第一話 王都・ロティオン 1-2
「パキト、休憩行ってきていいぞ」
「はい! 今、片付けます」
先程までふいごで温度を上げるのを手伝っていたパキトだったが、炉から目を離さないトニの言葉に返事をして、周辺の散らばった道具類を片付け始めた。
ここに来てからもう二月が経とうとしている。
季節はもう夏だ。ぬるい潮風が南から吹く。
工房に足を踏み入れたその時から、パキトは金細工職人の弟子となった。
兄弟子は他にも四人おり、多忙な親方のアガトンに代わり、主に仕事の指示や弟弟子の面倒を見るのは第一弟子のイェスペルだ。
第二弟子のトニは寡黙で口下手だが、手先が器用でまさに職人を体現したような青年だった。パキトは主に彼の補佐兼雑用をしている。
第三弟子のフィービは一言で言うとおおらか。体格もふくよかで、性格ものんびりしているのでアガトンの子供たちの遊び相手になっているのをパキトはよく見かける。
第四弟子のニッキーは兄弟子たちの中で一番やる気がない。というのも、親に無理矢理入れられたからである。 アガトンと貴族であるニッキーの父が知人なのもあり、アガトンが断りきれなかったらしい……とフィービが教えてくれた。 ニッキーはイェスペルの補佐と雑用の仕事以外は何処かへふらりと出かけてしまう。大体、夕食を終えてから明け方までニッキーは帰ってこない。
工房の裏口から出て、髪に巻いていた手ぬぐいを取り払う。外の生ぬるい風を受けてすぐに額が涼しくなると、パキトは深く長い溜め息を吐いた。
汗で湿った手ぬぐいを風に扇がせながら、少年は今まで暮らしてきた環境を改めて考える。
―――― 当たり前だけど、宿屋の仕事とは全く違うや。
宿屋でも基本的な部屋の掃除や食事の用意から始まり、帳簿付けは勿論、それぞれの月の予算や季節に合わせたもてなしの変更や提案、契約している仕入れ先の商品の品質チェック。
加えて接客や食事の配達、簡単な周辺のガイドも含めると、その仕事は内外関係なく多岐にわたった。
だが、職人は原材料の金属類や宝石の品質チェックを丹念にすると、工房内でひたすら作品を創り続ける。下手をすれば数週間も工房にこもりっぱなしなことも多々あった。そして制作中は、昼夜構わずろくに食事も摂らず炉や机に向かい続ける。
そのため、作品を作り終えた親方や先輩たちは貪るように食事を平らげた後、死んだように眠り続ける。そしてまたある程度休んだらまた新たな作品の構想を練ったり、依頼者の希望するデザインを考えて提案し、制作し始める……の繰り返しだ。
ひたすら客のことを考え動く宿屋の仕事と、自分の身を削りながらも作品を創り、結果客を喜ばせる職人の仕事。
パキトにはこの二つの仕事は全く違うものとしか思えなかった。そして前者に慣れきった彼には後者のひたすら工房内で何かをするといった仕事は少々単調に感じられた。
さらに、アガトンの工房では見習い職人は入ってから三月は街を出歩かないことと規則で決められているため、工房周辺しか出歩けず気持ちが晴れないのは当たり前のことだった。目の前の手すりに身体を預けてまた溜め息を吐くと、眼下の賑やかな街並みを見る。それが最近のパキトの密かな楽しみだった。
遠くから運ばれてくる喧騒、音楽、彩り。それが今の彼を元気付けてくれる唯一の娯楽であり息抜きであった。
だが、突然穏やかな空気を引き裂く無粋な声が響き渡った。
「おい、
投げかけられた言葉に我に返ると、パキトは横を見た。そこには三人の少年たちが居て、ニヤニヤと悪い笑みを浮かべている。茶色の髪に青い瞳―― 純粋ロティオン市民だ。
「何?」
「何? じゃねえよ。何でノトスがここにいるんだよ? ここは王侯貴族御用達の装飾品横丁だぜ?」
せせら笑いをしながら恰幅のよい少年が答える。
「南方人が居ちゃダメなの?」
そうパキトが答えると三人がまた嫌らしく笑う。すると三人のうち一番背が大きい少年がパキトの前に出た。
「ダメに決まってるだろ? 高貴な方々がお召しになるものは純粋ロティオン市民が作った装飾品こそが相応しい。そんな浅黒い手で作った装飾品なんて触りたくないだろうよ」
三人の中で一番小柄な少年も口を開く。
「下働きだが何だか知らねえけど、目障りなんだよな。消えてくんない?」
パキトは故郷で父母から言われたことを思い出していた。
『王都に行ったら、もしかしたら南方人だからと嫌なことを言われるかもしれない。気をつけるんだよ』
