第三話 朝焼けと夕焼け 3-4
話を一通り聞いたリズは、はらはらと涙を流し続けるフロレンシアの背中を一定の間隔でぽん、ぽん、と優しく叩く。
「フロレンシアはがんばった。……もうがんばらなくていい」
「……でも私が頑張らないと家族が」
フロレンシアが顔を上げるとリズが背中にやっていた手を頭に置く。
「さっき、エルバさんからわたされたやつ。みて」
「そういえば、手紙……」
鼻を啜りながらフロレンシアはポケットから手紙を出すと読み始める。家族で唯一、字が書けるのはクーロだけだが、簡単な字はフロレンシアにも読むことは出来た。
「お金、ありがとう……みんな元気……お母さん……体良くなった……僕も外に出る……またオレンジを作、る……」
最後の言葉でフロレンシアは目を丸くする。そして手紙ごと顔を覆った。また目頭が熱い。
「だから、フロレンシアだけが全部しょいこむひつようなんてない」
気がついたらリズはフロレンシアの腕の中にいた。
柔らかさで埋まるような豊かな彼女の胸からはトクトクと穏やかな音がする。暫く抱き締められていると、フロレンシアが口を開いた。
「ありがとうリズ。私を助けてくれたのはリズだわ」
「……たすけてなんかない」
「ううん。ロティオンに来てから、手を差し伸べてくれたのはリズ、あなた。そしてこの教会の人たちよ」
涙をぽろぽろと溢しながら微笑むフロレンシアはロティオンに来てから初めて、心も表情も穏やかになっていた。
また、彼女は落ち着いた態度でリズに向き合う。
「明日の夜、セシリオに会いに行くわ」
「……何かあるかわからないからついてく。かいわはきかない」
そうリズが真面目な顔で言うと、フロレンシアは思わず吹き出した。リズのそんな不器用な優しさを彼女は嬉しく思った。
「ふふ、大丈夫よ。でもありがとう」
二日目の夜、三日月が空の真ん中に来る頃を見計らってフロレンシアは交易区の大噴水の前に来た。深夜だけあって、人はまばらだ。酒に酔った男が石畳の上に寝転んでいるのと、遠くで若い男女がこそこそと逢引をしている様子が目に入った。
噴水の反対側の縁にはセシリオが座ってこちらを見ている。その瞳は揺れていた。フロレンシアはそちら側へ行き、二人並んで噴水の縁に腰掛ける。
「……来てくれないかと思った」
「……私も話したいことがあったから」
そうフロレンシアが言うと、セシリオはそっか、と足の近くにあった石ころを蹴る。
「ずっと……謝らなきゃいけねえって思ってた。俺がもっと早くに俺たちのことを話していれば」
セシリオが自分の膝を強く叩く。
「……あの時、何があったの? 教えてセシリオ」
フロレンシアがセシリオの顔を見ながら聞くと、ぽつぽつとセシリオが話し始めた。
「俺が親父に言う前に、エルバの父親から結婚の相談が何度か来てたらしい」
「……そうだったの」
「最初、親父はそれを相手にしなかった。俺には好きな奴と一緒になれって笑ってた。でもあの嵐から状況が変わった」
フロレンシアは息を呑んだ。
「エルバの父親が生産した馬、本当は南方総督府の騎士の所に納品される予定だったのが、総督自ら気に入っちまったんだ。しかもこれからも定期的に総督府に納める馬の生産も決まった。そんで思った以上の大金がエルバの家に入ってきた」
まさかエルバの家がそこまで成功していたとは。嵐の中、自分の家で必死だったため周りのことを見る余裕がなかったとは言え、まるでフロレンシアの 家とは真逆だと彼女は自嘲的な笑みを零した。
「大嵐で荒れた村を立て直すのに親父は悩んでた。本当は困った家に金も貸してやりてえけど、限度がある」
「……」
やっぱりあの時の自分は甘かった。いくら恋人だからと言って容易に金を借りることなんて出来なかったのだ。
「そんで、そんな親父の元にエルバの父親が取引を持ち掛けてきた」
そしてセシリオの次の言葉でフロレンシアの思考が停止した。
「エルバと俺を、結婚させたら村の復興に尽力するって――……」
自分の子を自身の駒のように扱うのも、いくら村長や友人の父親とはいえ、彼女には信じられなかった。
フロレンシアの震え出した手を握りながらセシリオは続ける。
「……それだけエルバの家の金が魅力的だったんだろうな。二つ返事で親父は承諾した」
「……貴方は?」
静かにフロレンシアが問うと、真面目な表情でセシリオが答える。
「俺も親父に言ったよ。フローラを嫁にしたいって。でも金に目が眩んだ親父には聞き入れて貰えなかった。“持参金もままならない娘を受け入れるつもりはない”って……」
フロレンシアは石で頭を殴られたような衝撃を感じた。
何故、今まで思い浮かばなかったのか。きっと浮かれていたからなんだろう、と彼女は思わず天を仰ぐ。持参金の問題は故郷の村、いや南方大陸では当たり前のことだ。持参金の払えない花嫁など娶る価値もないことをフロレンシア含め女たちが一番良く知っている。
金に困っている時点で結婚する資格すら失うのだ。
「そして俺の意見を無視して婚約と結婚が決まった」
「……分かったわ」
「でも俺は今でもフローラを愛してる」
フロレンシアの手を痛いくらい握って、セシリオは泣きそうな顔をして微笑む。
同じく、フロレンシアも笑う。その目には涙を湛えて。
「……でも、もう遅いのよ。あなたはエルバと結婚した。いずれあなたは長を継いでルンマ村を守っていかなければならないの」
「でも! 俺は。お前を忘れられな……「しっかりしてっ!」
