第一話 王都・ロティオン 1-4



「大きな声出さなくてもきこえてるよ」


 強く目を瞑ったパキトの頭上から声が聞こえた。少年は顔を上げると思わず涙ぐんだ。相変わらず気配のない現れ方。三月前のようだ。

 長くうねった髪の毛に、殆ど笑った顔を見せない顔。

 少女にしてはひょろ長い身で飾り気も何もない。男物の地味な服を身に付けているし、ボサボサの髪も相変わらず手入れもされていない。

 だが、パキトは知っていた。

 人が困っていたら身を挺して助けてくれる優しさを。


「わたしにどうしてほしいの?」

「この石と同じ種類で同じ質のものをあつかっている宝石店をさがしています。交易区中を探し回ったんですけど、ダメでした」

「……」

「お願いです、リズさん。リズさんの知るかぎりで……よい宝石店をおしえて下さい」

 パキトはこれ以上ない程、頭を下げる。


「もう一度、ボクたちの導き手ガイドになって下さい…!!」


「俺からもお願いしたい。助けてくれ、頼みます……」

 ニッキーはリズに持っていた金貨を何枚か握らせる。導き料にしては多すぎる程の値だ。だが、リズはそんなものより、必死に頭を下げ続ける二人の少年をじっと見ていた。

「……港の方にひとつある。ここからかなりあるくけど……」

 ちら、とリズは少年たちの足下を見る。二人とも歩きすぎて爪が剥がれていたり、赤くなっている。

「大丈夫です!!」

「……ああ! こんな怪我どうってことない!」

 二人の少年は力強く頷いた。

「……こっち」


 交易区から港近くまで三人は駆け抜けた。足から血が吹き出ようとも、ニッキーもパキトも辛い顔を見せずに足をひたすら動かし続けた。

 そして、とある古びた小屋の前でリズの足が止まった。看板も何もない、潮風に吹かれ続けたせいか壁のあちこちに痛みがきている小屋だ。

 ニッキーは、もしかしてリズに騙されたのか? という考えが一瞬浮かんだが、リズは躊躇いもなく小屋のドアを開けて幾重にも掛けられたのれんをくぐっていく。少年たちは顔を見合わせ覚悟を決めるとリズの後に続いた。


「おじいちゃん。いる?」


 そこは例えるならば、ジェンナーロの店の真逆の店内であった。

 乱雑に置かれた原石や尖った水晶、貴金属類も適当に小屋の壁に飾られている。天井を交差するように幾重にもぶら下げられた色とりどりの布が、ランプの灯りを受けて唯一小屋の中を明るく見せていた。

 小屋の奥で引き出しの中を開けて何やらごそごそしている老人がこちらに振り返る。

 禿げかかった白髪に、ぼうぼうと無造作に伸ばされた髭。中でも漆黒の瞳が印象的だった。肌の色からも分かる通り、純粋ロティオン人でも南方人でもない。

「なんだあ? ……リズかい。随分と久しぶりだな。うちのカミさんもうちに寄れってうるせえの何の……」

「色々いそがしかったから。あと、おきゃくさんつれてきた」

 リズが後ろを振り返る。

「ああ?」

 老人の眉間に寄せられた皺が益々深くなる。その人相の悪さに少年たちは身体を縮こませた。

「こ、こんばんは……」

「失礼します……」

 小屋に遠慮がちに入ってきた、足が血に塗れた少年たちを些か驚いた表情で見て、老人はリズに問う。

「この子供らはどうした? 客……ってお前さんたちのことか」

「……はい。僕たちは――……」

 ニッキーは目の前の老人に向けて今日に起こった出来事を大まかに話始める。

 親方に言われ、同じ石を手に入れてこいと言われたこと。純粋ロティオン人の店で酷い目にあったこと、交易区に来たは良いものの全ての宝石店を回ったが見つからなかったこと。そこで運よくリズを見つけ、此処へ連れてきて貰ったこと。

「――……。成る程。お前さんたちはすがる思いでリズに付いてきたってわけかい」

「はい。お恥ずかしながら、リズさんの助けを借りました」

「ほしい石はこれです」

 パキトが老人に石を差し出すと、老人は受け取り、持っている小さなルーペで丹念に目を通す。

「ほほ――……こりゃあ、一等品だ。交易区でもそうそうお目にかかる機会もないだろうなあ」

「親方が自ら選んだものですから……」

「お前さんたちの親方の名前は?」


「アガトン・クリューアルクトスです」

 ぴく、と老人のルーペを持つ手が震えた。


「……っはは、懐かしい名前が出てきおった。あのアガ坊がなあ」

 少年たちは自分たちの師匠をアガ坊と呼ぶ目の前の老人が何者なのか全く検討も付かなかった。確かな目利きを持つのに、こんな港の近くで看板も出さずに店を構えるのは何故なのだろう。

