第三話 朝焼けと夕焼け 3-5



 急遽コラリオン食堂に行くようにと身体を揺さぶるボーナに、フロレンシアは頷くと身を翻して教会を飛び出して行った。

「リズ、アンタも行っといで。もしかしたら手違いかもしれないからね」

「なんで、フロレンシアよび出されたの」

「ん? ああ。うちのカレヴァがコラリオンで食べてる時に店員にフロレンシアの料理の話をしたらしいのさ。それがコックの耳に入って、こっちに連絡が来たってわけ」

 カレヴァは教会で働く古株の使用人だ。食通でもある彼は、休日になると交易区に限らず様々な居住区の食堂で食事をしている。

「……ようす見てくる」

「頼んだよ」


 フロレンシアの後を追って、走り去るリズの背中にボーナは心配そうな目を向ける。

「あの子もこれで腰を落ち着ければ良いんだけどねえ」


 フロレンシアにとって、コラリオン食堂は来都初日に採用を断られた店でもある。建物は、泥ひとつ付いていない真白い壁が眩しく、取り付けられた珊瑚色の看板が人目を引いた。

 ドアはなく開放的で、仕事休みや終わりの人々、ロティオンに住む人々、そして旅人たちが代わる代わる店へと入っていく。ここでは、ロティオン近海で獲れた新鮮な魚介を使った様々な料理と甘くて頬が落ちてしまいそうな甘味類が売りだ。

 内海を思わせる広々としたテーブル席で上質な葡萄酒を片手に魚介料理と甘味に舌鼓を打つのが、極上の幸せ――と宣伝用に雇われた吟遊詩人が店先で唄っていたのをフロレンシアは思い出した。

 コラリオン食堂は港の広場と交易区の境目にある角地にある。


 息を切らせながらフロレンシアが走っていると、目の前で果物を売る露店の店主に今にも噛みつきそうな勢いで息巻く男性の姿が見えた。

「はあ!? キミ、本当にそれ本気で言ってるの? あり得ない! ライムで代用しろだって?」

 優しい色合いの赤髪で、ウエーブがかった前髪がふんわりと靡く長身の男は薄い空色の瞳を見開いて怒りの態度を示す。

「だから今、言ったろう! これはもう予約済みの品だ。だからアンタには売れない」

「金なら出す。何処の露店や果物屋を回っても此処にしかなかったんだ。だから頼む、売ってくれ」

「お客さんしつこいな!」

「フン! 何とでも言え! あれには……キアッケレには」


「レモンが必需品「なんだ!」「ですよ!」」


 思わず近くにいたフロレンシアの声が重なった。はっと思わずフロレンシアが言ってしまった口を押さえると、男がずかずかとこちらに向かってくる。

 内心、口論に参戦してしまった形になったフロレンシアは顔がみるみるうちに青くなった。自分はやるべきことがあるのに何をやってしまったのだと。

 男との距離が近くなり、とうとう真正面に来られてしまった。それから、男に予想外の行動をとられた。


 片膝を付かれ、手を取られたのだ。


「美しいお嬢さん……! 正しくその通りだ。ライムではダメなんだ。レモンでなくてはあの鼻に抜ける爽やかさは出ないんだ。ああっ二人の声が重なり合うなんて……これは実に運命的だ」

 細長く形の整った指で悩ましく額を覆う男と、そのまま固まるフロレンシア。何処か芝居がかっていて、仄かに怪しい。このような男に出くわした経験のないフロレンシアは只、茫然としていた。

 男は勢いよく店主の方に顔を向けるとまたも大きい声で言い放つ。

「店主! 金を倍にして、そこに並べられている西瓜や舐瓜も言い値で買おう。だからレモンを譲ってはくれないかっ」

「あのう……。譲って差し上げたらどうでしょうか」

 はっとしたフロレンシアも続けて言う。道を急いでいるので、早くこの場を切り上げたい一心だった。二人で頼み込むと店主はばつの悪そうな顔をした。男が大きく通るような声で話すので通行人も何名か集まって来たところだったのだ。

「し、しょうがないな! 売ってやる。その代わり金額はさっき言った通りだからな!」

「分かったよ。交渉成立だな。……ありがとう、お嬢さん」

 立ち上がり、フロレンシアに向かって整った顔立ちでウィンクをする男は露店の方へ行ってしまった。

 フロレンシアもそれに赤くなり暫く照れていたが、目的を思い出すと急いで食堂への道を走り始めた。


 コラリオン食堂に着くと中に入ると、店内は人払いをしているのか客は居なかった。そこで、側に居た従業員に来た旨を伝える。従業員は白い髪が似合う物腰の柔らかな男だった。

