第四話 金髪の魔法使い 4-3



 ノルトラムの余計な一言で大変気分を害したフロレンシアは料理中も殆ど口を開くことはなかった。それに加え、終始無表情で手早く作業をこなしていく様は普段の彼女とはまるで別人で、親友の少女は次第にしかめ面になっていった。

 珍しく焦ったリズは厨房の隅にノルトラムを呼び、元凶の彼にきちんと謝罪させるべく、文字通り陰ながら説得を試みた。

 ノルトラム曰く、一見、静寂に満ち小波も聞こえぬ湖のように静かな彼女の背に、ひどく獰猛な虎が見えた……とのことで、後にそれは笑い話になるのだが。

 また、リズが言うにはその際の彼の両眉はきつく寄せられ首を小さく縦に振るのみだったという。

 待ちわびた料理も無事完成し、フロレンシアが彼に軽食を手渡す。だが、出来上がった料理に何か言いたそうなノルトラムの横をするりと抜け、素早く店の前掛けを外すと「先に行ってるわね」とリズの肩を叩いて一足先に外へと出て行ってしまった。

 残された二人は驚き目配せをして、フロレンシアの後を急いで追いかけることにした。


「いってらっしゃい!」

 出口のドアに手をかけたところで、背中からベルナデッタの声が聞こえた。姿は見えないが日頃から彼女が見せる、白い歯が覗く笑顔をそのまま表現したような溌剌とした声が彼女らしい。 まだ昼時で店内も客で満席であるのに、快くフロレンシアを送り出してくれたその心の広さにリズは心が温かくなる。

 直ぐ様、少女は少し張った声を出す。壁の向こうの彼女に届くようにと。


「いってきます」



 急遽ベルナデッタ指名で注文が入ったため、ノルトラムが礼代わりにと注文した軽食はフロレンシアが作ったものである。

 彼は手にした食べ物を少しばかり観察すると、おずおずとあまり大きくない口を開ける。だが、すぐに口を閉じてしまう。そしてまた口を開ける―― その一連の行動に疑問を持ったリズはノルトラムの肩をつついた。

「なんで、たべないの?」

「……こういった物の食べ方が分からない」

 耳をうっすらと赤くした彼がばつの悪そうな顔をする。

 リズは一つ頷くと、両手をノルトラムが持っている軽食を持っている形にする。それから大きく口を開け、大胆に齧りつく真似をしてみせた。

「こうたべるの。わかった?」

「……やってみる」

 横の手本を見ながら、彼は意を決してこれまで開けたことがない程口を大きく開け、がぶりと食べ物を口に迎い入れた。

 しゃくしゃくと新鮮な野菜を噛む音が周りにも響き、よく噛んで口の中の物を飲み込む。 一口目を終えたノルトラムは信じられないような顔をして、リズの顔を見る。彼の目は生き生きと輝き、口には微笑が浮かんでいた。

「ん……! これ旨いな。今まで食べたことがない」


 それは、羊肉と野菜のマリネが入ったシンプルなピタパンだった。

 スパイスでソテーした羊肉と、生の玉ねぎと人参をビネガーで和えたものはさっぱりとした風味であり、上にかけられた白胡麻とジンジャーが混ざったコクのあるソースの味が追って口の中いっぱいに広がる。

 特に、そのソースと具の相性がとても良く、鼻から抜ける胡麻の香ばしい香りとピリリと仄かに辛いジンジャーの味にますます食欲を掻き立てられる。仕上げに、と散りばめられた砕いたアーモンドとの食感が楽しい。

