第一話 王都・ロティオン 1-3

 


 あの一件から、パキトは休憩時間になるとフィービやイェスペル、手間の空いた字の書ける使用人に字の書き方を習っている。羽根ペンで何度も同じ字を練習するのは、早く書けるようになりたいと急くパキトには正直辛いがあの古地図のためである。

 とにかく書いて文字を頭に叩き込む、そんな日々を送っていた。

 それと驚いたことに、あのニッキーも時折字を教えてくれる。深夜の水がめでの語らい以来、親近感を抱いたらしいニッキーはパキトにだけは気さくに接するようになっていった。その話をイェスペルにすると、『んもう、パキトちゃんったら心鷲掴みハンターなんだからあ~~!』と頭をわしわしと撫でられた。

 その意味をパキトはよく分かっていない。

 故郷に居た頃は宿屋で使うような文字しか教えてもらえなかった。多分両親もそれしか知らなかったのだろう。もし故郷に帰省することが出来たなら、家族の皆にも字を教えてあげたい気持ちをパキトは抱いた。そのためには早く様々な字や文章を書けるようにならなくては。今度、家族宛に書く簡単な文字で綴った手紙で両親に報告してみようかと少年はくすりと笑う。

 そればかりではなく、天気の良い日の休憩時間や休息日は道の探索に赴く。イェスペルのくれた地図を片手に道をひたすら歩き、古い道が通れなくなっていたら×、新しい道が出来ていたら新たにその上に線を書き足していく。

 知らなかった道も多々あり、そのせいか純粋ロティオン三人組に次第に遭うことは少なくなっていった(正直、パキトが慎重に道を選んで避けているのもあるのだが)。ぬるい風に吹かれながらの探索はとても楽しい。

 パキトの心は半月前の壊れる寸前からみるみるうちに再生し、生き生きと躍動していた。


 とある日、アガトンが参った、と頭を抱えた。師匠の呻く声を聞いたその場にいた弟子全員が駆け寄ると、アガトンは様々な石の入った箱から一つの引き出しを見せる。

 その中には、制作している最中の耳飾りに使われる原石が一つだけあった。金属部分の装飾は出来たものの、これでは嵌め込む石が耳飾りの片側分しかない。

「親方、この品はどちらに……?」

「ロティオンの東の一部を治めている貴族の奥方から注文されたもんだ。……納品期限はあと二日」

 そうアガトンが言うと、イェスペルとトニが一気に青ざめる。フィービやニッキーも表情を硬くしてアガトンを見つめていた。

「……おい、ニッキー。そして、パキト」

「……はい」

「!? はいっ!」

 沈黙の中、アガトンから重たい口調で二人の弟子の名が呼ばれる。ニッキーは普段通りの顔、パキトは久しぶりに名前を呼ばれたせいかぎこちない顔をしている。

「宝石店は色々あるが。一番近くてうちと取引があるのは……ジェンナーロの店か?」

 ジェンナーロ、という名前を聞くや否やイェスペルとトニが一歩前へ出た。

「ちょっ……師匠! よりにもよってあそこなの!?」

「ジェンナーロの店は二人には……ちょっとキツいんじゃないすか」

「お前らは黙ってろ」

 次々と焦る兄弟子たちを黙らせるとアガトンは両手をニッキーとパキトそれぞれの肩に載せて念を押す。


「いいか、今日中にこれと同じ石を手に入れてこい」


 貴金属や宝石細工師の工房や材料を扱っている宝石店が列なっているこの場所を、人々は“泉の如く美しいものが涌き出る”と例えてピギ横丁と呼んだ。

 そんな横丁の中ですれ違う純粋ロティオン人の冷たい眼差しを受けながら、パキトはニッキーと共に先を急ぐ。宝石を型どった金属看板が目に入ると、ニッキーは「此処だ」と足を止めた。

 パキトは兄弟子の後を追ってアガトンから教えて貰った宝石店に足を踏み入れた。繊細で美しい音色のドアベルが鳴る。パキトが店内を見渡すとそこはまるで別世界のようだった。

