第四話 金髪の魔法使い 4-4



 それぞれ息を弾ませながら坂を登っていくにつれ、先の道が二つに分かれているのが視界に入った。リズたちと同じ目的であろう人々は大坂を踏破するとすぐに左の道をぐんぐんと進んでいく。その大きな流れに押し流されるようにして三人もそちらへと歩いていった。

 道を進むにつれて、人が増してきているようにノルトラムは思えた。人々の熱気で身体が熱い。彼は堪らず首元の釦を二つ三つ外し、身に着けていた薄手の藤色のローブを脱ぎ腰に巻いた。リズも腕捲りをし、フロレンシアも額に浮いた汗を小さな布で拭っている。

 初めて太陽の下で暑いと感じられることが、ノルトラムにはこの上なく嬉しかった。普段、触るとひんやりとした自身の腕。

 しかし、今の腕は少し熱を持っている。

 頭の上から照りつける太陽が青年の身体を貫き影を作る。


 ――日光の下で影が出来たのは、とても幼き頃だった。まだ城の外に出られた頃以来か。

 だが、常に一人で過ごしているノルトラムにとって、周りの喧騒と強い日差しは少々毒だった。あつすぎる、と感じ始めた時に肩を叩かれる。

「ちょっと、ノルトラム。大丈夫? 顔が少し赤いわ。私やリズと違ってアンタ、貧弱そうだからこれ飲みなさい」

 何気なくぼうっと影を見ていたノルトラムにフロレンシアが革製の水筒を差し出す。自然に彼の喉が上下するのを、黒髪の彼女は優しいため息と目元を和らげた表情で見守っている。

 ノルトラムは、それを受け取り喉を鳴らして飲んだ。少し温かったが、口にする分だけ彼の渇いた身体が喜びに沸く。頭からつま先まで水がぐんぐんと吸い込むような感覚さえ覚えた。


 ――――美味い。今まで飲んできたどんな水よりも。


「ノル、これかぶって」

 水を飲み終わった彼の頭にぱさりと掛けられたのは、リズの持っていた麻の布だった。何色にも染められていないそれを常に身近にいる使用人の男のように巻いてみせると、フロレンシアとリズは思わず顔を見合わせて口を押さえた。

「アンタ似合わないわね。その巻き方」

 緩んだ口元を手で隠したままの黒髪の彼女をノルトラムが不満げな表情で一瞥すると、見かねたリズが彼の頭の布を巻き直す。それは布をゆるく被せ、後ろで結んだだけの庶民の女子供でも巻くやり方だった。

 自身の、まるで女のように繊細な顔立ちを長年悩んでいる彼は内心の傷に触れられたと思い、金茶色の少女を強く睨むと「これであたま、あつくない」と邪気のない紫の瞳で逆に見つめ返されてしまった。

 そんな少女の様子に毒気を抜かれた彼は、ああもう、と言って早足で二人を追い抜き先を行った。

 自分を思ってこその彼女たちの行動にどうしていいか分からなかったのもあった。


 こんな時にも、すぐに礼が言えたらいいのに。

 捻くれている自分が常常嫌になる。



「わあっ! 時計塔ってあれでしょ!? おっきいね!」

 暫く黙々と歩き続けていると突如子供の声が民衆の中で明るく響いた。それに答えるように、周りの人が空を仰ぐ。

 それからは周りが一気に騒がしくなった。

 塔の下部分は高い壁に阻まれ、まだ見ることは叶わない。だが時計塔があまりに高いせいなのか、群衆は下よりもやはり上に興味がそそられるようだった。

 首を最大限に上に向け、多少無理をしないと塔の頂点部分を目にすることは難しい。

 しかし遠目でも分かりやすいようにと特別に大きく造られた真新しい文字盤はしっかりと見ることができた。ある程度距離が離れている此処でもこの高さなのだ。更に近づくと、どれほど大きな塔なのだろう。

「すっごーい……」

 ノルトラムの後ろにいたフロレンシアが驚嘆の声を漏らす。

「ああ、高いな」

「……あれがいりぐち?」

「そうだな、オレたちもそのまま入ることが出来そうだ」


 周囲の壁に嵌め込まれたような大きな門扉が開放されていたので、他の群衆と共に門をくぐる。門の横には身体の大きな兵士が二人、門番として立っていた。制服に国章が縫い付けられていたので、国軍に所属している者たちだろう。

 壁の内側に入ると、すぐ右手に新しく完成した時計塔が、そしてその後ろには古い聖堂が見えた。この大聖堂はアンフィポータズ王国建国以来、最古の聖堂であり、規則正しく並んだ柱に支えられた屋根付きの長い回廊と、礼拝堂を覆うくすんだ灰の円屋根と同じ色の壁が年月を物語っている。