今までは軽く考えていた。それは港についてから工房で働いている今も、嫌なことを言われたことがなかったからだ。でもその意味がようやく分かった。いや、分からせられた。目の前のまるで汚いものを見るような目付きで見る三人の少年たちによって。
パキトは大きな声で少年たちに向かって言った。
「嫌だ。ボクはアガトン親方に許しを得てここへ来たんだ」
アガトンの名前を聞いて、ぴくっと少年たちが固まる。だが、背の高い少年が引きつるような笑みで吐き捨てる。
「……アガトン様に? あの人は偏屈な変わり者さ。純粋ロティオン市民の癖に色んな地方人を入れやがる。横丁の奴らは迷惑してるんだ」
パキトはカッと全身が沸き立つのを感じた。
「親方は偏屈なんかじゃない! 君たちが勝手に言ってるだけだろ!」
「うるさい! 南方人の癖にロティオン市民に楯突くなっ!」
恰幅の良い少年がパキトの頬に強く平手打ちを入れる。身体の小さなパキトはそれだけで倒れてしまった。
倒れた後、三人の少年たちに囲まれ蹴られたり叩かれたりするのを、パキトはうずくまって耐える他なかった。何故南方人なだけなのにここまでされなければいけないのだろう。悔しくて涙が出た。
暫くのち、少年たちの気が済んでようやく解放された頃には全身が強く痛み、すぐには立つことが出来なかった。民家の壁に掴まりながらゆっくりと身体を起こすと、口の中で血の味がするのに気がついた。
このままでは仕事場には戻れないと困惑していると、工房からフィービがこちらに向かってくるのが見えた。
フィービはパキトの姿を見るや否や真っ青になりながら肩を貸し、理由は察したのか聞かないでいてくれた。そして工房に帰るとトニは咎めるわけでもなくただ、休めと言った。
それがパキトには有り難かった。
「フィービさん、聞いてもいいですか?」
手当てをしてベッドに横になる際に、フィービに聞いてみる。
「うん、何?」
「南方人ってここにいちゃいけないんですか。この手で作った装飾品は誰も身につけてくれないんでしょうか」
フィービはその言葉を聞くと悲しそうに眉を寄せた。
「……そんなことないよ。確かにこの横丁で地方人……特に南方人を見習い職人として雇っているのはここだけだけど。職人は職人だよ。そこに純粋市民も地方人も関係ない」
パキトの浅黒い手をフィービのふくよかな手が握る。その手は幼い頃に好奇心で手を当ててみた山羊の腹の感触を思い起こさせた。
「とりあえず、今日はゆっくり休むんだよ」
その日の夜中に、パキトは目が覚めた。
薬草が塗られた包帯も変えられているし、寝ている間に工房の使用人がやってくれたのかもしれない。一度起きてしまったので、水を飲みに行こうと一度起き上がった。相変わらず強い痛みがある。骨は折れてはいないようだったが、服を捲ってみると赤黒く変色していた。完全に治るのに何週間かは掛かりそうだ。
壁づたいに工房内の水がめまで歩くと先客がいた。
純粋な南方人に比べると薄いが色の濃い肌に茶色の髪と青い瞳。ニッキーだ。
「あ? お前怪我してんのかよ」
「まあ……。ちょっと喧嘩しちゃって。ニッキーさんは?」
「見ての通りだ。喉渇いちまった」
ニッキーは手に持ったマグを軽く掲げると柄杓で水を注ぐ。パキトも持ってきた自分のマグに水を注いで貰った。
お互い適当な椅子に座ると、ニッキーがパキトの緑の瞳を真っすぐ見て言った。
「なあ。お前は自分から志願したのか?」
「うちは父が頼み込んで入れて貰った感じです」
苦笑いでパキトが言うとニッキーは頭を掻く。
「あー……うちと同じか?」
「?」
「……俺の家、一応貴族でさ。親父が使用人だった南方人の母親に手付けて生ませたのが俺で。そのまま屋敷にいると周りの視線も痛いし。親父も俺の扱いに困ってるっぽくてとりあえず此処に入れられた」
「……そうだったんですか。やっぱり南方人はどこでも嫌な目で見られるんですか」
貴族であるニッキーも親や使用人たちから疎まれていた。パキトは彼に親近感を覚えると共に、自身も今日浴びせられた罵倒の数々を思い出す。
「いや。このロティオンでも港のある南地区や南方人居住区、交易区では何も言われねえ。でもロティオン市民区は別だ。ここも高台で気づきにくいがロティオン市民区に入ってる」
「ロティオン市民区……」