 店中に飾り付けてある宝石や貴金属たちはまるで目映い星のように彼の目に映る。キラキラと輝くそれは工房の中と周辺しか知らないパキトにとって夢の世界のようだった。

 特に一番大きく飾ってある青の宝石は、空のようでもあり、深海のようでもあり、パキトを惹き込む何かがあった。思わず宝石に手を伸ばそうとすると、不快を形にしたような咳払いが彼の手を止めた。

 店内にはアガトンより年上の男がいた。水煙草を吹かした店主が気だるげに店内に入ってきた二人を見つめる。なんと横にはパキトを暴行した三人組の一人の背の低い少年もいた。パキトは一瞬苦虫を噛み潰した顔になる。

「ノトス人が何の用だ。ここはノトス風情が居て良い場所ではないぞ」

 静かだが、地を這うような低い声にパキトはびくっとする。横を見ると、ニッキーも顔が引きつっている。だが務めのため、ニッキーが口を開く。

「アガトン・クリューアルクトス工房から来ました、弟子のニッキーとパキトと申します。品質が素晴らしいこちらの宝石店の御店主で在らせられるジェンナーロ様に頼みがございます」

「何だ?」

「こちらを師匠から預かって参りました」

 両手でアガトンから預かった石を店主に渡す。

「その石をどうしてもあと一つ欲しいとのことでした……どうか売っては頂けませんか」

 指で原石を捏ねくり回すジェンナーロは暫く黙ったのち、鼻を鳴らした。

「ふん……元はこの石もうちで取り扱ってる品だ。だが、売れない」

 ぴん、とニッキーに向かってジェンナーロは石を弾き返した。

「何故ですか!?」

 ニッキーの焦る声に合わせて、パキトも顔を青くする。特にジェンナーロの店は、アガトンと直接取引がある。南方人の血が通っている自分たちが行くことで嫌な顔はされるだろうが、断られないと踏んでいた。

「南方人ごときにこんな高価な石を売れないと言っているんだ」

「お金なら師匠から預かって参りました……!」

 じゃり、とニッキーの鞄から金貨や銀貨の音がする。

「金の問題じゃない。私がお前たちに売るのが嫌だと言っている。我がロティオンをその浅黒い手足で汚しおって。南方大陸からぞろぞろと連れ立ってくる様は侵略されているようで身震いがするほどだ」

 両肩を抱きしめ、大袈裟に身震いするジェンナーロに、弟子の少年が涙ながらに訴える。

「師匠。このチビ、この前僕をにらみつけて唾を吐き捨てるのを見たんです。僕も師匠に賛成です、この人たちに石を売るべきではありません!」

「な……っ! ボクはそのようなことはしていません!」

 行ってないことをさもしたように言われ、思わずパキトは大声で少年に抗議する。

「……パキトはそのような行いをする子供ではございません」

「本当です、師匠!」

 店内に、パキトの正当性を主張する声やニッキーの気持ちを圧し殺した声、弟子の少年の弱々しい声が響く。


 その声がぴたりと止んだのは、ジェンナーロが目の前の机を杖で大きく叩いたからだった。

 低い声でジェンナーロは語り始めた。

「……そうか。可哀想に、私の弟子も迷惑を被ったか。おい、南方人ども。お前たちにチャンスをやろう」

 ジェンナーロは杖を付きながら前に出ると、杖を大きく床に打ち鳴らした。

「私の弟子への非礼を詫び、我ら純粋ロティオン人に対する敬意と賛美の声を上げろ」

 声は次第に大きくなっていく。


「そしてその浅黒い額を床に擦りつけ、許しを乞え! それなら石をくれてやる。……でな」


 最後ににやり、と髭で覆われた口がつり上がった。後ろの少年も愉快そうに目を細めている。

 パキトは自分の中の怒りを爆発させたい気持ちでいっぱいになった。頭の中では後ろにいる少年や店主に馬乗りになって殴りつけたい、そんな衝動的な想像もしていた。だが、今にでも攻撃的な行動をしそうな彼を唯一抑えているのは、半月前に言われたイェスペルの言葉だった。

『パキトちゃん……あなたは選ばれたのよ、あの人……アガトン・クリューアルクトスに』

『師匠を信じてあげて』

 親方の顔に泥は塗れない。

 イェスペルさんやトニさん、フィービさん。親方のご家族、使用人たち。信じてくれる人や期待してくれる人がいるならボクは――……。


「……くそ、……っ!」

「…………」

 ニッキーが観念したように片膝をつく。それをジェンナーロと弟子は今から獲物を食べるような猛獣のような目で見ていた。彼らは南方人が屈するのをただ見たく、そして喰らいたいだけなのだ。