顔を歪めてセシリオが言うのを涙声でフロレンシアが制する。そして、セシリオの頬を大切なものを扱うように柔く撫でた。
「セシリオ。あなたはエルバと一緒にルンマ村を……私の故郷を守って。正直ね、駆け落ちも考えたこともあるの。でもね、やっぱり私……自分の家族を捨てられない」
「……フローラはそこまで考えててくれてたんだな」
「ええ。だってやっと叶った恋だったから」
「フローラ。俺も同じだよ。俺も故郷を捨てられない。だって俺は村長の息子だから……」
気がついたら唇が重なっていた。
最初は戯れるように触れるだけを数回、そして段々深いものになっていった。
口付けに夢中になっていくうちにフロレンシアはこんなに恋に溺れるのは最初で最後なのではないかと感じた。幸せでとろける想いと物悲しい想いが混ざったものを抱いて、口付けを続ける。
一頻り、キスが終わるとお互いの額をくっ付け合う。
「セシリオ、元気でね」
「ああ。俺も。フローラのこと絶対忘れない。それとルンマ村をエルバと守ってく。フローラの家のことも心配すんな」
フロレンシアを優しく抱き締めて、セシリオは笑った。
「さようなら、セシリオ。幸せに」
噴水の縁から立って、フロレンシアはセシリオに背を向けて帰って行った。次々に流れてくる涙を溢れさせながら走る。
セシリオも顔を大きな手で覆って、フロレンシアを見送った。
「大好きだった。さよなら、フローラ……」
今、ここで若い二人の恋が終わった。
建物の陰に身を寄せていたリズはフロレンシアの足音を聞くと走って来たフロレンシアの前に現れた。
「はなしは終わった?」
「ええ。ありがとうリズ。私が危ない目に会わないように待機してくれてたんでしょう?」
その言葉にリズは口だけで笑う。
「フロレンシアはか弱いから」
「そんなことないわよ! 私だってやれば出来るんだから……!」
リズの言葉に少し赤くなりながらフロレンシアが抗議する。
「フロレンシア、少しつきあって」
「?」
交易区から異国人居住区へと戻って来た二人は、居住区の中でも一番高い建物に上ろうとしていた。梯子を用意するとまずはフロレンシアを先に行かせ、リズは梯子をしっかりと支える。その後、リズも続いた。
「屋根の上なんて子供の時と修理の時くらいしか上ったことないわ」
リズも屋根に上がり終わった後に、フロレンシアに手を伸ばす。
「フロレンシア、手。こっち」
「あ、うん」
「こっちの方がよくみえるから」
伸ばされた手のひらをぎゅっと掴むとリズの体温が心地いい。フロレンシアはリズの横に移動すると、リズと同じ方向を見る。
「もうすぐ日がのぼる」
輝いていた星が藍色の空と共に消え、太陽が強い光を放ちながら昇ってくる。
フロレンシアの目が光を受けて輝き始めた。
それを見たリズは静かに彼女の瞳を覗き込むとぽそりと呟いた。
「フロレンシアの目ってあさやけみたい」
『……暫くアンタの朝焼け色の目が見られないのが恋しいね』
「…………っ!!」
今、リズを故郷の母と重ねた。
そして同時に思い出した。自分がどれだけ、この光景が好きだったか。待ち侘びていたか。
初めて足を踏み入れた王都ロティオンは、精神的に追い詰められていたせいもあるのだろう、あまりの街の大きさと人の多さに怖気づき得体の知れない怖い街だと思っていた。しかし、それは間違っていた。
大好きだったものが当たり前のように、此処にもあった。さらに、横には大好きなものを分かち合う者も居る。
景色は違っても、故郷と何ら変わりなかったのだ。
―――― そして、空も故郷と繋がっている。
ここに来て良かった。
ロティオンに来てから、初めてフロレンシアはそう思った。仕事もまだ決まっていない居候の身だが、はっきりと心でそう感じた。
こちらの朝焼けは、東の森から昇った太陽が南の海を照らしてとてつもなく美しい。フロレンシアは暫くその朝焼けと水面の色をうっとりと見続けていた。
「フロレンシア、こっちみて」
「どうしたの?」
「ん、やっぱりあさやけ色できれい」
はにかむように口角を上げるリズを見るとまるで無邪気な子供のようで、フロレンシアは胸のあたりがくすぐったくなった。
「ねえ、リズ」
「ん?」
一度、友達に裏切られた身だ。
まだ人を信じるのは怖い。でも横にいる彼女なら。
―――― もう一度だけ、人を信じてみたい。
「……私たち、友達にならない?」
「いいよ」
リズの答えは実にあっさりしたものだった。だが、そのさっぱりとした物言いがフロレンシアには心地よかった。
「……良かった。少し心配だったの。断られるかもって」
そわそわと身体を揺らすフロレンシアを横目に、リズは何かに気づいた顔で顎に手を当てる。
「そういえば、わたし、ともだちってはじめて」
そんなリズにフロレンシアは吃驚した表情をする。だが、すぐに破顔した。
「本当!? ……でも私も王都で初めての友達ね」
「お互い初めて同士、よろしくね」
「ん」
眩い朝焼けの中で、二人の手が繋がった。
屋根を降りて教会に戻って来ると、ボーナが珍しく走ってこちらに向かって来た。
「アンタたち! というか、フロレンシア!!」
「はい!?」
いきなり指を指されたフロレンシアは身体を硬直させる。何か悪いことをしてしまっただろうか。
そんなフロレンシアの心配とは逆に、ボーナは笑顔で彼女の両腕を掴む。
「嬉しい知らせだよ!! 後で交易区のコラリオン食堂に行っておいで」
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