「ちょっと待ってろ」

 原石を観察するのを止めた老人は、奥にある棚へと向かう。

 沢山付いた引き出しをブツブツ言いながら開いては閉じ、開いては閉じ。少年たちとリズが暫くその行動を見つめていると、老人は一つの引き出しの中にあった石を持ってきた。

「これだ。これならお前さんたちの親方も納得するだろう」

 老人はニッキーの手に、親方から預かってきた原石と引き出しの中の原石を手渡す。

「ニッキーさん、どうですか!?」

 親方から預かってきたルーペでその原石を見ると、ニッキーが感嘆の息を洩らす。

「……持ってきた石と変わらない。でもどうして……」

 驚愕するニッキーに老人は所々抜けた歯を出して笑う。

「原石や宝石を見続けてきてウン十年。これくらい造作もねえさ」

 そう言いながら老人は小さくなった紙煙草を指先で摘まんで吸う。

「お代は幾らになりますか」

「……それなりの一等品だからな。こっちも生活が掛かってる。三千プロートだな」

「分かりました。売って下さい」

 持ってきた鞄に入っていた約半分の金貨を出す。そして皆で、百や五百プロートの金貨を数えていく。

 ニッキーは内心、このような品質の原石をたったの三千プロートで売る老人の気持ちが分からなかった。ジェンナーロの店なら、通常価格で五千プロートは持っていかれるだろう。改めて思った、この老人は何者なのだろう。

「じゃ、取引成立だな。困ったらまた此処に来い」

「あの……店主さんのお名前は何と言うのですか」

「もう、名前なんか棄てたさ。そうだな……今は港のコラキと呼ばれてる」


光り物が大好きなコラキカラスと――――……。


「あと、お前さんたちの親方に伝えてくれ。“祝いだ”ってな」


 コラキの店を出ると、益々夜が深まりちらほらと店じまいする店も出てきた時間帯だった。

「こりゃやべぇ! 走っていくぞパキト!!」

「はい! ……リズさんっ」

 リズに向かって走っていくパキト。

「今回も助けて頂きありがとうございましたっ!」

 改めてパキトが礼を言い、ニッキーも深く礼をする。

 リズは頬を掻きながら、暫く黙ったのちパキトに手を出すように言う。少年は素直に手を出す。

「パキト。これ少しかえす」

 リズは導き料として握らせた金貨の殆どをパキトに返した。

「わたし、こどもからこんなもらう気ない」


月明かりの中で口だけでリズが笑う。

「またあえるといいね」

 リズも家に帰るのだろう。ニッキーとパキトに背を向けて歩き始めた。

 ニッキーに手を引かれながらも、パキトはリズが米粒のように小さくなるまでその背を見ていた。

「パキト、走れるか?」

「もちろんです、急ぎましょう!」

 リズを見届けてから、少年たちも工房へと全速力で駆け始める。足の爪が剥がれようが、皮が剥けようが彼らは工房への道を走り続けた。



 一方、工房ではイェスペルが部屋中をそわそわと行ったり来たりしていた。

「いい加減遅いわよおっ!!」

 不安のあまり、トニとフィービに当たるが、フィービはいつもの笑顔でイェスペルを落ち着かせる。

「イェスペルさん落ち着いて~~。二人なら大丈夫だよ、きっと」

「そこがフィービちゃんの良い所でもあるけれど! 心配させてちょうだい~!」

 ふくよかなフィービを抱き締めると安心するのか兄弟子は背中に顔を埋める。まるでぬいぐるみ感覚である。

「親方も鬼だよな、まさか一番最初に紹介するのがジェンナーロの店とか」

 テーブルに座って頬杖を付くトニがぼそりと呟く。

「アタシもさんっざん、あのクソジジイには嫌み言われたわ……! どうしましょう、買えなくて結果あのクソジジイに言いたい放題命令されて扱き使われてたら! 虫酸が走るわあ……」