 アステール大聖堂。

 清鐘エルピス教の三大聖地として、その名前の通り今も一等輝き、教徒たちを教え導く。

 更に、アステールは大司教座聖堂の顔も併せ持っている。大司教座といっても、大司教本人は王宮近くの大聖堂で過ごしていることが多く基本的には不在である。その代わりに数名の司教がこの大聖堂の責任者として役割を担っている。

 この地区一体は大司教区と呼ばれ、ロティオン市民区の中でも教会の権限が強い場所である。それは王宮の命であっても容易には通らず、大司教や複数の司教を始めとした聖職者や教徒たちが長年伝えられてきた教典を昔ながらに解釈した独自の方法で治めていた。

 ロティオンにある三つの国の一つ――そう揶揄する者がいるのも無理もない話であった。

 この教区に住む住人は敬虔で厳格な清鐘エルピス教徒ばかりであり、ロティオンの気風とはまた違った雰囲気であるからだ。


 ノルトラムは、教区全体が取っ掛かりも何もないのっぺりとした高い壁で囲まれていることが気になっていた。

 どう考えても壁の高さが高すぎはしないだろうか。此処は聖地であるから、防犯の意味もあるのだろうが。

「ノルトラム! 他の居住区の人たちはここから見られるみたい!」

「……ああ。今、行く」

 思考の海に沈みそうになった時に、フロレンシアから声がかかった。ノルトラムは元気なその声に顔を上げて側に駆け寄る。

 黒髪の彼女は屋根を見るなりくたびれた顔になった。今まで歩いてきた疲れが現れてきたせいもあるのだろうが。

「……また、屋根なのね」

「わたし、やねすき」

「リズは仕事が休みになったら一日の殆ど、屋根で過ごしてるもんね……」

 その会話に、思わずノルトラムの眉間の皺が深くなった。

「……庶民は皆そうなのか?」

「違うわよ! ……うーん。リズと鳥と猫くらいかしら」

 フロレンシアが冗談めいた顔で微笑む。やっぱり猫と同類なのか。ノルトラムはまじまじとリズを見つめる。

「やねはいろいろなものを見つけるのにちょうど良い」

 動物と一緒にされたにも関わらず、当の本人は飄々としている。そんなやり取りをしているうちに、屋根に上るための梯子の順番が来た。

「フロレンシア、ノル。のぼって。わたしはあとからいく」

「リズ、ありがとう」

「分かった」

 大人二人が同時に登れるような大きい梯子の両方を、身体が大きく腕っぷしの良さそうな男たちが支えている。

 ギッギッと軋んだ音を立てて、先にノルトラムとフロレンシアが上っていく。使い古された木製だからでもあるが、三人の前にも大勢この梯子を使った事実を、リズは思い浮かべる。それを踏まえての梯子が奏でる悲鳴めいた音に些か不安を感じながらも、続いて少女も上がる。

 自分の番になって、足場が崩れないことを祈りながら。

 その願いは通じたようで無事にリズは屋根に上がることが出来た。

「すっげえ!!」

 リズの後ろから上がって来ていた男が感嘆の声を挙げる。そこには圧巻の風景が広がっていた。



 地区にある住居中の屋根を埋め尽くさんばかりの人、人、人。

 今まで共に来た人々など、ごく少数に見えるほど屋根だけではなく家屋の前の道にも人々がごった返しているのが見えた。髪の色からしてロティオン市民だろう、濃さの違いはあれど、茶色の頭が並んだ様はもう一つの道のようにさえ感じる。

 ここでもはされている。市民区の中の道や敷地は基本的に、彼ら――ロティオン市民のものだ。大司教区も例外ではない。

 竣工式典の会場は、大聖堂の正面で行われる。紫紺を基調とし、中心に鐘を象った銀の刺繍がしてある清鐘アルキラロス会旗と、内海の色を模した紺碧と特徴的な王家の紋章が刺繍してあるアンフィポータズ王国旗が聖堂の左右に飾られている。また、中央前の白い布に覆われた台には式典の際に使うであろう清鐘具が並んでいるのが見えた。

 リズの横ではしきりにフロレンシアがはしゃいでおり、ノルトラムの瞳も興味津々といった様子で輝いている。

 屋根では、式典の野次馬だけではなく飲み物や軽食の売り子達が人の合間をぬって物を売っていた。大勢の人が来ると見越しての出張商売に、ノルトラムが「たくましいな……」と思わず溢す。

