第四話 金髪の魔法使い 4-7
リズがのろのろと下へ戻ると、火はとっくに鎮火され、人はまばらであった。
時計塔は中間部まで黒く焼け焦げてはいたものの、倒れることなくそこにあった。傷ついても崩れないその姿に、彼女は張り詰めていた緊張感がほぐれるのを感じる。
大聖堂前の道に面した屋根には新しい梯子が何本も掛けられ、友人たちや逃げ遅れた民衆はそこから逃げたのだろうと彼女は推測した。自身も梯子を使い、順に下へと降りていく。そして大聖堂の大通りに出ると南門から大司教区を出た。
空はいつの間にか夕暮れの光を放っていた。
交易区のキトロン料理店に来るまでに、すれ違った人々の話はアステール大時計塔の炎上と職人たちの犠牲で持ちきりであった。それすらも耳に入れたくはなく、リズは耳を強く覆って小走りで目的地へと向かっていった。あの光景をまた思い出したくはなかったのもあるが、一番の理由は鋭い感覚を持つ耳を意識的に制御する集中力が殆ど残っていなかったため、全ての会話を拾ってしまうからであった。
リズが料理店に着く頃には、店のドアには小さな看板が吊るしてあった。そこには“閉店”の字が書かれている。
一足遅かったかとリズは肩を落とした。身体が石を背負ったように急に重くなり、少女は耐えきれず前髪をぐしゃりと握る。そればかりか、背中を丸めたまま目を閉じてうなだれた。
その時だった。
「リズ!!」
勢いよくドアが開いたと思うと、正面から誰かに抱き込まれた。その柔らかくて温かい体温は知っている。フロレンシアだ。あれだけ塞ぎ込んでいたものが、一気に自分の身体から出ていってしまった。代わりに思考がまとまらずにふわふわとした気分になる。あたたかい、とリズもフロレンシアの背に手を回す。
「……ただいま」
「遅かったじゃない! ずっと待ってたんだから!! でも怪我してないようで良かった……」
フロレンシアはリズの顔を両手で優しく包み込む。その朝焼け色の瞳には涙が滲んでいた。
「もう……」
目をごしごしと手で擦るフロレンシアの後ろから、ベルナデッタが顔を覗かせた。
「リズ、お疲れ様。中に入りなよ。看板は人払いのためだから安心して」
「ベルナデッタ、ありがとう」
リズはベルナデッタに頭を下げる。いいってそんなの、と手を振りながら珊瑚色の髪をした彼女は笑う。そしてフロレンシア共々、店の中へと招き入れた。
店の中には既に三名が各々の椅子に座っていた。座っているだけでも高身長だと分かる紺色の髪の男はカウンターの席に。その男はリズを見ると軽く会釈をした。左のテーブル席にはノルトラムと、横には男が座っていた。茶色の短髪に青の瞳。その外見は典型的な純粋ロティオン市民だった。彼は身体を覆い隠せる草色の外套を羽織っている。
「紹介するよ、彼がホール担当のカイ。口はとても堅いから安心してくれ」
紺色の髪に緑の瞳のカイは、席を立つとリズの側までやってくる。とても律儀な性格のようだ。
「……宜しくお願いします」
「……よろしく」
リズとカイはお互いに手を触れ合わせ挨拶を交わす。彼の大きな手はとても熱かった。
「リズとフロレンシアはノルトラム様の席に座って。今、二人分の飲み物持ってくるからさ」
リズとフロレンシアは頷いて、ノルトラムたちが座るテーブルへと向かう。ノルトラムは椅子から立ち、リズに歩み寄る。
「お疲れさん。それでどうだった? 犯人は見つかったか」
「見つけておいかけたけど、にげられた」
「お前を巻いたってことか!? すごいなそいつ……」
口を押さえてノルトラムが驚く。
「その話は後で! ……話したいことがあるって言ったのはそっちじゃない」
ノルトラムを押し退けて、リズの肩を掴んだフロレンシアは椅子に座らせる。リズの目の前は穏やかな顔をした青年だ。目を和らげて彼女を見ている。
フロレンシアもノルトラムの対面の席へと着いた。
間もなくベルナデッタが二人分の飲み物を持ってきた。紅に輝く西瓜のジュースだ。喉が渇いていたリズは、出されたマグを掴んで一気に飲んだ。とろとろとした喉ごしとひんやりとした甘い味が口の中と身体を満たしてくれる。その様子を見ていたフロレンシアの好意に甘えて彼女の分のジュースもリズが貰うことになった。
そのような中で、話し合いの口火を切ったのは純粋ロティオン市民たる彼だった。
「まずは……。私は清鐘アルキラロス会の助祭のヴィートと言います。リズさんとは一度お会いしましたね」
「……?」
「思い出せないみたいだぞ。影薄いからなお前」
ノルトラムがくつくつと喉で押し殺すように笑う。ヴィートは横目でノルトラムを睨むとこほんと咳をする。そして改めて喋りだす。