 両手を顔に当てて顔がさあっと真っ青になるイェスペル。

「まあ、そうなったらさすがに親方の耳にも入るだろうからあそことは取引中止だな」

「ト~ニ~~!! 何でアンタはそんなに冷静で居られるのよっ」

 イェスペルは座ってるトニの両肩を揺さぶる。

「あいつ……パキト。燻ってるニッキーだけならやばいかも知れねえけど、パキトは案外自分を抑えられるし賢い奴だ。もしかしたら親方の狙いに気づくかも知れねえ」

「きっと気づいたからこんなに遅くなってるんです。僕は二人なら気づくと思いますよ~~」

 トニやフィービに立て続けに言われると、さすがのイェスペルも黙る他なかった。

「う~~むむ」

 その時、ドアベルが大きな音を立てた。待望の弟弟子たちの帰還だ。


「「只今帰りましたっ!!」」

 ぜえぜえと息を切らしながらも、帰還の言葉を告げた少年たちは満面の笑みだった。

「ニッキーちゃあん、パキトちゃあん~~!! 足中血塗れじゃない~~……」

 涙声でニッキーとパキトをまとめて抱き締めるイェスペルから抜け出そうとニッキーが暴れる。

「イェスペル先輩離して貰っていいすか! 早くこれ親方に届けねえと……!」

「親方! どこですか!?」

 パキトが大きな声でアガトンを呼ぶと、隣の部屋からのっそりとアガトンが姿を現した。

「何だ、随分遅かったじゃねえか。……手に入れたか?」

「はい、此処に」

 ニッキーが原石の入った布袋をアガトンに手渡す。アガトンは袋を開け中身を確認すると、大きく目を見開いた。

「……! この石を何処で買った」

「親方にご紹介頂いたジェンナーロ宝石店では石を売って貰えませんでしたので。……港の宝石店です」

「港……。何処の店だ。こんな……渡した原石と全く同格の品売ってるなんて聞いたことねえぞ」

「交易区をさんざん探し回っても見つからなかったボクたちに、リズさんが紹介してくれたんです。店主さんはおじいさんで、親方のことを……アガ坊って呼んでました」

 そうパキトが言うと、アガトンは手に持った原石をぎゅっと握り締めた。その手は震えている。

「っ! ……そのじいさんは黒い瞳だったか」

 アガトンの声が上擦っている。

「はい、黒の瞳でした。もうとっくに名前はすてて、港のコラキって言われてるらしいです」

「……そうか」

「それと、親方にコラキさんが“祝いだ”と伝えてくれって言ってました。あと、これお金の残りです!」

 残りの残額をアガトンに返すと、アガトンはパキトの頭を撫でた。羽を撫でるように、優しく、優しく。


「…………そうか、分かった」



 背もたれのある椅子に座ると、アガトンはニッキーとパキトに向けて話し始める。

「ニッキー、パキト。俺はな、もしジェンナーロの店で石を手にいれてこようもんなら正直お前らをぶん殴ってた」

 思わず少年たちは身を竦ませる。

「……」

「……」

「自分の身だけなら土下座しようが下働きして媚を売ろうが別に良い。だが、お前らはもうこの工房の一員だ。お前らの立ち振舞いで工房や職人の格が決まったも同然になる」

 机にあった五、六個の屑石を適当に並べ、その中央に先程買ってきた原石を置く。目の前にあった机にあった石たちを使ってアガトンが話を続ける。

「地方人なら地方人らしく、知恵を絞れ。相手の陣地で正面からぶつかって行くのは馬鹿の極みだ。……精々頭を使うんだな」

 屑石に原石を真っ直ぐぶつけることはせず、原石を回避させたり、屑石の上へ飛び越えさせたり、反対にアガトン側に逃げさせたりと、師匠は少年たちに回避の方法や知恵を教える。

 その石の動きを一番熱心に見ていたのはニッキーだった。最早、パキトが最初に出会った頃の、何もかも諦めていた彼ではない。

 ニッキーの青い瞳がみるみるうちに輝き始めたのを、パキトは嬉しく思った。


「ニッキー、パキト。ご苦労だった。水浴びをしたらもう休め。フィービ、使用人を呼べ。こいつらに足の手当てとありったけの肉を食わせろ」

 アガトンが椅子から立つと、買ってきたばかりの原石を持ってカッティング部屋へと向かう。

「はいっ! お疲れ様。ニッキー、パキト」

「……ニッキー、お前のこと見直したぜ。今度から俺の仕事も手伝え」

「ニッキーちゃん、パキトちゃん! 冒険話聴かせてちょうだいな!」

 次々と兄弟子たちの労いの言葉を耳にして、パキトとニッキーは顔を合わせて笑いあった。


 アガトンはカッティング部屋のドアを閉めると、原石を持った手に、祈るように額を付ける。

“師匠……ありがとうございます。貴方が俺の前から姿を消してから二つ名を貰ったこと、知ってたんですね。

貴方が純粋ロティオン人じゃないから評価してもらえなかったのがひたすらに悔しくて、俺の弟子に地方人を入れると決めました。

貴方のような、地方人の職人を一人前に育て上げるのが、俺の今の夢の一つです。

第一、この石がこんなに安いわけないじゃないですか。祝いだ、なんて優しい貴方らしいです”


