第一章 大交易都市・ロティオンにて

第一話 王都・ロティオン 1-1



ひと目では決して追えない色彩の波が少年を襲った。


 南方からの連絡船から降りて、港からすぐの街の外門へと歩いていくとすぐにそれはやってきた。

 その波は、色とりどりの布や装飾品、見たことのない色の髪や肌、おまけに香辛料の匂いを纏わせて少年の身体を通り抜けて行った。

 目がチカチカする、と少年は純粋に思った。故郷には決してないその光景を見て、少年は少しだけ望郷の念に駆られたが、これから待ち受けている新生活への期待や不安の方が大きかった。その小さな身体全体が心臓になったようにドクドクと強く鼓動している。

 アンフィポータズ王国最大の都、ロティオン。これからここが自分の新しい居場所となるのだ。


寄せては返す波の中へ少年は一歩、また一歩と踏み出して行った。


 港からすぐの外門は一際人が多く、紙や平たい石に何かを書き付けて持っている者や叫んでいる者、また歓迎の代わりに踊る女性までいる。それらをぼうっと眺めていると、不意に肩を叩かれた。

 「はぁい、お兄ちゃん! ロティオンに来たの初めて?」

 焦げ茶色の巻き毛に青い瞳。背も高く、白く輝いた歯が爽やかではあるが、距離が近すぎる。

「は、はいそうですけど……」

「そうなんだ!じゃ、オレのとっておきのロティオン歓迎の歌なんてどう?」

「へ?」

 殆ど距離がなくなり密着状態になると、男は高らかに王都ロティオンの歌を唄いあげる。


 おお、強国アンフィポータズの王都にして豊かなベール・ロス内海に華やぐ海の女王ロティオン。

 古今東西、今も世界の全てから人や物が集まる我が都、見るもの聞くもの皆が夢のよう。

 栄えあるロティオンの街を見守るのは古の国宝エルピスの鐘。

 その妙なる音はロティオンはおろか海原を越えた遠き大地にまで響き渡ることだろう――――


 あまりにも歌が長すぎるので、少年は途切れ途切れしか覚えていられなくなった。それからも暫く男は似たような歌詞で歌い続け、少年の頭が眠さでぼんやりとなっていたところでようやく歌が終わった。

 「どうだったー? やっぱこれ聴かないとロティオンに来た気がしないってオレのお客さん皆言うんだよー。ってことで!」

 ビッ! と手のひらが出される。


「一曲五プロートだよ!」


 少年のぼうっとした思考がいきなり現実に切り替わる。五プロート、幾らなんでも高い。

「そっちから勝手に聴かせてきたんじゃないですか!!」

 焦った顔で少年が食って掛かると、男は肩をすくめ耳元で囁いた。

「あー、あんまり大きな声出すなよ。それじゃさ、俺を導き手ガイドとして雇ってくれればチャラにしてやる」

導き手ガイド……?」

 聞き慣れない言葉に少年は小首を傾げる。

「お兄ちゃんの目的の場所まで案内してやる。まあ、ガイド料は頂くけどな」

 にや、と男の顔が醜く変化する。歌を歌っていた時とは別の嫌らしさに少年は立ちすくんでしまった。

 故郷の村には、このような弱者に対して搾取をするような人間はいない。まるで未知の生物に会ってしまったように、少年はただ、ただ男の顔を見るしかなかった。

 少年の手のひらが男によって繋がれ引っ張られそうになったその時――――


「待って」


 少年の目に広がったのは金茶色のうねった長い髪だった。

 ここまで来た気配もなく、その少女は男の後ろからすっと現れるとまずは繋がれた手を無理矢理離した。加えて、次の瞬間には背中と腕で少年を庇うようにして少年と男の間に割って入る。この一瞬で少年は、靄がかかった思考から脱することが出来た。


“何だか分からないけれど、この目の前の人がボクを助けてくれようとしている。”


「変な導き手にひっかからないで」

「へ、変な導き手とは失礼な! 大体お前こそ、その出で立ち、我がアンフィポータズとは関係ないだろう!」

 男の声が上擦る。

 少年も背中から少女を観察する。髪の手入れもあまりしていないであろうボサボサの長い巻き髪に、男物の服。そして背面に鉈のような短剣を身に付けている。肌は白く、髪色も違うためアンフィポータズ人ではなさそうだ。

