第1話 天使失格



「クロ。君は、天使失格てんししっかくです!」


 縄で縛られ、身動きひとつ出来ない少年を見るや否や、男は、にこやかに笑って、そう言った。


 ここは、天上界てんじょうかい――


 地上からはなれた、はるか上空に位置するその場所は、人間たちが住む『人間界』とは少し違う次元に存在していた。


 地上と天空の狭間はざま──雲の上にはりめぐらされた結界をとおり抜け、人々が"天界"と呼ぶその場所には、地上からは決して見ることが出来ない島々が浮かんでいる。


 天空に浮かぶ島。

 目には見えない幻の国。


 小鳥がさえずる緑ゆたかなその空間は、まさに絵に書いたような楽園だった。


 んだ空気と綺麗な水。


 木々や花々がそよそよと風にゆれれば、花の香りが一面に広がった。


 まさに、見る者を癒す美しい光景。そして、その世界こそが、"天使"たちが暮らす、天上界だ。



「オレのどこが、天使失格なんだよ!!」


 だが、そんな美しく穏やかな空間に、あまりにも場違いな少年がいた。


 少年の名は、クロ――


 人間で言うところの12~3歳の姿をしたその少年は、天使には珍しい”黒い髪”をした男の子だった。


 瞳の色は血のように赤く、顔立ちは綺麗だが、その見た目は、どちらかと言えば"悪魔"に近い。


 だが、背中からはえたその翼は、ほかのどの天使よりも白く美しく、それだけが唯一、クロを"天使"だと決定づける証明のようなものになっていた。


 「離せよ! オレが、いったい何したっていうんだよ!?」


 さんざん逃げまわったあげく、まんまとつかまったクロは、地べたに押さえられ、大声をあげた。


 今にも噛みつかんばかりに声を張り上げれば、木の上で休んでいた鳥たちが、慌てて天空へと飛びたつ。


 すると、やんちゃと例えるには、あまりあるくらいのクロのその言動に、目の前の男は呆れたように笑った。


「やれやれ、自覚なしとは、厄介ですね。天使をだまし傷つけ、他人をおとしいけることに、なんのためらいもいだかない”極悪非道な出来損ない天使”! 君、天界では、悪い意味で有名ですよ?」


「はぁ!?」


 極悪非道な出来損できそこない天使!?


 その言葉に、クロはピクリと眉を引くつかせた。


 確かに自分は、あまり出来がいいとは言えない。見た目も天使とは言い難いし、大人に対してもすごく反抗的だ。


 だが、まさか自分の知らないところで、そんなをつけられているなんて……


「……ぅ、うぅ……ひどぃ……っ」


 すると、先ほどとは一変いっぺん、クロは目にじわりと涙を浮かべた。


 まだ青年になりきらない、あどけない表情がくしゃりとくずれると『どうして、そんなひどいこと言うの?』と、ひくひくと涙を流しはじめたクロ。


 すると、それを目にした男は


「そうそう。それです! 君のところ。言っておきますが、私に君の『嘘』は一切通じませんからね!」


「……ちっ」


 瞬間、流れていた涙も一瞬にして引っ込んだ。


 男の言った通り、今のは全部、嘘。

 つまり、だ。


 クロにとって、このくらいの演技は朝飯前だった。この可愛らしい顔で、しおらしく涙を流せば、たいていの使なら見逃してくれる……のだが


「クロ、君はこれまでに、たくさんの嘘をついてきました。それも他人を傷つける嘘を……さすがにこれは、天使として"致命的"です」


「…………」


 だが、どうやら、この男は、心優しくなかった。つまり、クロの嘘泣きが一切通じない。


 しかも『たくさんの嘘をついてきた』ということは、捕らえられた理由は「嘘をつき、天使をだましたのが原因」らしい。


 クロは天使でありながら、嘘をつくのが大好きだった。


 いや、つくのが好きというよりは、 だまされたあとの相手の顔を見るのが好きなのだ。


 だまされていると知らずに、相手が自分に心を許してくれるのが、楽しくて仕方なかった。そして、バレるかバレないかのギリギリのスリルを味わい、それが嘘だとあかした時のなんとも言えない相手の表情。


 その爽快感と達成感は、まさにクセになるといってもよいほどだ!