「導き手任命式の時です」
『これでロティオンの旅人を救って下さい。以前の貴方たちのような』
脳裏によぎる、若者の顔。優しそうな表情の中に秘めた強い決心の青年だった。彼から手渡された導き手の印は自室に置いてある。
「……ヴィート」
「思い出して頂けたようで何よりです」
ヴィートはとても嬉しそうに笑った。反対にノルトラムは頬杖をついて面白くなさそうにしている。
「リズ、知ってたか。そいつ二つ名持ちだぞ」
「しってる。でもまたあうとは思わなかった」
「私もです」
ヴィートは柔和な顔をますます深くさせた。
「私たちが大司教区の屋根から道に降りた時に、話しかけて保護して下さったのがヴィート様だったの。ヴィート様のことは村にいた頃から知っていたからびっくりしたわ! まさか有名人と出会えるだなんて」
興奮しながらフロレンシアが話す。
「こちらこそ、フロレンシアさんには感謝しています。この男の介抱、大変だったでしょう?」
「いえいえ、そんな! というか、ノルトラム言ってくれればいいのに。ヴィート様が知り合いだって」
「別に言う必要なんてないだろ」
ぷいとノルトラムは顔を背ける。
「彼……ノルトラムのことなのですが」
ヴィートがそう言いながら、横に座る金髪の男に手を向ける。そして丁寧に頭を下げた。
「こちらの御方は、このアンフィポータズ王国の第二王子、エーベルハルト殿下です。皆様、殿下の不躾な発言や行動、幼馴染兼従者の私が代わってお詫び申し上げます」
暫くの間、キトロン料理店内に静寂が満ちた。
ベルナデッタは目を大きく開け、口もあんぐりと開いたまま。
カイは微動だにしなかったが、同じく目を見開いたまま。
フロレンシアはひたすら固まったまま。
リズは内心驚きはしたものの、彼の今までの言動や行動を思い出して合点がいっていた。
――――世間知らずだったのは、城の外に出たことがなかったからなのだと。
固まっていたフロレンシアがおずおずと話しだす。
「あの……エーベルハルト殿下ってご病気じゃなかったでしたっけ」
「それは諸事情でそういうことにしているだけです。殿下はこの通り……」
「ピンピンしてるぞ!」
ヴィートが向けていた手をエーベルハルトがはねつける。
「丁度、離宮の牢屋から街に出られる抜け穴を見つけたんだ! あんな場所に一生閉じ込められる人生なんか真っ平だ」
その言葉を聞いて、ヴィートは青の瞳を苦々しく歪める。
「エーベル、お前はとんでもないことをしでかしたんだぞ。あの時、お前が命を落としていたら王宮……いや国中が大騒ぎになって清鐘アルキラロス会との間に埋められない溝が入るところだったんだ。自覚はないのか!」
「それはオレが抜け出したことと直接関係あるのか? ……ないよな。関係ない話を混ぜるなよ。あの事件はお前達、アルキラロス会と国軍兵士の警備の落ち度だろう!!」
エーベルハルトはテーブルを強く叩く。卓上の飲み物が揺れる。それに対し、ヴィートは何も言わなかった。ただ、強く唇を噛んでいた。
重苦しい空気の中で、フロレンシアが言葉を発する。
「……エーベルハルト殿下」
「お前たちは殿下なんて付けなくていい。素性を隠したオレを怪しむことなく親切に接してくれた。エーベルと呼んでくれ、頼む」
か細くすがるような声色でエーベルハルトは言う。
「なら、エーベル。ヴィート様はね、アンタのことが心配だったのよ。さっきは王宮と教会のことを引き合いに出したけど、本当はそうじゃないと思うの。ね、リズ」
「……ん。ヴィートはエーベルにあぶないところに行かせたくなかっただけ」
彼女たちが静かにエーベルハルトに言うと、彼はヴィートを見た。
「……本当なのか」
ヴィートは額に手を当てて、口を開いた。
「……そうだ。全く、お前はいつも俺の度肝を抜くようなことを思いついて実行するからな。まさか竣工式典にいるとは思わなかった」
そのまま頭を抱えるとヴィートはテーブルに突っ伏した。
「前日にお前が教えたんだろうが。行きたくなるに決まってるだろう」
エーベルハルトはヴィートの頭を指で弾く。うう、とヴィートが唸った。
「でも、警備は無いに等しかったぞ。しっかり上に報告しろよ。……父上にも。それに、オレよりも謝るべき奴がいるだろう。目の前に」
「そうだな。……フロレンシアさん、リズさん申し訳ありませんでした。お怪我なかったようで何よりです。あの事件で出た怪我人はこちらで調べて順次救護しています。ご安心下さい」
ヴィートはテーブルに頭を付けそうなほど礼をした。
その様子を見て、フロレンシアはこっそりリズに耳打ちをする。
「(ヴィート様ってエーベルのペースに飲み込まれやすいわね)」