 だが、少年は前に立ちはだかってくれているこの少女を頼るほかなかった。また少年の中で直感的に、少女は信用出来ると思ったのか逆に安心すら感じていた。

「そいつ、かってに歌って困ったおきゃくさんをむりやり導き手としてやとわせるの。それが手口なのここではゆうめい」

「よそ者の癖に、オレの商売にケチつけてんじゃねぇよ!」

 男が拳を少女の前に突き出すと、少女はそれを難なくかわし、逆に男を引き寄せると鳩尾に膝を打ち込んだ。

「グッ……」


「ここでさわぎを起こしたらもっとあなたのしょうばいがあぶなくなるけど……それでもやる?」

 淡々とした少女の囁きに男はうずくまりながら顔を青くする。その後、ぶるぶるとやっとの思いで立ち上がると、男は雑踏の中に姿を消した。

 男が姿を消した後、控えめな口笛と拍手がその場で起こった。少女はその様子に溜め息をつくと少年に向き直る。

「あなたのやといぬしのアガトンからむかえに行けって言われた」

 知った名前を出されて、少年は一気に少女に詰め寄った。

「!? アガトン様を知ってるんですか! じゃボクの導き手は……」


「わたし」

 逸る気持ちを押さえ切れない少年を、腰に手を当てて紫の瞳で見つめているこの人が。

 一気に緊張が解けたのか、少女の両手をぎゅうとにぎる。

「助けて下さってありがとうございます! ボクはパキト! 今日からアガトン様の工房でお世話になります」

 その熱意に、ふっと小さな笑みを零す少女も自身を紹介する。

「リズ。異国人教会にすんでる。よろしく」


 港から街の奥に進むにつれて、坂道が多くなり、階段が住居と施設の間を入り組んだように通り抜けている。また、その段下も通り抜けられる空間が多数点在するため、上へと続く道はどこに繋がっているのかもわ分からない。

 その上、街の壁と屋根はすべて白と赤瓦で統一させており、一見や数回訪れた旅人は言わずもがな、多くの旅人が迷う一因となっていた。ただ目の前の階段を登り続けていたら一体自分がどこにいるのか分からなくなると、多くの人々が言う。

 だから導き手という職業が生まれたんだ、と港のバザールにいた老人がパキトにそう教えてくれた。確かに導き手なしで目的地まで辿り着ける気がしない。

 それにしても、パキトが驚いたのは雇い主のアガトンが自身に導き手を派遣していたことだ。もしあのまま、あの胡散臭い男に導きを頼んだら適当なところで登らされたあげく脅されて有り金を奪われていたかもしれない。そう思うとゾッとする。

 心の中でそっと、何度目か分からないほど、雇い主へ感謝の念を送った。


 さっさと階段を登っていくリズに対し、パキトはぜいぜいと息をしながら足を動かす。汗が止まらない。

 たまらずに持ってきた木で出来た水筒を出すとすっと涼しい潮風が通り抜ける。

 それに導かれるように後ろを振り返る。右手には彼方にある水平線が見えた。その光景に故郷を思いながらも、眼下に広がる景色に視点を移していく。賑やかだった外門や港のバザール、南の大広場など通ってきた場所がとても小さく見えた。

 中央にはここまで声が聞こえてくるほど、一番人通りの多い交易区が見える。人々がまるでまとまった胡麻粒のように見えた。ロティオンの中でも特に場所が広く、世界一と呼ばれるバザールや隊商たちキャラバンをもてなす施設があり、常に人でごった返している……、と楽しそうに語るバザールの老人を思い出す。

 また点在する大広場や大きな屋敷や施設が幾つもあり、パキトは改めてロティオンの街の規模を目の当たりにした。

 左手には王宮や貴族が暮らす丘があったが、そこは他の市民や庶民とは一線引いた場所にあった。しっかりと丘全体を城壁で囲んでいるのをパキトは不思議に思った。安全な街の中で敵襲が来るわけでもないのに、何故あるんだろう。確か、街の端にもそんな場所があった。

 しかし、疑問はすぐに泡のようになって消えた。だって自分はきっと一生行くことがないだろうから、考えていてもしょうがない。


――それにしても随分登って来たもんだなあ。それにボクは本当に遠いところまで来たんだな……。


「パキト、どうかした? 工房はもうすぐ」

「ううん、何でもないです!」

 街の景色に見とれていたパキトは水筒の中の水をぐびりと飲み、階段を登ることを再開した。


 ようやく最後の階段を登りきると、小さな広場が見えた。そしてすぐそばに金属で打ち付けられた、髪の毛まで繊細に表現された貴婦人を型どった看板が目に映る。リズが看板の下のドアをノックし、開けるとカーン、カーンと金属を叩く音が耳を打つ。リズの後ろからおそるおそる工房に入ると、背の高い、灰色の長髪を一つにくくった青年と目が合った。 途端に、近寄ってきた彼にパキトは捕まった。

