第四話 金髪の魔法使い 4-5



「静粛に!」

 不意にそれぞれの観衆の耳元で大きな声が聞こえたと思うと、大聖堂の前に遠目から見ても分かるほど大きく豪華な帽子を被った小さな老人と、その後ろにローブ姿でフードを目深に被った背丈のある二人が並んでいるのが目についた。

 三人の周囲にいる人々がひそひそと話しだす。それによると、あの老人は大司教らしい。豊かな白髭を複雑に編み込み、一つの芸術作品のようだ。


「何であんな遠くにいるのにあの人たちの声が聞こえるの……!?」

「風魔法の一種だろう。あのじいさんが言った言葉を後ろにいる二人が風を使ってこちら側に届けてる」

 ノルトラムが大司教の後ろの二人をじっくりと観察する。ローブごしではあるが、首元に淡く緑色の光が透けてみえる。そして何より、仄かに魔法の気配がする。これは、同じ魔法使いではないと分からない感覚だろうとノルトラムは思う。

「そんな使い方もあるのね……」

「すごい」

 フロレンシアとリズが顔を見せ合って感心したように首を振る。

「静粛に! これから、アステール大時計塔の竣工式典を始める」

 大司教の声は、加齢のせいかしわがれて、いささか聞き取りにくい。眠気をとの戦いになりそうだ、とリズは内心思った。



 それからの竣工式典は良い意味でも悪い意味でも滞りなく進んでいった。

 大司教の長い挨拶から始まり、各司教たちの塔完成に至るまでの行程の話、王宮から遣わされた王の名代による塔完成の祝辞の読み上げ、隣国や同盟国からやって来た王や皇帝の名代による賛辞の言葉が同じく伝えられた。全てが粛々と行われていくので、屋根の上にいる観衆からは小声で話す声と欠伸を抑えきれない者が後を立たなかった。ちなみに、リズを含めた三人も例外ではなく。話す人間が変わるごとに起きる拍手も最初から比べると大分小さくなっていた頃だった。

 途中で、儀式の衣装と化粧に身を包んだ二十名の少年たちが出て来ると、式典の雰囲気がガラリと様変わりした。清鐘具を使って舞うその姿は二十名の動きが一瞬もずれることはない。それは厳かな空気を纏うほどで、その間民衆たちは欠伸どころか、一言も発する者はいなかった。それほど人々を魅了されるものであった。少年たちが両手に持つ小さな鐘のカラン、カラン、と鳴る和音だけがその場に響く唯一のものだった。

 少年たちの舞が終わると、割れんばかりの拍手が起きた。彼らは四方に深く礼をすると、大聖堂の中へ入っていった。

 興奮冷めやらぬ式典の最中、大聖堂の裏から新たに屈強な男たちが二列になり何十人も出てくるのが見えた。


「おっ誰か出て来るな」

 前に座った若者が楽し気に言う。彼らは時計塔の目の前に整列して並ぶ。式典用の服装は着ているが、顔や手は日に焼けた浅黒い色の者が殆どで、太陽が照った中で働く肉体労働者であることを示していた。

「彼らがこの時計塔を造った我が王都の職人達じゃ。皆、彼らに労いの拍手を願いたい」

 大司教がそうゆっくり言うと、観衆から大きな拍手が起きた。

「いやいや……二十年もご苦労さんだったよねえ」

「本当よねえ。あんなに見事な塔見たことがないよ」

 後ろから年配の女二人がそう話すのが聞こえた。リズたち三人も女たちに同調し、素直に手を叩いて感謝を伝える。


 拍手が鳴りやまない中、リズは不意に目の端で“何か”を捉えた。

“何か”は高く弧を描いて塔に向かっていく。日光に当たって光ったので硝子のようなものだろうか。中身には赤いものが詰まっているように見えた。


 まるで火のような——……。



「!!」

 身体が反射的に動いていた。リズはフロレンシアとノルトラムに覆い被さる。

「どうした、リ……!?」

「ひゃっ!」

 身体の下から二人の戸惑った声が聞こえたが、リズは身体をそのままにぴくりとも動かさない。

 程なくして大きな悲鳴とゴウ、と熱風が押し寄せてきた。ノルトラムはリズの身体の下から顔だけをどうにか出すと目を開いた。


 時計塔と人が燃えている。

 巻かれていた布に引火したのだろう、炎は益々大きくなり、塔の上部まで上らん勢いだ。時計塔の前に並んでいた職人たちの大半も火に焼かれ、頭を掻き毟りながら狂ったように喚いて動き回っている。身体を地面に擦り付けて火を消そうと試みる者もいるが、弱まる気配はない。職人のうち数名は既に地面に横たわっていた。

