものだった。


「コハクちゃんの願い……叶ったかな?」


 最期に神様に願ったその短冊を見つめ、藤崎は悲しそうに笑う。


 もしも、来世があるのなら


 人間でも、天使でもいい。



 あの子にとって



 明るく楽しい




 未来でありますように────













 25. 君たちが生きる未来













「まぁ、大丈夫ですか!」


 天上界──その街の片隅で、クロはひどくふらつきながら、その場所を歩いていた。


 人気のない路地で、今にも倒れてしまいそうほど、顔色がすぐれないクロの元に駆け寄ると、天使の少女が慌てて手を差しのべる。


「あの、どうしたのですか?」

「っ……どうか……水と、食べ物を……っ」


 ふわふわの金色の髪と清楚なワンピースを着た見るからに優しそうな天使の女の子。


 その少女を見上げ、クロは、今にも消え入りそうな声で囁いた。


 弱々しく少女を見つめるその姿は、とても儚げに見えた。


 天使には珍しい黒い髪と、ビー玉のように赤い瞳。


 だけど、その端正な顔立ちのせいか、そのクロの姿に少女は不思議と目を奪われた。


「ぁ、あの、お腹がすいているのですか?」


 目が合った瞬間、少女は少し顔を赤らめながら、クロに問いかける。


 するとクロは


「じ、実は、家に病に苦しむ双子の妹弟きょうだいがいて……食べ物は、全部あいつらに……っ」


「まぁ、なんて、お優しいお兄様……よろしかったら、私のお水とリンゴ、召し上がってください!」


 妹弟のために飢えを我慢する心優しい兄。その姿に、感極まった少女は、自分のバスケットの中からリンゴと水を差し出してきた。


 蜜のたくさんつまっていそうな真っ赤なリンゴ。それを目にすると、クロはおもむろに少女の手を掴む。


「ありがとう。君は天使の鏡だ!」

「え!? ぁ、いえ、そんな……!」


 爽やかな笑顔で、クロがそう笑いかければ、手を取られた少女は顔を真っ赤にして、その後、恥ずかしそうに、その場から立ち去っていった。


「……」


 そして、そんな少女を見送ったあと、クロは、そ知らぬ顔で、手にしたリンゴをポンと一回手の上で弾ませると、シャリッと気持ちの良い音を立てて、その赤い果実に、かぶりつく。


「……ちょろいな」


 口の中に、リンゴの甘い味が広がる。

 もちろん、今のは全て『嘘』


 双子の妹弟なんていないし、兄でもないし、お腹がすいて力がでないわけでもない。


 だが、とりあえず、今日の昼食は、これでなんとかなりそうだ。


「おい、クロ!!!」

「ひっ!?」


 だが、その瞬間、頭上から声をかけられ、クロは、たちどころにその体を強ばらせた。


 恐る恐る上空を見あげれば、今のクロと少女のやりとりを見ていたのだろう。


 ラエルが深く深く眉間にシワを寄せ、クロを睨みつけていた。


「貴様!! あんなことがあったというのに、まだ嘘をついているのか!?」


「あぁぁ、仕方ねーだろ! これ嘘じゃない、生きるための知恵だ!」


「なにが知恵だ!! そんなことをしているから、極悪非道などといわれるのだ!」


「わかってるよ! だから、もう金銭的な要求はしてないって! あくまでも、相手を傷つけない最低限の嘘だって!」


「最低限の嘘とはなんだ!? また消滅させられたいのか、貴様は!!」


「あーもう! じゃぁ、オレはどうやって飢えをしのげばいいんだよ! 働こうにも、門前払いなんだよ! オレこの見た目のせいで!!」


 だまし取ったリンゴを手に、いつもと変わらない反抗的な態度を示すクロをみて、ラエルは深くため息をつく。


 確かにクロの見た目は、天使とは言い難い。


 パッと見た姿は『悪魔』だ。故に、クロの言い分も分からないわけではなかった。


「はぁ、だからって騙していい理由にはならんだろ。貴様、天使というより、野良猫だな」


「そりゃ、どーも」


「大体、なぜ、その見た目で、ホイホイ騙されるやつが現れるんだ」


「あー、そんなの簡単。顔がいいからだよ」


「……」


「それより、なんか用か?」


 路地の片隅に置かれた木箱の上に腰かけ、クロは再びリンゴにかぶりつくと、突然現れたラエルに問いかける。


 するとラエルは、はぁと二度目の深いため息をついたあと


「サリエル様が、お前を呼んでる。今すぐ来い」

「ぶッ!?」


 突然のお達しに、クロは食べていたリンゴを喉につまらせた。ゲホゲホと激しく咳き込むと、涙目になったクロが再びラエルをみつめる。


「マジかよ!? 今度はなんだよ!?」


 正直なところ、サリエルからの呼び出しには、全く良い思い出がない。


 クロは、まさかまさかの呼び出しに、己の身をひどく案じたのだった。

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