「新人ちゃんこんにちは~っ! アタシ、イェスペルっていうの! 師匠の一番弟子なのよ。こんなに小さな子が来るなんて聞いてなかったわ! 何歳?」

「前月……十歳になりました」

 逞しいイェスペルの腕の中で窒息しそうになりながらパキトは答える。

「十! かわいい~!! 困ったことがあったら何でも聞いてね!」

 頬擦りのジョリジョリ感がまだ抜けない中、イェスペルに開放されたパキトはこちらを見ていた青年に挨拶する。

「今日からお世話になります、南方大陸のアンモス村から来ましたパキトです。宜しくお願いします!」

「よう。俺はトニ。あんまり気張らないでやってけ」

 さっきから聞こえていた金属音はトニのものだったようだ。トニは口下手らしく、挨拶を済ますとすぐ自分の作業に向かっていった。背中に向かってパキトは軽く頭を下げる。

 先輩二人は良い人そうだと内心ほっと息をつく。頭を上げると目の前に見慣れた姿を見つけた。

 工房の奥で机で一心に書き物をしている初老の男は、以前故郷で見た面影そのままだったが、上等な織物を羽織っていた。また一心不乱に羊皮紙に書きつける姿を見ると、まるでどこかの貴族のようだ。

 辺境の田舎から出てきた庶民のパキトと接するには、少々近寄りがたい雰囲気を醸し出していた。

 一緒に木の実の殻を剥いて夕食の下拵えをしていた頃が懐かしい。


 アガトンとはパキトの故郷で出会った。

 アガトンが宝石の採掘場を見学する際に、数ヵ月滞在したのがパキトの両親が営む宿屋だったのだ。パキトも食事の下拵えや掃除などを手伝っていたので、アガトンとも次第に顔馴染みになり、軽い会話も交わすようになっていった。

 滞在最終日の夜、珍しくひどく酔ったパキトの父がアガトンに、パキトを弟子として雇って貰えないかと軽く言ったことが始まりだった。アガトンは手に持ったマグを置くと、少し時間を貰えないかと深く思案し始めた。そこでパキトの父は酔いが覚め、自分は何てことを言ってしまったんだとみるみるうちに顔が青くなっていった。パキトの母も焦って失言をした亭主をバシバシと叩きながら、夫婦揃って青い顔をして冗談だったんですと弁明の言葉を発するその時に。


『いいですよ、じゃあ三ヶ月後に来て下さい』


 そうアガトンは何もなかったかのように沈黙を破ると、葡萄酒を呷った。

 アガトンの一声で静寂が満ちた宴の会をパキトは未だに忘れることが出来ない。


“王都の一流金細工職人の弟子に、辺境の村の宿屋の息子がなる!”

 その一大ニュースは翌朝には村中を駆け巡っていた。


「パキト、よく来たな」

 椅子に座っても目線はアガトンの方が上だ。そのことに気付いたのか、少し口元を緩ませたままアガトンがパキトに話しかける。

「はい! リズさんを派遣して下さってありがとうございます! おかげで迷わずにすみました。今日からアガトン様の工房で働けるなんて夢みたいです……」

 自分の額が自分の足につくほどお辞儀したパキトに、アガトンは苦笑いを返しながらいつもの姿勢に戻るように促した。

「言っておくが、うちの工房は実力主義だ。実力とセンスがあればどんな奴でも受け入れる。反対に半端に投げ出すようだったら二度と工房には入らせねえ。それが俺の流儀だ」

「はい」

「へこたれんじゃねえぞ、お前には期待してる」

「はい! 宜しくお願いします!!」

「新人ちゃんあんなにちっちゃいのに元気果汁丸しぼりって感じよね~! アタシも負けてらんないわぁ!」

 ピンセットで土台に宝石を埋め込む作業をしていたイェスペルが反対の腕で力こぶを作りながら気合いを入れるのをトニは微妙な顔をして見ていた。

「果汁……って何だよ」

「フレッシュさ! よんっ」

 イェスペルはウインクをトニに向かってすると、トニがそれを払いのける。一番弟子と二番弟子のいつもの光景である。


「リズ。ほら、導きガイド代だ」

 アガトンはリズに、金の入った袋を手渡した。

「リズさんはボクが変な人に絡まれてたところを助けてくれたんです!」

 横からパキトが言うとアガトンがふむ、と顎に手をやる。

「そうか、じゃこれも持ってけ。お前んとこのシスターが喜びそうなやつだ」

 投げられた大ぶりな人参数本をリズは難なくキャッチする。そのまま小脇に抱えるとアガトンに向き直った。


「アガトン、ありがたくもらっておくね。パキトもまた」

「リズさん、また! ありがとうございました!」

「リズちゃんまったね~~!」


 リズに何回もお辞儀をしながら、パキトは彼女にまた会えるだろうかとふと思った。工房に向かう途中の高台から見下ろした大都会の中で、あの沢山の人々を丸ごと受け入れるほどの街の中で、またリズと出会えるだろうか。

 だが、不思議とまた会える気がした。何故なのかはパキトにも分からない。

 リズは工房の扉を閉める瞬間、パキトに向かって口だけで笑みを作った。


 これが答えだと、少年は思った。

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