 具と同じく、程よく焼かれもちもちとした食感のピタパンにもこの味はよく合っていた。


 心中でノルトラムは驚いていた。庶民の食事はもっと粗末で味も食べられたものではないと思っていたのだ。

 一口、また一口と止まらないノルトラムの口はあっという間にパンを平らげてしまった。手に付いたソースも名残惜しそうに舐めとる。

「フロレンシアのりょうりは何でもおいしい」 少し胸を張ってリズが答える。その表情は妙に誇らしげでノルトラムは宝物を褒められた子供のようだと感じた。

「……そうだな」

 彼の目の前をズンズンと大股歩きで歩くフロレンシアに視線がいった。一本にまとめられた艶かな黒髪が歩く度に左右に揺れるのを暫し見やる。ノルトラムはぼんやりと考えた。

 今までも自分から謝るのは慣れていない、……いや。 それは自分が悪くても、謝るのは常に周りの人間だったからだ。

 どんなに自分に非があっても、周りの人間はノルトラムに対して簡単に膝を折り頭を垂れる。

 その度に喉から出かかった謝罪の言葉を彼は引っ込める。 ―――― 自嘲の顔と共に。

 だが、先程自身の勘違いでリズに謝った時は比較的すんなりと言葉が出た。 あの調子で謝ってしまおう。早くこの胸のつかえを取りたいのもあるが、正直に言って話し相手の一人が全く口をきいてくれないとなると気まずい。

 ノルトラムは頬をカリカリと指で掻いた後、前を行く彼女に意を決して声をかけた。

「…………なあ、女」

「……何よ。私はって名前じゃないわ」

 一瞬振り返るだけですぐに背を向けてしまうフロレンシアに向かって多少苦く思うがノルトラムは言葉を紡ぎ続ける。


「お前がこんな美味いものを作る者だと知らなかった。…………詫びる」


 ぎゅっと袖を握り、少し頼りなさげに謝るノルトラムの小さな声を聞いただけで、フロレンシアは正直なところ、今までの怒りが吹っ飛んでしまった。

 次に湧いてきた感情は、意外なものだった。


 口は悪いし、妙に偏屈で自信家であることは火を着けてもらった一件で分かった。

 だがきっと悪気はないのだ、この青年は。

 後ろで旨いと素直に褒める声も、小さな声で不器用に謝る声も。全部、偽りの言葉には聞こえなかった。 彼の本心はもっと純粋なもので出来ているのかもしれない。

 ―――― 不器用すぎて、まるで小さな子供みたい。

 フロレンシアは苦く笑うも、次第に口元が緩むのを感じた。 少しだけ、故郷の弟妹を思い出す。


「フロレンシア」

「は?」

「私の名前よ。これからはそう呼んで。ノルトラム……様は付けなくていいわね。見たところ、私より年下みたいだし」

 少し悩んだ表情をした彼女だったが、すぐにいつもの快活な顔に戻った。

「…………はあ。分かった、呼び捨てでいい」 顔を手で覆って大きく溜め息を吐くノルトラムに対し、フロレンシアは話を続ける。

「……良い返事ね。でもまたあんなこと言ったら頭にゲンコツ落とすわよ? 宜しくね、ノルトラム?」

 今度はしっかりと振り向き、両手を腰に当ててにやりと悪く笑う彼女に、ノルトラムは思わず目が点になってしまう。

 横を歩くリズもそうだが、世の中にはこんな女たちもいるのか。


 猫と互角に走る女。料理は旨いが一癖ある女。


 だが、自然と悪い気はせず逆に面白いと感じた。

 今までに囲まれていた人間たちとは明らかに違う、――それは、ノルトラム自身が欲していたその人間ののせいか。

「ゲンコツ、か……。初めて言われたぞそんなこと」

 思わず驚いてぱちくりとさせる赤褐色の瞳には快晴の空と自由に飛び回るウミネコが写っていた。



 市民区に行くため、慣れ親しんだ交易区の大広場を北西方向に横切る形になりながら、三人は歩く。

「私、ノルトラム以外の魔法使いに会ったことないのよね。故郷の村にはいなかったし、山を一つ越えた集落に一人居たって噂しか聞いたことないかも。リズは会ったことある?」

「小さなころにいちどだけ」

「そうなの!? 今度その話聞かせてね! ねえ、ノルトラム。魔法ってどう使うの?」


 そんなことも知らないのか、という言葉は飲み込んだ。彼女たちは庶民だ。魔法の知識などあるはずがなかった、とノルトラムは頭を撫でる。左右にいる女二人が期待の眼差しでこちらを見上げているのも魔法を知らない故の好奇心だろう。

 多くの魔法使いは、魔法に対する話をしたがらない傾向にある。それは商売や一時の奇跡として成り立っている魔法の知識をべらべらと喋るのは好ましくないと考える者がいたり、師から受け継いだ魔法が門外不出のものであったりと、理由は魔法使いの数だけ様々だ。

 しかし、ノルトラム自身は、魔法に対する事柄の大半は喋ってもいいものばかりだと思っている。 何故なら、魔法の仕組みをどんなに口で説明しても、身をもって体験してみないと理解しきれない部分があるからだ。