 ――――炎に頭から足先まで焼かれ、黒く焦げた状態のままで。

 ノルトラムは、その有り様に抑えきれずに込み上げて来る物を吐いた。そして身体の感覚が逆撫でされるような不快感も感じた。


 ――――あれは魔法の火だ。憎悪の混じった。

「火だーー!! 逃げろ!!」

 突として起こった地獄のような光景に、式典の観客は大きな混乱状態となった。

 最初に、道に並んでいたロティオン市民が国軍の兵士たちや大聖堂の教会関係者を押し退けて我先にと逃げ出した。出口は東側と南側にあったが、二つの門に大勢の市民が殺到してしまったので、かえって人の流れが滞ってしまった。

 続いて、屋根で見物していた地方人や旅人は屋根の上を勢いよく走り、唯一出入りを許されていた南側の出口へ向かおうとした。置いてあった梯子で急いで降りようと試みたものの、勢いと重さに耐えきれず梯子が潰れてしまった箇所が殆どであった。

 そればかりか、ある者たちは焦れて屋根から飛び降り、足や腰を打ち付けて動けなくなる者もいる有り様だった。そのうえ、屋根の瓦が群衆の走る震動と衝撃によって蹂躙され次々と剥がれ落ちた結果、下にいた市民たちに当ることで怪我人が出る二次被害も起こっていた。



 荘厳な竣工式典の場は、一瞬にして崩れた。



「お前達! しっかりせんか!!」

 この悪夢のような状況を見て、大司教が声を張り上げる。すると硬直していた兵士たちと聖職者たちは、はっとして身体を正す。それでも殆どの者は微かに震えていた。

「……レヴァン、レヴォン。増幅系の触媒は持っておるな?」

「は、はい。確かに」

「どうなさるおつもりで……?」

 背後にいたローブ姿の二人の魔法使いは恐る恐る尋ねる。

「大聖堂の大通りに沿って風の壁を造るのじゃ。このままでは悪い煙を民が吸ってしまう」

「! ……かしこまりました」

 兄のレヴァンが頷く。彼らは急いで緑の石が嵌められた指輪を付けると互いに手を繋ぎ、目を閉じた。そうすると、嵌めた指輪が緑の光を宿す。

 それとほぼ同時に、民家と大通りを遮るように薄い緑の透き通った壁が流れるように出来ていく。加えて、大聖堂周りを包むようにも。

 屋根に居るある者はその壁に触れてみた。ふよんとした柔らかい感触の中に少しの反発が含まれている。目の前に漂っている煙はこちらに来ないようだった。

「国軍の奴らは特に殺到している南門の避難誘導をせい! ボサッとするな!」

 指示を飛ばされた兵士たちは急いで南門へと向かった。兵士たちが駆けていくのを見届けて、大司教は静かに唸って倒れた。


 嘔吐し呼吸の荒いノルトラムの背を擦りながら、フロレンシアはただその場に居ることしかできなかった。無理もない。珍しく楽しいはずだと思っていた式典がこんな惨事になるとは思いもしなかったのだから。

 風の壁が出来たことで、呼吸をするのが楽になったのはいいが、屋根には彼女と同じく動けない者が多くいた。そして我を忘れて逃げ惑う民衆をただ茫然自失のまま、目に映す他なかった。