 ニッキーが両膝を揃えて前傾姿勢になったその時。

「待ってください、ニッキーさん」

 小さな手でニッキーの肩に手を置いて彼の動きを止めると、パキトがやけに明るい顔でジェンナーロに向き合う。ただその瞳は暗く濁っていた。

「……それならいいです!」

「……何だと?」

 パキトの屈託ない笑顔はまるで信頼する人物にする表情だ。そこに薄暗い何かを感じ取ってジェンナーロは一歩後ずさった。

「パキト!? こうしねえと石がっ……!」

「帰りましょう、ニッキーさん。店主さんがおっしゃる通り、ここはボクたちがいる場所じゃない」

 ニッキーを立たせるとパキトは勢いよく頭を下げる。

「お時間を取らせてしまい、申し訳ありません。そしてお弟子さんへの非礼を心からおわびします。申し訳ありませんでした」

 そして最後に奥にいた少年をじっと暗い目で見つめた。その視線に少年は固まったまま、言葉の一つも出なかった。


「お邪魔しました」

 ドアベルが店内の空気とは違って軽快に音を鳴らす。

 ジェンナーロの舌打ちまでは、パキトたちの耳に届かなかった。


 二人はジェンナーロの店から工房前まで一目散に走って来た。パキトはぜいぜいと息を切らしながら笑って言う。

「き、緊張した~~! 未だに手震えちゃってるや」

「パキト! お前っどうするんだ!? 親方からも言われたろうが!」

 すごい剣幕でニッキーに詰め寄られるとパキトは苦笑いを返す。

「あっすみません……。あっ、でもここのお店は紹介されましたけど、必ずしもここで買えとは親方言ってなかったと思います。ただ、今日中までに手に入れてこいと言われただけで」

 ニッキーが言われたことを思い出しているのか無言になり、その後首を縦に振った。

「……確かにそうだな」

「それに、ボクだけだったらとっくに怖くて土下座してました。でも、アガトン親方の弟子のボクたちが土下座をして手に入れた石を親方は使わない……気がしたんです」

 ニッキーはその青い瞳を見開く。

 そして親方のことを考えてみると、目の前の少年が言ったことがあながち外れでもなさそうな光景が思い浮かんだ。

「……ああ。俺達が頭を床に擦り付けた分だけ親方の価値も下がっていく気がする」

「石は……ロティオン市民区のお店では可能性かなり低いですけど、ボクらでも簡単に買える場所あると思うんです。例えば……」


「「交易区……」」


「でも、俺は行けるけどお前は規則後半月残ってるだろ」

「ボクの罰と親方の納品をてんびんにかけるまでもないです」

 ふんっと鼻息荒くパキトが言うと、ニッキーは頬を緩ませる。

「……ぷっ、ははは! こんな奴だと思ってなかったぜ。お前、意外と度胸あんな、好きだぜそういうの」

「交易区に着いたらニッキーさんの目利きの出番ですからね。ボクは石をみなれてないから全く分からないので」

 期待の眼差しでニッキーを見ると、照れ臭そうに彼が俯く。

「……一応貴族出身だしな、しかも親方の石も借りてきてる。ま、頑張ってみるわ。しかも“今日中”までだろ、やってみんよ」

「行きましょう! 交易区へ!!」

 バシッとニッキーがパキトの肩を叩く。パキトも笑みを返しながら、ニッキーの後を付いて行った。


 ニッキーの案内で交易区の道を辿る。

 賑やかな交易区が段々近づいてくる度に、パキトのそわそわとした胸騒ぎが止まらない。早くあの場所へ行きたい。雰囲気を味わいたい。色んな人と出会いたい。暫く階段を下りたり上がったり、蛇行した道を歩いたりして、ようやく木の影から交易区に降り足を付けた瞬間、パキトの肌が泡立った。

 横にいるニッキーの声が聞き取りづらい程に鳴らされた楽器や歌声、それに合わせた踊り。異国から運ばれてきた果物や香辛料、金銀細工、民芸品、布織物。檻の中にはアヒルやうさぎや南国の鳥、大きい動物だとラクダや馬、ロバまで売っている。並んだ屋台から風に乗って来る美味しそうな匂いがパキトの鼻をくすぐる。