「また……お会いしたいです。師匠」

 月を見ながら、アガトンは呟いた。



* * *


 無事、アガトンの耳飾りの納品や兄弟子たちの細々とした納品も終わり、一息ついた工房内は閑散としている。特に休息日の昼間は、イェスペルとアガトンしかいない。

 トニやフィービは実家に顔を出しに、ニッキーやパキトは交易区へ行くと言っていた。工房に入ってからやっと三月経ったパキトは大喜びでニッキーの手を取って階段を下って行った。また、使用人の殆どもそれぞれの用事を足しに出払っている。

 あの時、半月程残っていたパキトの工房付近以外へ行くことを禁ずる規則への罰を、アガトンは課さなかった。ただ一言、「その足を見たら罰を与える気が失せる」と言ったきりだった。

 師匠のことを考えていたら、部屋にアガトンが来たのでイェスペルはびくっと大きく身体を跳ね上がらせた。

「あ? イェスペルお前此処にいたのか」

「まあ……。次の作品のイメージを考えようかなって……」

「そうか」

 開け放った窓から風がゆるく入ってくる。

「ねえ、師匠。何でパキトちゃんを此処に入れたの?」

 イェスペルが真面目な声色でアガトンに尋ねる。珍しいもんだ、とアガトンは思った。

「……何だ? 気になるのか」

「ええ。だってニッキーちゃんに似たレアケースじゃない? 師匠が自分から弟子をする気で赴くのとは違う、向こうのご家族からお願いされたんでしょう?」

 アガトンは少し黙ると、イェスペルの目を真っ直ぐ見て言う。

「……まあ、最初はそうだった」

 豊かに伸ばされた髭を撫でながら、アガトンは弟子に喋り始めた。


「イェスペル。お前、手触りだけで瞬時に木の実の良し悪し判別して、袋を見ないで的確に投げ入れられるか? 何十袋も。 それに鉱山に行く客に対して、わざわざ客に似合う柄のスカーフを貸したりするか? そのうえ、文句言ってきた客に毅然とした態度を崩さずに、礼儀正しく謝れるか?」

 アガトンにしてはすらすらと言葉が出てくる。それを呆気に取られながらイェスペルは聞いていた。

「数ヵ月あいつと過ごすことで純粋にあいつはすごいと思った。……職人として育ててみたくなった」

 アガトンの言葉に、にんまりと青年は微笑む。

「……なるほどねえ。パキトちゃんったらやっぱり心鷲掴みハンターねん……」

しみじみとイェスペルは頷いた。

「何だその鷲掴みナントカは」

「こっちの話よ~~」

「それはそうと。お前の夢はまだ途中だろう、イェスペル」

 その言葉を聞いて、イェスペルの顔が変わった。何処か掴みどころがない表情からやる気がみなぎったギラギラとした表情に変わる。

「そうよ。彫刻家になるために入ったんだから、道の半ばね。金細工職人でも一流になってやるんだからん!」

「……全くうちの弟子たちは敵わんな」


アガトンは声を上げて笑った。




 交易区の屋台で買った羊の串焼きを頬張りながら、パキトは澄み渡った青空に向けて囁いた。

「また会えるかな……」

 その独り言を聞いたニッキーがニヤニヤと笑う。

「お前惚れたんだろ、リズさんに」

「ち、違いますよっ! ……でも王都にいたらいつか会えますよね」

 赤い顔で否定をすると、パキトはまた青空を仰ぎ見る。


「ボク、これからも頑張りますね」

 誰に向けた言葉なのか少年は自分でも決めていなかったが、きっと全てに対してだろう。


自分自身に言い聞かせるように。

工房の皆に伝えるように。

助けてくれた恩人や、敵視された人たちに想うように。

この街に誓うように。


夏本番の強い日差しがパキトを照らした。





ep.1 END.

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