 だが恐らく教会には無許可であるため、もし関係者に見つかりそうになるとしたら脱兎の如く逃げ出すのだろうと、同じく料理に携わる身のフロレンシアはこっそりと想像した。


 三人は座れそうな場所を目指してごった返す屋根の上をどうにか歩いた。時には、更に上に建てられている民家の屋根に上りながらやっとの末、見られる場所を確保することが出来た。

 そこは大聖堂の正面より外れ、教区の中でも目立つ北西に伸びる坂に面した場所だった。ある程度屋根を上ったせいか、斜めからなら式典や塔を前の人影に邪魔されずに見ることが出来る。

 とっておきの“最良席”ではなかったものの、建てられた時計塔に取り付けられた北側の文字盤が見られる位置ではある。そして何より、屋根から見る時計塔の全貌をしっかりと見ることができたので、三人は概ね満足していた。

 真新しい塔の下部分には、前述の聖堂の左右に飾られた両旗と同じ色と刺繍がしてある大きな布が二枚、覆うように巻かれてあるように見えた。

 三人は腰を下ろして、ちゃっかりと出張飲食の売り子から買ったばかりの飲み物を口にしながら、暫く塔を眺めていた。

「国軍所属の兵士がそこそこ居るな。まあ、国内外問わず色んな奴らが一堂に会するからな」

「大聖堂の横に並ぶと圧巻ね」

 フロレンシアが買ったレモン水を口に含む。ほのかな酸っぱさがこの暑さには丁度よかった。

「……ふん、大聖堂の奥は更地か。あそこに資材や作業を行っていたのかもしれないな」

「大聖堂の左横の建物は何かしら?」

「おおきい」

「二階建てだが比較的簡素に見える。……何だろうな」

 各々感想を言いながら、のんびりとした時間が過ぎていく。

「しかし……さすがだな。ザルツミナイルの技師と細工師を呼んだだけはある。文字盤の装飾が丁寧で細やかだ。素晴らしい」

「やだ、お国自慢? でも確かにすごいわよね。あれを四つも造るんだもの。その間塔も造るんだから、二十年掛かってもおかしくないわ」

 そうフロレンシアが朗らかな顔をしながらノルトラムに向くと、後ろから不意に声がした。

「おっ。じょ、嬢ちゃんそのとおーり! ……ヒック!」

 三人が振り返ると、中年の男が一人座っていた。伸ばしきったざんばらな髪と顔の下を覆うほどの髭面であり、顔を真っ赤にしている。

 明らかに酒焼けした声色で、売り子から買ったらしい葡萄酒を煽りながらにやにやと笑っている。一般的にいう酔っ払いだった。――それも大半の人間があまりお近づきになりたくはないと感じる類いの。

 リズは自然にフロレンシアの背に手を回すと、「だいじょうぶ」と普段通りの澄ました顔で前を向いて言う。それに勇気付けられて、フロレンシアは男に聞き返す。

「随分呑んでますねー。おじさんも式典楽しみにしてきたんですか?」

 男は酒に口を付けた。プハァ、と男が息を吐き出すとたちまち周りに酒の臭いが充満する。その臭いであからさまにリズが顔を顰めた。

「そりゃあ、そうよー。何せ二十年だもんなあ。オレがまだ若造……の時から造ってたんだもんなあ。なあっ、この塔を造るのに何百人の職人が駆り出されたと思う?」

「……分からないです」

 自分の話に真剣に悩むフロレンシアに気を良くした中年は益々笑みを深くした。そして勢いよく、三つの指を立てた。

「三百人よお。この街じゅうから職人さ、かき集めてなあ。ここでずーっと造っとったらしい。この街は色んなヤツラの集まりだからよお、王サマが色んな場所から集めたんだってよ。あとで……ヒック。造ったヤツラも式に並ぶんじゃねえか。まだ見えないけどな」

「このロティオン中の職人か……」

 ノルトラムが顎に手を当てる。

「オレがまだりょうひ、んあ。漁師の見習いやってた頃から建て始めたんだなあ……んー」

 男の言葉が次第にもつれるようになってきた。

「あのオッサン、そろそろ寝そうだな」

「式典見ないまま寝ちゃうのね……」

 ノルトラムとフロレンシアは、後ろの男に分からないようにひそひそと囁き合う。

「……でも塔、かんせーする……って知ったの……。むにゃ……年前だったんだよなあ……ふしぎだよなあ……」

 胡座のまま、頭を前に倒すようにして眠ってしまった男は、すぐに大きないびきをたてて眠り始めた。その音に周りの人々も迷惑そうにしている。

 最後に言った男の言葉を、ノルトラムは脳内で、反芻していた。

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