第二話 待ち人



 弟子見習い予定の少年を工房まで送り届けるというアガトンからの依頼を無事終えたリズは、居候先である教会に向けて歩み出す。

 さすがは、二つ名持ちだ。ずっしりと重たい金の入った袋に、おまけの野菜まで貰った。実に羽振りが良い。リズも思わず鼻歌を歌ってしまうほどだった。これなら居候先のシスターも喜んでくれるだろう。

 重たい荷物を抱えているはずなのだが、階段を二、三段飛ばしで上ったり降りたりとリズの足取りは実に軽やかである。 近道とあらば、あえて階段を横から落ちたり、屋根の上に登ったりもするため、リズの行動は街を知り尽くした猫のようにさえ思える。

 暫く歩いていると、此処からなら教会に一番近いとリズは屋根に登ることにした。路地裏に積まれた樽や木箱を踏み台代わりにし、先に金と野菜を屋根に置き、後で身体を屋根に乗せた。

 此処は、ロティオン市街の中でも高台に位置する場所だ。特に屋根の上からだと尚更で、南の水平線や港、市街一面をよく見渡せた。仕事の終わりや用事を足すついでによく見る、いつもの光景だ。リズは小走りで屋根を駆け、時折屋根と屋根の間を飛び越えながら、教会へと急いだ。


 リズの居候している異国人教会は、アンフィポータズ王国以外の異国の民が、国教である清鐘エルピス教に改宗するため、或いは改宗後に訪れることになっている場所である。此処で洗礼を受けたのち、晴れて清鐘エルピス教徒となれる。

 清鐘エルピス教は主に日に三度の祈り、休息日での礼拝、年に二度の祭りを慣習としている。

 この国の人々は、アンフィポータズ王国が出来る前からあったと言い伝えられている鐘を神聖視していた。その鐘はエルピスの鐘といい、交易区に建てられた高い塔からロティオン市街を見下ろしている。

 早朝、日の出と共に鳴らされる荘厳なエルピスの鐘で教徒たちは起床し、朝一番の祈りを捧げるのだ。


 しかし、リズは清鐘エルピス教徒ではない。


「ただいま」

 教会前で箒を持ち、掃き掃除をしている年配のシスターにリズは声を掛けた。シスターは掃除の手を一旦止めると、リズに向かって歩いていく。

「リズかい、おかえり。どうだった、“金の熊”の依頼は!」

「……無事おくった。ん、ボーナ。おみやげ」

 ボーナと呼ばれたシスターは人参を見ると目を細めた。

「あらま、立派な人参だこと! 今日は久々に香草シチューにでもしようかね」

「ん、ボーナのシチューはおいしい」

 リズの言葉に益々笑みを深くすると、ボーナは後で玉ねぎとかぶを裏の畑から引っこ抜いて来ておくれ、と少女にいう。

「分かった。あ、ボーナ。それと今月分のやちん」

 アガトンの袋から銀貨を数枚出すと、皺のあるボーナの手に乗せる。ボーナは枚数を数えると自身の腰に付いた小さな鞄に入れた。

「……確かに頂いたよ。でもアンタの分だけでいいのに」

「ヨシュア先生も時々はかえってくるから」

 真顔でリズが答える。その紫の瞳は澄んで宝石のようだ。帰ってくると疑わない、強い光を持った目でボーナを射抜く。

 年配のシスターはやれやれと首を振る。


「……ヨシュア先生は帰ってきた?」

「いいや。今日はまだだね」

「……そう。ありがとう」

 リズの返事は少しだけ悲しみの色を滲ませていた。少女は教会の勝手口を開け、中に入っていった。多分自室へと向かったのだろう。


「馬鹿な男さねえ……ヨシュアも」

 ボーナは箒を片手に深い溜め息をつく。

 毎日欠かすことなく行われるこの。リズは今日こそヨシュアが帰ってくるかと強い期待を込めて日々過ごしているというのに。

 帰っていない旨を伝える時はボーナも少々胸が痛む。それはただ純粋にあの青年が帰って来るのを願っている少女の姿を知っているからだ。




 あの夜のことは昨日のことのように思い出せる。


 あの日はロティオンでは珍しく朝から霜が降りて、その夜も大層冷え込んだ。夜も更け込んだため教会の使用人も全員自室に下がらせ、ボーナは明日の朝食の仕込みをしていた。暫くすると、教会の正面の扉が開いた音がした。

 普通の清鐘エルピス教徒か、道に迷った旅人か、あるいは盗人の類か――……。司祭が用事で不在の今、どんな者でも古株のシスターの自分が対応しなければならないだろう。 万が一のために小さな斧を持って、ボーナは礼拝堂へと向かった。

 斧を背中に隠し、礼拝堂を覗いてみると、フードを目深に被った青年と子供が遠目から見ても大きく震えているのが見えた。子供連れで盗みには来ないだろう、とボーナは斧を壁に立て掛けると礼拝堂に入って行く。

「このような夜更けにどうなされたのです、旅人の方々」

「……アンタ、此処のシスターか? 連れが熱を出して歩けない。暫く休める場所が欲しい」

 そう言って、青年はボーナに五十プロートを手渡した。

「このような大金、教会には要りません。お連れ様の具合を見ても宜しいですか?」

「ああ」

 子供のフードを外すと子供の顔は赤くずっと目を閉じたままガタガタと大きく震えている。金茶色の前髪を手で払って額に手を当てると酷い熱を感じた。

「これは……早くベッドに運ばないと。薬を作りましょう、それは貴方も飲んで下さいね」

 そう青年にも念を押すと、青年も震える身体を自身で抱き締めながら、分かった、と呟いた。

「子供は俺が運ぶ。部屋に案内してくれ」


 それから一週間ほど、この青年と子供の世話をした。青年はアンフィポータズ語を流暢に話せるようだが、子供は全く話せず常に青年を介して意志疎通を図らないといけなかった。

