十九踏 霧

 ビラドの叫び声も虚しく、あっという間にミストドラゴンの二つの口は、バリバリとの音を立てていた。


「ビラド先輩、早く!」

「待ってくれ、みんなが!!」


 踏み留まるビラドをチームの仲間が諭して、走り出す。ものの数分でビラドのチームとタイヤーのチーム以外は全滅しており、更にミストドラゴンは追いかけて来た。


 迷うことない一本道。それが却ってタイヤー達には不利に働く。

逃げる場所もなく、ミストドラゴンは巨体を揺らしスピードを落とさずにやって来る。


「くそっ! 不味いぞ、これ!!」


 タイヤーは強化された動体視力でハッキリと目にしていた。ミストドラゴンの振り下ろす首の速度が異様に速いと。

追い付かれれば、なすすべがない。


 唯一助かる方法は、階段まで行くこと。今いる通路に比べて断然に狭く、そこならミストドラゴンも追っては来れないと考えていた。


「先輩! 早く!!」


 タイヤーは走りながらもビラドに呼び掛ける。しかし、ビラドは仲間に視線を送ったかと思うと立ち止まり、ミストドラゴンに相対した。


「君たちは行け! 少しでも俺達が時間を稼ぐ!!」

「ダメだ、先輩!」


 タイヤーは走りながらも、ミストドラゴンに立ち向かうビラドの後ろ姿を見続ける。そして強化された動体視力により、ビラドの最後がハッキリと見えてしまった。


「くそぉぉぉ……、みんな、足をとめるなぁぁぁ!」


 タイヤーは涙で視界が滲む中、走り続け、遂に階段が見えてくる。


「急げええぇぇぇぇぇ!!」


 階段に辿り着いた後も、タイヤー達は懸命に階段を駆け上がる。

首の長いミストドラゴンは、体は通れなくとも二つある頭の内一つは周囲を壊しながら襲いかかって来た。

熱い体は恐怖で冷やされ、全員息も絶え絶えだったが、ミストドラゴンの首は伸ばせる限界を迎え、タイヤー達は目の前にいるミストドラゴンの顔を見据えつつも、胸を撫で下ろす。


 しかし、それも束の間の休息。タイヤーは周囲に亀裂が入っていくのを見ると、再び全員を急かして階段を上がらせる。


「うおおおおおおぉぉぉぉぉっ!!」


 出口が見えタイヤー達は、身を投げ出して飛び込む。地面を激しく転がりながらも油断は出来ず全員立ち上がる。が、エルやフローラは腰を抜かして座り込んでしまった。

目の前に居座る、その巨体は、鼓膜が破れそうな程に強烈な咆哮を上げた後、獲物であるタイヤー達を二つの顔が見下ろしていた。


 タイヤーもリックも、体から力が抜けていく。全員、もう一歩も動けない。


「ここまでか……」


 タイヤー達は、覚悟を決めた。


「エル、フローラ、リック。ごめんな……俺に付き合ったせいで……」


 他に言い残したことは無いだろうかと、考えを巡らすも、ゆっくり近づくミストドラゴンの恐怖が邪魔をする。

死の間際、走馬灯を見るなんて言うが嘘だなと、タイヤーの頭の中には、どうでもいいことが駆け巡る。


 先ほどとは違い力を失った獲物を前に、誰からかと吟味するようにゆっくりと顔を近づけていく。


 目を瞑り覚悟を決めたタイヤーの耳にドスンと何かが落ちる音が聞こえる。

恐る恐る目を開くと、そこにはミストドラゴンの顔が二つ。


 今度はミストドラゴンの巨体が力無く地面へと倒れ出す。


「随分と貴方達とは縁があるようですね」


 タイヤーは声のするミストドラゴンの頭の上に目を向けると、そこには相変わらず瞬き一つせずジッと此方を見るゼピュロスの姿が。


「お、お前……俺達を助けたのか?」

「助けた? 違いますよ。このミストドラゴンさんは、私と敵対しておりましてね。偶々ですよ、偶々。いえ、貴方達にとっては不幸の連鎖でしょうか。あはははは」


 どうやったのかタイヤー達にはわからないが、ゼピュロスは少なくともミストドラゴンを容易に倒せるのだと、地面に転がるミストドラゴンの頭が物語る。

ゼピュロスの言う通り、ゼピュロスに出会ったのは不幸の連鎖であった。


「ふぅ……元々ミストドラゴンに食われる覚悟は出来ていた。今さらお前に替わったところで、変わりはしないよ」

「おや、諦めると?」


 いつの間にかタイヤーの目の前に現れたゼピュロス。その目は生気がなく、ジッとタイヤーの顔を覗く。

ミストドラゴンが死んだ影響か、タイヤーは周囲の霧が晴れていることに気づいた。

今さらだが、そんな些細な事に気づくほど、今のタイヤーには不思議と余裕があったのだ。


「そうだな……最後に一丁足掻くか。ゼピュロス、お前に頼むのも変な話だが俺の命はくれてやる。だから他の仲間は見逃してくれないか?」

「タイヤー!!」

「タイヤーくん!!」


 エルとフローラは足に力が入らず、ただ叫ぶことしか出来なかった。二人の目からはボロボロと大粒の涙で地面を濡らしていた。


「足りませんね」

「足らないか。困ったな……」

「だったら、俺っちとタイヤーでどうだ? 二対二。充分だと思うけど?」


 リックは覚束ない足でタイヤーの元へ行きゼピュロスに持ちかける。


「リック、お前……」

「たまには俺っちにも格好つけさせろって。どうだい、ゼピュロスさんよ」


 ゼピュロスはタイヤーとリック、エルとフローラを品定めのように見比べると、声を出して笑い出す。


「おい。人の命を笑うなよ」

「あはははは。いやぁ、面白い。貴方達もそうですが、後ろの二人もなかなかどうして。いいでしょう。今回も見逃してあげましょう。お礼です」

「は? 別に俺達は、何も……」

「いえいえ、貴方達は餌としてちゃんとミストドラゴンを釣ってくれたじゃないですか。いやぁ、助かりました。このミストドラゴンは、私とは違う魔神の配下でして、どうやって炙り出そうか考えていたところだったのですよ。実は」


 餌。タイヤー達以外は全滅。ビラド達もただの餌だったのかとタイヤーは憤りを感じ右手をぎゅっと握り拳を作った。

だが、その拳はゼピュロスに振るわれることはなく、収められる。

タイヤーの右手を掴むエルの姿がそこにはあった。


「エル……」


 地面をみっともなく這って来たのだろう。膝は擦りむいており、ただタイヤーの右手を制して首を横に振る。


「それでは、お暇しましょうか。あ、それと。貴方達王国に戻るつもりならやめておいた方がいいですよ。人は疑り深い生き物ですからね。あはははは」


 そう言い残しゼピュロスは去っていった。


 残されたタイヤー達は、その場に座り込むと大きく息を飲む。

タイヤーは天を仰ぎ『親父のようになるものか!』と誓ったにも関わらず、自分は誰一人助けれなかったと、父親にすら遠く及ばないのだと、思い知ったのだった。

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