「ばあちゃん……僕たちも逃げよう」

「腰が抜けて力が出んよ……お前だけでもお逃げ」

「塔から黒い煙が……もしこの壁がなくなったら」

「オレたちはどうすりゃいいんだ! くそっ」

 四方から様々な嘆きの声が聞こえてくる。


 突然、フロレンシアとノルトラムに覆い被さっていた重さが軽くなった。リズがおもむろに立ち上がったのだ。そして南側へと身体を翻す。

「リズ! 何処に行くの!」

 不安で押し潰されそうな声でフロレンシアが叫ぶ。

「火をなげたやつが向こうにいる。さがす」

 リズは冷静な眼差しでフロレンシアを見た。その紫の瞳に宿ったものは決意だと黒髪の親友は察した。

「そんな……危険よ! それにもう逃げているかもしれないわ!」

「だいじょうぶ。きっとまだいる。フロレンシアはノルとお店にかえって。あとからわたしもいく」

「リズ……行かないで」

 フロレンシアが腕をリズに伸ばす。だが、その腕を掴んだのはノルトラムだった。

「リズ、行ってこい。オレはこいつと何とか店まで戻ってみる。きっとお前にしか追いかけられない」

「ノルトラム……」

 涙ぐんだフロレンシアの頬をかさついたリズの手が撫でる。

「ノル。フロレンシアをよろしく」

「ああ。行け」

「リズ! ……お願いだから怪我しないで必ずお店に戻って来てね」


「……ん」

 いつもの口角だけ上げた笑い方でリズは答え、南に走り去った。




 市民でひしめき合うその隙間を掻い潜るように、東の扉から一人の聖職者が進む。その腕には赤の腕章が巻かれていた。

「伝令ーー! キュアノドリス助祭が到着されました!」

 そう伝令役の聖職者が呼号すると、声を聞いた市民たちは歓声をあげ、彼のために左右に分かれ道をあけた。それからまもなくして一つの集団がその道を通り大聖堂の前へと走ってくる。

「ああ……助かった」

 大司教は司教たちに身体を支えられ、布を敷かれた地面に身を横たえていた。

「大司教様、ご無事ですか!」

 集団の中から、一人の若者が前へと出る。

 暗めの茶の髪に空色の瞳。誠実さがにじみ出たような端整な顔立ちの青年であった。二つ名のキュアノドリス蒼のカワウソを持つ、清鐘アルキラロス会史上最年少の助祭。

 ヴィート・キュアノドリスは大司教の前に跪いた。


「ヴィートや……。よもや祝いの式典がこんな惨事になろうとは。ワシはどうしたら……」

「私にお任せ下さい。風の壁に護られているとはいえ、この場に居ては悪い煙を吸いかねません。大司教様、急いでご避難下さい」

「ああ……後は頼んだぞ」

 皺だらけで肉の付いていない、か細い手が瑞々しい大きな若者の手を弱々しく握る。

「大司教様を早く安全な場所へ!」

 司教の一人が周りの聖職者に指示を飛ばす。

 それから、大勢の教会関係者に付き添われながら大司教区外に丁重に運ばれていく大司教を見届けると、ヴィートはすっくと立ち上がる。次いで周りの聖職者たちに穏やかな声で言った。

「とにかく、火を消しましょう。皆さん、離れて下さい。それと、まだ民衆が教区に取り残されています。手の空いている方は屋根に取り残されている方々のために新たな梯子の準備と、東門と南門の避難誘導をそれぞれお願いします」

 ヴィートの指示で、その場に居た数十名の教会関係者や聖職者がそれぞれ散っていく。その様子をヴィートはため息を吐いて見送った。

「レヴァン様、レヴォン様。暫しの間、持ちこたえて下さい」

「お前が来て助かった、ヴィート。続けて兄と共に力を尽くす。火の方、頼んだぞ」

 弟のレヴォンが目を閉じながら言う。ヴィートは力強く頷いた。


「“響き渡れ”」

 助祭の青年は、首元に下げてあるロザリオに軽く口づける。すると、持っていた青色の石で作られた棍がたちまち水をたたえた光り輝くものに変わった。

 淡い青色に光る棍を天に掲げると、時計塔と大聖堂の範囲だけに雲が出現し、瞬く間に雨が降り始めた。魔力が込められた雨粒は火の勢いを着実に弱め消していく。だが、魔力の込められた火は簡単には消えてはくれない。完全に鎮火するためには、もう少し時間がかかるだろう。

 ヴィートが腕を組んで、ぐるりと周辺を見渡した時だった。今もなお、多くの地方人や旅人が屋根に取り残されている状況だ。中には、倒れている者も少なくない。早く救出しなければ。そう考えながら屋根を見ていた矢先、ある者とはっきりと目があった。

 その者はつり目の瞳を目一杯広げてこちらを見ている。こちらも同様だった。何故ならば、は此処にいないはずの人間だからだ。その彼は何故か見知らぬ女と共に、新しい梯子を待っているように見えた。

 ヴィートは、教会関係者でも最近入った新人の少年に声をかけた。あの金髪の男と黒髪の女を保護したら、自分に知らせるようにと。少年は真面目な表情でこくりと首を振った。


 ――――何故、お前が此処にいるんだ。

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