「言葉通りさ。奴らはロティオン市民同士の間に生まれる純粋ロティオン人しか認めねえ。俺みたいに半分ロティオン市民の血が入ってても爪弾きにされる」
ロティオン市民にとっては、自身らの区を作って他の場所と区別することで自分たちのプライドを守っているのかもしれない。だからあんなに攻撃されたのかとパキトは思案する。
昼間の少年たちにとっては、パキトは自分たちの大切な場所に汚い足で入ってきたようなものだったのだろう。純粋ロティオン市民はプライドが高い、とパキトは一つ学んだ。
「まあ、ロティオン市民に多大な貢献をした奴は名誉ロティオン市民っていうのになれるらしいけどな。俺にとっては奴らに媚びへつらって手にいれた椅子にしか思えねえ」
ぐびぐびと喉を鳴らして水を飲み干すと、ニッキーは皮肉げに嗤った。彼は工房の裏口から出ていく際にパキトに呟いた。
「俺たちは、この区ではただ忍んで生きていくしかないんだ」
寝床に戻った後、パキトは色んなことを考えて寝付けずにいた。
何故うちの両親はアガトン親方の元へパキトを行かせたがったのか。パキトを入れて兄弟が八人も居るから手離したのか?……など想像は悪い方向へどんどん進んでいった。
それに工房に入った日から親方とは一度も話せていない。しかも二月経つのに未だに雑用中心で掃除ばかりしている……気になることは幾らでもあった。
パキトは職人のことも何も分からずに放り込まれたのだ、あのニッキーのように。自分が志願したわけではないのに、親に決められて――……。
一度根付いた暗い想像は寝入っても悪夢となってパキトを襲った。パキトはただ知りたかった。
自分は何故、ここに来たんだろう。
あれからも工房の外に佇んでいると、あの少年三人組に目をつけられ手を上げられることが増えた。上手くかわせばいいのだが、避けようとすると自分だけではなく親方や先輩の悪口を言われるのでパキトはつい相手にしてしまう。
ただフィービに一つだけ、相手に手を上げないことを約束された。それはパキトが殴り返してしまうと自分が相手と同じ位の悪い人間になってしまうから、とのことだった。
パキトの身体の傷も心の傷も数えきれないくらいに多くなっていった。沢山の薬草を使っても治せないくらいに身体よりも心の傷が広がっていく。遂にパキトが休憩につく際に使用人の誰かがつくようになると、ますます彼は心が折れそうになっていくのを感じた。
今日の休憩時の監視役は使用人ではなく第一弟子のイェスペルだった。パキトは兄弟子にまで気を遣わせてしまったのか、と悲しく思った。
イェスペルは目の前の階段に座るようにパキトを促すと、自身も腰を下ろす。
心配そうな顔をしたイェスペルがパキトに問う。
「パキトちゃん、怪我が増えてくわね。最初から比べてもかなり暗い顔するようになっちゃって。……話してごらんなさい」
「……」
「どうしても言えない?」
黙りこくるパキトにそっか、とイェスペルはパキトの頭を撫でる。そしてすぐ口を開いた。
「それならアタシの話、してもいーい?」
「?」
不思議そうに見上げる少年の目をじっと見ながら、イェスペルは話し始めた。
「アタシはこの工房に十二になった頃来たの。アタシの故郷は王国の北の端っこの小さな村。でも十一年前のリエルグランテのスタグリア侵攻のとばっちりで各地で紛争が起きて、アタシの村にもリエルグランテ兵が略奪に来たの。それでアタシの家族は死んだ」
家族が死んだ? パキトは家族が死ぬなんて一度も考えたことなんてない。驚愕の顔を見せる少年の横顔を見ながらイェスペルは話を続ける。
「運良く助かったアタシは思ったわ。一度死んだ身なら好きなように生きてやるって。だから王都に来たの。交易区の大広場で、好きだった似顔絵描きや水を浸けたブラシで地面に大きな絵を描いて日銭を稼いでた。そしてある日、アガトン師匠と出会った」
「……すごいですね、ボクには出来ない。泣いてどうしたらいいか分からなくなって、その場から動けないと思う」
そうパキトが真顔で言うと、イェスペルは穏やかな顔をしてふと遠い目をして言った。あの頃を思い出しているのだろう。
「アタシも悲しすぎて頭が麻痺しちゃってたんだと思うの。だから突拍子もないことをしちゃったのね。この工房に来てからはやっぱり純粋ロティオン市民にからかわれたり殴られたりしたわ。それにこの性格じゃない? いーっぱい嫌なこと言われたっ」
