第8話 悪魔の子


 天上界—―――


 花々が咲きみだれ、美しく穏やかな風景が広がる、その一角に、高々としたお城のような大きな建物があった。


 中に入ると、いくつもの広々とした部屋があり、その中の一室に、サリエルが仕事で使用している部屋がある。


 一人で使用するには、あまりに広い、まるで大聖堂のようなその部屋は、頭上のステンドグラスから、やわらかな光が幾重いくえにも差し込み、そこはまさに天界と呼ぶにふさわしい幻想的で美しい空間を作り出していた。


 ラエルは、その部屋に一礼して入ると、机に向かって書物片手にペンを走らせていたサリエルに声をかけた。


「サリエル様」

「やぁ、ラエル。クロの様子はどうでしたか?」


 手にしていた書物をパタンと閉じ、いつもの優しげな笑顔を向けるサリエル。

 ラエルはそれを見ると


「どうでしたか、ではないでしょう。 全部、聞いていたのでしょう?」


 そう言うと、少し顔をしかめたラエルは、部屋の脇にある水鏡みずかがみに視線をうつした。


 室内だというのに、その部屋には、2メートルほどの大きな水鏡があった。


 大天使クラスの天使の間では、特に珍しいものではない。この水鏡に念じれは、天界はもちろん、人間界のすべてが見渡せる、なんとも便利な代物だ。


「ふふ……」


「何を笑っておられるのですか?」


「いえ、クロがあまりに必死すぎて、可愛いなと思いまして」


 水鏡で、クロとラエルのやりとりを見ていたであろうサリエルは、口元に手をそえ、クスクスとわずかな笑い声をもらした。


 その笑顔をみれば、普段通り、何も変わらない。だが――


「なぜクロを、人間界に行かせたのですか?」


「…………」


 ラエルが問いかければ、まるで自分を疑うようなその発言に、サリエルは小さく小首を傾げる。


「なぜ、とは?」


「いぇ、てっきり堕天させるものだとばかり」


「あの子は堕天させても、かわりませんよ」


「ハッキリ言いますね」


「ふふ……まぁ、試してみたいこともありましたしね。に」


「試す?」


「はい。死期が目前にせまった少女を前に嘘をつくな。これは、なかなかに過酷な試練だと思いませんか?」


「……確かに、嘘もつきたくなるかもしれませんね」


「誰しもそうです。『明日、死ぬかもしれない』『助からないかもしれない』、心の中でそう思っていても、それを口にするのははばかられる。なぜなら、そのを口にしてしまうと、相手を傷つけてるとわかっているからです。そして、それを口にした自分自身も辛くなる。ゆえに人も天使も、嘘をつかずに生きるなんて不可能」


「……」


「今、あの娘のまわりには、様々な嘘があふれています。そして、そんな嘘が入りまじったあの場所で、クロはただ一人、嘘をつくことが出来ない。……クロは少し異端でしたからね。金や銀などの明るい髪色が多いこの天上界で、あの子は”天使の子”でありながら、黒髪に赤い瞳と、禍々しい姿で生まれてきてしまいました。その翼は、他の、どの天使よりも白く美しいのにです。それゆえに”悪魔の子”などと言われ、世間から嫌われ、親にまで捨てられて—―まぁ、クロの親を堕天だてんさせたのも、私なんですけどねー」


「笑いごとじゃありませんよ」


「ふふ、わかっていますよ。いくら仕事とはいえ、少し責任は感じているのです」


 苦笑しつつ、サリエルはイスにもたれかかると、それはギシリと鈍い音をたてた。


「ラエルは、クロをどう思いますか?」


「どう……とは?」


「”極悪非道な出来損ない天使”。世間から、そう囁かれているにもかかわらず、いまだにクロに騙される者がいる。それは、なぜだと思いますか?」


「? 嘘をつくのが、うまいからですか?」


「そのおとりです。正確には、それを補えるだけの演技力があるからです。クロが嘘つきだと分かっていながら、自分には心を開いているのではないか? クロは相手にそう思いこませてしまうのです。ですが、信じていたからこそ、だまされた方は、より深く傷つきます」


「……」


「あの子は、他人を信じていないにもかかわらず、幼い頃からに嘘をついてきました。クロの嘘も、始めは可愛らしいものだったのです。ですが最近は、嘘をついて相手が傷つくのを喜ぶようになってきてしまいましてね。どんなに残酷な嘘も、隠し通せば傷つけることはありませんが、知られてしまえば、それは”鋭い刃”となります。よくも悪くも嘘は凶器。クロはそれを、まだわかっていない」


 サリエルは、スッと目を細めると、立ち上がり、水鏡の前へと進んだ。


「あの子には、を学ばせるために、あの娘のもとに送りました。あの娘もまた、人の嘘に振りまわされ、傷つき、この世を呪い死にゆく娘。もったいないと思いましてね、せっかく、あんなにキレイな魂なのに、この世を呪い未練を残し、死んでゆくのは……」


「まぁ、それを阻止するために、我々が看取りに行っているのですが……今後の転生にも響きますし」


「ラエルには、日々感謝していますよ」


「どうだか」


 水鏡の前にたち、小さく念じれば、その水面には、クロとコハクがいる病室が映し出された。


 見れば、不愛想にふてくされたクロの横で、笑っているコハクの姿がある。


「クロ。どうか、私の与えた仕事を、最後までしっかりとやり遂げてくださいね。なぜならこれが、最後のチャンスですから──」









  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る