 魔法の話を一通り伝えたところで、力を使えない者たちには夢幻のような話にしか聞こえないであろうから。 身体を駆け巡るような独特な魔力の流れをノルトラムは思い浮かべた。


 まるで火のように猛り。

 まるで水のように淀みなく。

 まるで地のように力強く。

 まるで風のように軽やかに。


 彼はこほん、と咳払いを軽くして小さな声で話し始める。

「魔法は“奇跡”だと言われているが。要は本人の素質と質の良い触媒が合わさることで発動するものなんだ」

「しょくばい?」

 リズが首を傾げる。

「簡単に言うと魔力と術者の間を繋ぐ道具のことだな。オレの触媒はコレだ」

 ノルトラムは長い髪から両耳を覗かせる。そこには赤い石を細長い形にカッティングしたシンプルなピアスが付けられていた。先程、厨房で魔法を使った際にそれが眩く赤い光を放っていたことを、リズとフロレンシアは思い出した。

「それと魔法を行使するには、“ムスビ”の言葉も必要になる。魔力の源のエルピスの鐘にムスビの言葉で繋がり、自身の強い祈りを触媒を通して鐘に届ける。そして鐘から触媒を通して体内に魔力が流れ込み魔法が使える仕組みだ。……稀に触媒なしで魔法が使える人間もいるらしいがな」

「触媒ナントカ……は、まあ、うん。私は理解するのに時間がかかるみたい。それにしても、エルピスの鐘って魔力の源なのね……!」

 フロレンシアは大きな目を更に見開く。

「大昔のでかいだけの鐘が国宝になるわけないだろう。古の魔力の集合体だから、丁重に扱ってるんだ」

 世界一と称されるエルピスの鐘楼の高さは、ただ単に国民や旅人たちに威厳と存在感を示すだけではなく、教会とアンフィポータズ王国の厳重な警備をも暗に示していた。

 いつも仰ぎ見る鐘がまさか魔法使いの魔力の源だとは。 フロレンシアは思わず口をぽかんと開けてしまっているのに気づき、慌てて手で覆う。

 一方リズは、話に耳を傾けてはいたが途中から何やら考え込んでいる様子だった。

「わー……そうなんだ。やっぱりノルトラムは物知りね。その髪色、ザルツミナイルでしょう? 生まれはこっちなの?」

「…………いや、ザルツミナイルだ。エルピスの鐘のことは書物で読んだ」

 そう答えるノルトラムの視線は地面の石の割れ目に注がれていた。


 話をしているうちに、広い交易区を抜けいつの間にかロティオン市民区の入口まで来ていたようだ。そのまま彼らは市民区へと入っていく。

 普段は地方人や異国人が市民区に入ろうとすると白い目を向けてくる輩が誰かしらいるものだ。しかし、本日だけはそのような者はいない。

 本日、二十年がかりで造り上げた時計搭の竣工式典がこれから執り行われる。 エルピスの鐘楼に次ぎ、王都ロティオンのシンボルになるであろう大きな搭。 ロティオン市民区で一番古く敷地も広い大聖堂の広場に作られたそれは、噂によると上まで体躯を伸ばした馬が四十五頭分とのことで、それも人々の好奇心を掻き立てた。

 その披露の機会を見たいと思うのは、ロティオン純粋市民だけではなくロティオンに住む様々な居住区の住人、そして旅人たちも同じだった。 これに対しての教会と王宮の動きは素早く、ロティオンに在住しているか、あるいは滞在する者なら式典の見学を許可すると宣言したのだ。


 ―――― 世界最高の技術を用いた新たな時計塔の噂を地方や他国に広め、アンフィポータズの国力を世界中に知らしめよ


 そのような思惑を孕んだ式典観覧の許可に素直に喜んだ大半の民衆は大勢を成して市民区に入り、こうしてリズたちと同じく式を見ようと大聖堂への坂を歩いているのであった。 なので市民区へと続く大きな坂は、今や交易区並み、いやそれ以上――の大喧騒の中にありリズたちは、はぐれないように互いにくっつき合って大聖堂を目指した。

 人混みの中でノルトラムは目が回りそうになりながら、二人の後を追った。


 …………こんなに沢山の人間を見たのは生まれて初めてだ。


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