笑みを湛えながらも吐き捨てるように言うイェスペルはもう吹っ切れているようで、その言葉にもう怨みの気持ちはこもっていないとパキトは感じた。
「でもね、師匠が拾ってくれなかったらアタシは此処にはいないわ。それにあの人は“才能”を見る人よ。職人に向いているかいないかを見分ける目を持ってる。だからパキトちゃん……あなたは選ばれたのよ、あの人……アガトン・クリューアルクトスに」
「!? アガトン親方は……“二つ名”持ちなんですか」
「知らなかったの? あら、でも二つ名のことは知ってるのね」
「南方大陸でも知らない人はいませんよ! 王国民最大の名誉じゃないですか……」
二つ名―― それは、王本人や王侯貴族、市民に多大なる貢献をした者に王自らが贈る“名前”だ。
その名前は一族代々に受け継がれ、邸宅も貴族街に持つことが出来る。それに二つ名は王国最大の誉れと、何よりも身分の保証になる。
一例を出すと、二つ名を持つ者は国内外の移動を各国(但し、同盟国に限る)の通行手形無しで容易に行うことが出来る。だからこそ、アガトンはパキトの住んでいた辺境の村へと来ることが出来たのかもしれない。
「あの人、二つ名を貰ってから初めて取った弟子が地方人のアタシで、色んな意味で注目の的だったわ~。本人は全く気にしてないからいいんだけど。その後のトニは直接弟子にしてくれって直談判してきて、フィービちゃんは市民区で織物が上手いって評判になっててそれで師匠がスカウトしに行ったのよねえ。ニッキーちゃんも多分あの子無理矢理親に入れられたって思ってるんでしょうけど、それはないわね。どんな大貴族の頼みでもあの師匠が才能がない子を工房に入れるはずないもの」
だから、と最後にイェスペルはパキトに向き合って両手で小さな手を握りこんだ。
「師匠を信じてあげて」
今日一番の彼の柔らかい笑み。
ただ、強く手を握り続ける。まるで思いが伝われと念じるように。その温かい手はパキトの冷たくなった心をじんわりと温めてくれる。
「……それに、職人ってね。下積みがすごく長いのよ。アタシだってこの間やーっと全部の工程を任せて貰えるようになったとこ。パキトちゃんがやってる雑用、アタシあれ三年はやったわ~。でも慣れた頃に新しい発見があったりしてあながちつまんない作業じゃないのよ。雑用しながら先輩の仕事のやり方も観察出来るし。だから、ま~だめげちゃダメ!」
「……はい」
まさかそんなに下積みが長いとは。パキトは二月で音を上げていた自分を恥じた。
「あっ、それとこれ。 いつも頑張って喧嘩してるパキトちゃんにプレゼントよ! 後で開いて見なさいな。……さて、アタシは仕事に戻るわねん」
折り畳まれた小さな紙片を小さな手のひらに載せると、青年はゆったりと工房に向かって行く。
「あと一月、頑張りなさい」
イェスペルの呟きはパキトの耳に入らずに風にのって消えた。
パキトは渡された紙片を開いてみる。
「……!」
それは此処周辺の地図だった。入り組んだ階段や坂が何処に繋がっているか記してあり、市民街から交易区に出る抜け道も書いてあった。
随分と古い物のようで、手描きの絵や字の線がガタガタで汚いのは、もしかしたら此処に来たばかりのイェスペルが書いたのだろうか。
自分は何のために此処に来たのか、ずっと考えてきた。
これからも酷いことや嫌なことが待ち受けているだろう。痛い思いも悲しい思いもするかもしれない。
でも必要としてくれる人がいるなら。応援してくれる人がいるなら。期待してくれる人がいるなら。
―――― 耐えられる。
パキトは階段から立ち上がると、初夏の暑くなり始めた日差しを目一杯浴びた。そして工房へと歩き出す。
やりたいことが増えた。
まずは貰った地図を新たに書き込んで詳しくしよう。約十年くらい前の地図だ。古くなった道が消えていたり、逆に新しい道が出来てるかもしれない。
そして上手くいけば、あの三人組に会わずに行ける道があるかもしれない。
でも一番やるべきことはは字の練習だ。面倒見の良いイェスペルさんやフィービさんに言ったら教えてくれるだろうか。
それから、トニさんの仕事のやり方も少し気にかけてみよう。そして出来たら、今度ニッキーさんにも仕事中話しかけてみよう。
そして、何より……アガトン様を信じてみよう。
久々にパキトは笑みをこぼした。
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