「(ん。エーベルは口がうまいからかてない)」
「(エーベルの従者は苦労しそうよね)」
耳打ちし終わった後、フロレンシアはヴィートに頭を上げるように言う。彼は再度詫びの言葉を言うと、元の姿勢に戻った。
「とりあえず、暗くなってきたから離宮に戻らないと。使用人に怪しまれる」
「そうだな。……抜け穴の位置が分からなくなりそうだ。リズ、オレ達が会った場所まで案内いいか」
「自分で戻りなさいよ……! リズは疲れてるの!」
「一回出ただけで覚えられるか!」
今度はフロレンシアとエーベルハルトが睨み合う。この騒がしい雰囲気に静かにため息を吐いて、リズが了承の意を示すとエーベルハルトの唇は綺麗な弧を描いた。
店を出る際に、エーベルハルトはベルナデッタに声をかけた。
「ベルナデッタ。オレの素性は隠して、今まで通り魔法使いのノルトラムで接してくれると有り難い」
「分かりました。うちは秘密は守りますから。な、カイ」
「はい」
「助かる、それではまた」
「ええ、お待ちしております」
にっこりとベルナデッタが笑う後ろで、頬を膨らませたフロレンシアがいる。フロレンシアはドアが閉まる最後まで朝焼け色の瞳を不服そうに細めたままであった。
「確か……エーベルハルト殿下って青い瞳でしたよね?」
ドアが閉まるとおもむろにカイが呟く。
「私もそう村で聞いてたわ」
フロレンシアも困惑した顔で喋る。
――――だが、あのエーベルハルトは鳶色の瞳だった。
二人が考え込むのを遮るように、ベルナデッタの物柔らかな声が投げかけられる。
「あれは本物の殿下だよ。きっと……ね。なあに、世の中全部が真実で出来ているとは限らないさ。はいはい! ボク達のやるべきことは店の掃除と明日の仕込みを手際よく、そして美しく済ませてしまうことだね!」
カイとフロレンシアが頷くと、ベルナデッタは満面の笑みでモップを片手に鼻歌混じりで掃除し始めた。
フロレンシアも、彼を信じることに決めた。
リズの先導で交易区の大通りを過ぎ、あっという間に二人が会った場所へと着いた。そこは細い路地の行き止まりの場所だった。
「えー……あ、此処だな」
エーベルハルトが砂にまみれた地面に手を伸ばし、砂を払うと鉄で出来た版らしきものが出てきた。その端を両手で掴み持ち上げる。そうすると、長年開いてなかったようなひどく軋んだ音がした。版をすっかり上まで開けてしまい中を見る。そこには、ぽっかりとした空間と鉄で出来た梯子が付いていた。
「リズ。すまなかったな。助かった」
「リズさん、すみません。こいつのために」
「お前……仮にも主人だぞ。帰ったらフォローしろよ。オレのために!」
「分かったよ、ったく人使いの荒い……」
先ほどこの二人が幼馴染と聞いたので、こういった他愛ない自然な会話が成り立つのも納得がいくとリズは思った。
最初にヴィートが、そして最後にエーベルハルトが梯子を降りていく順番になった。リズは版……扉を閉めて隠し通路がばれないように砂をかける役だ。ヴィートが中に入り暫くしてから、エーベルハルトが中へと入った。続いて顔だけ出すとリズを見上げる。
「リズ。今日はその……ありがとう。お前に怪我が無くて……良かった。多分、また来る。フロレンシアの店で待っている」
「ん。たのしみにしてる」
正直、最初に出会った時は面倒な男だと何度も思った。だが街を見渡し、珍しくも何ともない物を手にとってはキラキラと目を輝かす様を見て、悪くないと思える自分がいた。
「そういえば、お前犯人を追いかけた時に顔を見たか?」
「……!」
ドクン、と心臓が跳ねた。あの“追いかけっこ”の記憶が徐々によみがえってくる。
あの暗い水底のような青の瞳と、大司教区の高い壁を乗り越えた際に頭に巻かれた布から飛び出た髪の色。
これを今、エーベルハルトに伝えたら何が起きるだろうか。
リズは暫く考えたのち、頭を横に振った。
「かおはみられなかった。あしははやかった。……それだけ」
「……そうか。オレは考えられる容疑者の数が多くて困る程だ。離宮に居る暇な時にでもまた考えてみるか」
じゃあな、とエーベルハルトは梯子を降りていった。それを見届けて、リズは頼まれたことをして路地を後にした。
『この大司教区に巣食う“怪物”の正体を暴け』
『真実に辿り着くのを待っているよ』
――――どうしろというのか。このちっぽけな存在の異国人に。
もしかしたら、この事件はロティオンを根本から揺るがすものになりえるかもしれない。
ep.4 END.
エルピスの鐘 鯛めし @taimeshi__
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