 だが、捕まったということは、このあとこっぴどく叱られるのかもしれない。


「ちぇ……嘘ついたからなんだよ。だまされる方が悪いんだろ」


 男の言葉に、ふんぞり返ったクロは、まさに反抗期はんこうきの子供のように、フンッと顔をそむけた。


 すると、さすがにその態度には、男も我慢の限界に達したらしい。地べたにあぐらをかいて、ふてくされたクロの前に、にっこりと笑顔を浮かべて歩み寄ると、そっぽを向いていたクロのあごをクイッ!とつかみ上げた。


「いいかげんにしなさい! しかも、君この顔をいいことに、また女の子だましたでしょうりもう、今月だけで3件も被害届がでてるんですよ。まだ年端としはもいかない弱小天使だというのに、顔だけいいばかりに末恐ろしい子ですね。タチがわるすぎますよ!」


「痛ッた!? うるせーな! オレはアンタのその嫌味いやみったらしい言葉の方が、ずっとタチが悪いと思うぜ! この毒舌天使!!」


 無理やり顔をあげさせられたせいか、首がゴキリと変な音をたてた。


 ちなみにこの毒舌天使……ではなく、目の前にたたずむ美しい男の名は—―サリエル。


 深いアメジスト色の瞳と、天使と呼ぶにふさわしい柔かな笑み。


 足首まで伸びた長い銀色の髪は、後ろで三つ編み状に編み込まれていて、その背に大きな翼を持つ姿は、まさに女神にも劣らない。


 だが、この男の”見た目”にだまされてはいけない。


 七大天使の一人でもあり、天界において「審判の議長」を務めるこの男は、神にそむいた天使を裁き、その処遇を決める権限を有している。


 別名—―天界の処刑人!!


 つまり『サリエルさんに逆らったら、堕天だてんさせられて、魔界におとされちゃうよ!』と、天使たちが口々に言うぼど、恐ろしすぎる男なのだ!


「オレは、嘘をついただろ。別に天使、殺したわけじゃあるまいし」


 すると、しかりつけるサリエルから目をそらすと、クロはぶつくさとそう言った。


 全く反省する様子のないクロ。その姿を見て、サリエルは悲しそうに目を細める。


「はぁ……やはり君は、何もわかっていない。嘘には、さまざまな種類があります。そして、君のついたその嘘のなかには、だってふくまれていました 」


「……は?」


 人を──殺せる?


「なに言ってんだ?」


「どうやら分からないようですね。仕方ありません。やはり君には、厳しいをあたえなくては」


「はぁ!?」


 そう言って、自分から手を離したサリエルを見て、クロの額にはジワリと汗が伝った。


 ”厳しい罰”とは、果たしてっどんなものだろうか?これは、お説教だけでは終わりそうにない。


 そう思ったクロは、考えつくすべての罰を思い描く。


 天使の中でも、もっとも厳しい罰と言われているものが、いわゆる”堕天だてんだった。

 "堕天"とは、天使失格の烙印を押されて、強制的にこの天上界から追放ついほうされてしまうこと。


 まぁ、人間で言うところの『犯罪者』の烙印を押されてしまうようなものなのだが、恐ろしいのは、堕天させられ”堕天使”になった天使は、天使の象徴ともいえる背中の白い羽根を真っ黒に染められ、悪魔たちが住む”魔界”に落とされてしまうらしい。


 それゆえに、世の天使達が聞いたら震えあがるような罰だった。


「……堕天したければ、すればいいだろ」


  だが、クロにとっては、あまり大したことではないのか。その後とくに慌てるようすもなく、冷静なままだった。


 クロにとって自分の住む世界が、天界だろうか、魔界だろうが、どうでもよかった。


 親もいない。友達もいない。


 自分には、元から居場所なんて、どこにもなかったから――


「だれが、”堕天”させるなんていいました」

「え?」


 だが、その後聞こえた声に、クロはぱちくりと目をはばたかせた。


「え? ちがうの?」


 厳しい罰と言われたから、堕天それだと思っていた。だが、サリエルは


「違いますよ。いいですか、クロ。君にあたえる罰は──」


 するとサリエルは、クロの前にスッと手をかざした。


 大きな手の平が目の前まで来て、その手を中心に複雑な文字がならんだ"魔法陣"が映しだされる。


「—―え?」


 瞬間、クロが大きく目を見開く。

 するとサリエルは、にこりと笑って


「いいですか、クロ。君はもう二度と、



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