 静かに店先でコーヒーやお茶を嗜む人々もいれば、大声で商品を売る人や値切る人。人の顔つきや肌も様々で、パキトやニッキーも自然に溶け込んでいる。

 三月前に感じた、色や音、香辛料の波を思い起こさせる。身体が震えるような喜びと心が躍るのをパキトは押さえきれずにいた。

「すっごい……っ!!」

「いいだろ交易区。俺も毎晩ここに通ってんだわ。ここにいると皆が皆違うから、居心地が良くてよ。嫌な目で見てくる連中も居ねえし」

「ずーっと見て回りたいっ……!」

「あー……っと。目的忘れんなよ」

 ニッキーは弟弟子の首根っこを摘まみながら取り敢えず最寄りの宝石店へ向かう。

 

それから、様々な宝石店を回ったことでパキトが思うのは、親方から貰った原石のことだ。

 交易区の宝石店は、品数はあるものの品質にばらつきがある。親方から借りた石と比べてみたら一目瞭然だった。そこで改めて王侯貴族御用達のジェンナーロの店は一等品のみしか扱っていないことが分かった。店主の性格はどうであれ、さすがアガトンが契約先として選ぶだけはある……と少年は溜息を付いた。


 もうすぐ夕刻になる。太陽が沈み始め、辺り一面に橙の光が満ちてきた。

「さすがに……焦ってきたな」

 焦りと散々練り歩いたせいか、ニッキーの額には汗が滲む。

「はい……。でもあきらめるわけにはいかないで、す」

 疲れから、呼吸を乱しながらパキトが返す。

 だが、齢十と十四の少年たちの足は長く歩いた距離に耐えられず、次第に痛みを感じ始めた。足を引き摺りながら、広い交易区の中を距離に関係なく探す。

 親方に見合った石を。二人の少年たちは目的のため、どんなに小さな宝石店でもしらみ潰しに探していった。だが、王都で一番広い交易区でも目当ての原石を見つけることは出来なかった。


 辺りが段々と暗くなり、様々な店でランプが灯る頃になると、此処に来て初めて二人は交易区にある大広場の噴水の縁に腰掛けた。

「畜生……何で見つからねえんだ……」

 涙声でニッキーは呟く。

「ニッキーさん……ごめんなさい。ボクがジェンナーロさんのお店で言ってしまったから」

 弱音を吐いたパキトの胸ぐらをニッキーが掴む。

「パキト、てめえ。……自分で決めたんだろ、師匠のこと思って純粋ロティオン人に屈しなかったんだろ! もっと胸張れよ!」

 最後には涙声になっていったニッキーに、パキトも涙ぐむ。そして胸ぐらにある手をぎゅっと握る。思いが伝わるように。以前兄弟子が少年にしてくれたように。ニッキーは思いが伝わったのか力強く握っていたパキトの服を離した。そして反対側に身体を向けた。

「はい。……ニッキーさん、ボクを信じてくれてありがとうございます。でもこれから……どうしましょう」

「どうするも……どうしようもねえよ。だって見つからねえんだ。手ぶらで工房に帰ることなんて出来ねえよ……」

 膝を抱えて蹲るニッキーを横目にパキトも身体中がクタクタで今すぐ倒れてしまいそうだった。疲れきった少年は薄く開けた目でランプの光をぼんやり見つめていた。


 だが、そこに一瞬影が写った。

 長いうねった髪を靡かせ、大股歩きで進む人の姿をパキトは認識するとしっかりと目を見開いて改めて確認した。

 あの人は――……!!


「リズさあ――ん!!」

 パキトは力の限り大きな声で雑踏の中にいる彼女に呼び掛ける。

「!? おい、パキトどうした。大声出すな」

 突然叫び出した弟弟子や、大声で街を歩いていた群衆が戸惑っている姿にニッキーは恥ずかしさを覚え、注目を浴びたくなくてパキトを止めようとする。


「リズさん助けて下さい! あなたの助けが必要なんです――!!」


少年は、目をぎゅっと閉じて自身の持つ最大限の声で彼女の名を呼んだ。




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