 子供はガリガリに痩せ細っていて、例え高熱が出ていても食事をがっついて食べた。その様子から、この二人はまともな食生活を送れていなかったことがボーナにも分かった。 また、青年も眠りが浅く子供の看病のために部屋に入ろうとすると必ず起きている。この二人はどういった経緯でこちらに辿り着いたのか――……。

 シスターである以上、様々な人々の事情を耳にすることはある。戦禍の中幼い兄弟だけで生き残り、王都にやって来る例も聞いたことがある。

 だが、この二人は何かが違った。常に周りを警戒し、息を殺すように生きてきたと思える彼らの覚悟の目。

 ボーナはその目が忘れられなかった。


 体調が回復し、教会の中庭で空を見ている子供を横目に、青年はボーナに向けて話し出す。

「頼みがある。暫く……あいつが年頃になるまで俺たちを此処に置いてくれ」

「置いてくれって……それは教徒になるということですか?」

「……いいや。教徒にならない代わりに毎月の家賃を支払う。使用人のようなことも、下働きでも汚れ仕事でも何でもする。だから頼む」

 酷く真剣な顔をして頭を下げる青年に、ボーナは彼の固い決意を感じた。幸い、使用人の数も足りていなかったため使用人代わりに様々な仕事を頼みたい気持ちもある。そして何より、一週間二人と過ごすうちに決して彼らは悪い人間ではないことにボーナ自身も気付きつつあった。

 ただ、前述のように人を避け人目につかない行動をしてきた二人を匿うような行動をすることに少し不安もあった。だが誰であれ、困った人々に扉を開くのが教会だ。―― 例え、何かしら事情を抱えた者たちであっても。


 教徒相手に使う言葉を改め、砕けた口調でボーナが聞く。

「……分かったよ。アンタたちの名前は?」


「ヨシュアとリズだ」




 それからリズの歳が十二になるまで、ヨシュアとリズの同居は続いた。

 リズも少しずつだが言葉を覚え、使用人の仕事を一通り出来るようになった頃、ヨシュアはふらりと何処かへ行くことが多くなった。最初は数日、それから数週間数ヵ月といなくなる時間は増えていった。

 現在、ヨシュアは約半年ほど姿を見せていない。


「親鳥を探す雛鳥……いや、最近は違うかね」

 ボーナは苦笑いをしながら真っ白な壁の教会を見上げる。屋根裏部屋がリズの部屋であるから、目線はそちらにいっている。


「もうリズも娘の盛りだものねえ」



 リズの自室である屋根裏は殆ど物らしい物がない。あるのは、ベッドと小さなタンス、鏡に洗面用の器と水差しのみ。

 リズはベッドに一気に倒れ込み、ふーっと息を吐く。ロティオン市民街へ行くのはくたびれる。あそこはリズにとっても緊張する場所だが、腰ひもに巻き付けてある銅の丸い彫り物がリズをあらゆる危機から救ってくれる。

 ロティオン公式導き手ガイドの印だ。

 以前は地方人並びに異国人は教会の定める公式の導き手になれなかった。だが、清鐘エルピス教の教会運営母体の清鐘アルキラロス会から、ロティオン純粋市民以外も公式の導き手に入れてはどうか?と意見が上がった。

 その発言をした若者は、地方人や異国人の非公式ガイドを集め、これを配布した。


『これでロティオンの旅人を救って下さい。以前の貴方たちのような』


 二つ名を持つその青年は、一人一人真っ直ぐ目を見て言った。

 ヴィートと言ったっけ、とリズはおぼろ気に思い出す。聖職者の二つ名持ちと異国人教会の使用人まがいとは身分が違いすぎる。 リズはさほど人の名前に興味はなかった。……特に、二度と会わなさそうな人の名前は。

 そういえばと、ポケットに入れてあったアガトンからの報酬をベッドの上に全部出してみる。

 なんと、数えて二百プロートもあった。通常の導きで得られる額の約十倍だ。リズは吃驚すると同時に銀貨を指で撫でる。

 こうして少量ながらも金を貯めて、早くあの人と故郷に帰りたい。


《早く帰って来てね、先生》


 この国では決して使わない言葉がリズの唇からこぼれた。





 * * *


 南方大陸からの連絡船が白波を立てて海原を行く。

 乗組員の男が目視で王都の港を捉え、甲板に出ていた者たちに知らせると乗客内で歓声が湧いた。とある男は嬉しさのあまり近くにいた女に話し掛けた。

「おい、姉ちゃん! やったな、もうすぐロティオンに着くぜ!」

「……」

 黒髪の女は閉じていた目を気だるげに開いた。その目は暗く濁り、喜んでいる表情では決してなかった。

「……姉ちゃんも色々あると思うけどよ。せっかくのロティオンだ! 楽しむところは楽しんでいこうや!」

 その言葉を掛けられた瞬間、彼女の顔が焦りの表情に変わる。そして大きな声で叫んだ。

「私は遊んでる場合じゃないの!……放っておいてよ!!」

 女性はこの場から早く去りたいとばかりに梯子を降りていった。彼女の豹変ぶりに呆気に取られた青年は、舌打ちをした後で、嫌な気分を払拭するように盛り上がってる集団の中に入っていった。


 船室に戻った彼女は固い寝台に戻り、声を圧し殺して泣いた。



 ――――もう誰も信じられない。





 ep.2 END.

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