 老齢である年のはずなのに、曲がるどころかしゃっきりとした腰は全く年齢を感じさせない。彼は温和な眼差しでフロレンシアに微笑む。

「こんにちは! 異国人教会から来ましたフロレンシアと申します」

「フロレンシアさんですね。ようこそコラリオンへ! あちらのテーブルにご案内します。すぐに責任者を呼びますので」

 一番奥のテーブルに手を示されると、フロレンシアは頷いた。二人でそのテーブルに向かいながら、店員はそうそう、と話し出した。

「ここ二、三日で年に一度のキアッケレ祭りを行っているのをご存知ですか?」


 キアッケレ。

 素朴な味がたまらない揚げビスケットだ。作り方も簡単なため、各家庭でも作られる。そのままでも充分旨いのだが、それぞれの家庭のレシピや店のレシピによっては綺麗な型で抜いたり、砂糖をまぶしたり、スパイスや香草を入れたりと多種多様であることでも知られる。


「そうなんですか?」

「ええ、最初は此処を含めた三、四軒で始めたんですがね。段々店が増えていって。今では十軒ほどが参加しています」

 十軒。確かにそれはちょっとした祭りだ。

「只、食材が品薄になりましてね。特にレモンが。うちの契約業者が納品する量でも足りなくて」

 フロレンシアは来る途中で会った果物屋と男のやり取りを思い出す。だから、あの人は必死だったのかと合点がいく。

「レモンの奪い合いですね」

「如何にも。それにキアッケレは素朴な分、作る時に個性が出る。作り手次第でキアッケレの旨さは無限大に引き出せる。――――それで得た人々の支持は、店の看板にも等しい」

 一瞬男の目が鋭くなったのをフロレンシアは見逃さなかった。祭りといっても、言うなれば店の看板を背負った客の取り合いだ。そこで一番客を呼び込めた店が次の祭りまでの一年間、誇りを持って店を出せるのだろう。

 テーブルに着くと、従業員は丁寧なお辞儀をする。

「こちらに掛けてお待ち下さい」

「ありがとうございます!」

 フロレンシアも礼を返すと男は奥の厨房へ下がっていった。

 その瞬間、


「てんちょーー! ディック! レモンありったけ買ったぞ!!」

 と聞き覚えのある声がフロレンシアの耳を打つ。

「静かにしろベルナデッタ! 採用面接の人が来てるんだぞ!」

「採用面接~~?」

 ベルナデッタがきょろきょろと店内を見渡すと、フロレンシアの戸惑う瞳と目が合った。途端に、目を細めた彼女に店内で走り寄られ、膝を付かれる。

「お嬢さん!! ああ……やはりボクらは運命で結ばれた二人だったんだね」

「ベルナデッタ、ということは女性だったんですね。すみません、てっきり男性かと……」

 苦笑いでフロレンシアが答えると、ベルナデッタはすっくと立ち上がって腰に手を当てる。

「ん、ああ。だが、この方がボクらしいと思って。ひらひらした服が嫌いなんだよ。それに可愛らしい女性も好きだし。この男用の飾り気のない服もボクの綺麗な顔立ちを際立てるから実に良いね! 最高だよ……」

 最後は吐息の混じった声でフロレンシアの両手を包み込む。

「あの……両手を握り込むのはちょっと……」

「照れた顔も益々愛らしいね……」

 顔の距離が段々近付いてくる。これはまずい、とフロレンシアは内心冷や汗が止まらなかった。顔に騙されてはダメだ。ああ見えてベルナデッタは女性だ。だが顔が良い……とぐるぐると思考が絡まってくる。


「いい加減にしろ、バカ」


 カアン、と銀の盆でベルナデッタの頭を叩いた後、彼女の後ろから店長らしき壮年の男が顔を出した。

「フロレンシア、と言ったか。実にすまない。見境のないバカな女で……」

「いえ……」

 唸りながら頭を押さえるベルナデッタはきっと店長を睨む。

「見境あるから、店長! フロレンシアさんはさっきレモンを買うのに協力してくれた素晴らしい女性なんだっ」

「そうなのか。ありがたいな、礼を言う」

 淡々とベルナデッタをあしらい、礼をした店長は大物だとフロレンシアは感じた。というか、ベルナデッタの個性が強すぎるため、このように素っ気ない方が釣り合っているのかもしれない。

「さて、フロレンシア。採用の話なんだが……残念な話ですまない」

「えっ!!」

 まさか、ベルナデッタとのやり取りで不採用か。フロレンシアは身を乗り出して店長を見据える。

「残念なことに、このベルナデッタが独立することになって、店を持ちたいと。それでベルナデッタの店の従業員を探していたんだ」

「あっ、此処ではなく……?」

 少しだけ惜しく思った。このような大きな店で働くのも良いと思っていたからだ。

「実にすまない。だが、ベルナデッタはこの店の看板コックだった女だ。腕は信じてもらっていい」

 そう言いきる店長の顔は自信に満ち溢れている。きっとこの男がベルナデッタを一人前のコックに育てたのだろう。そのことに対して相当な自負があるはずだ。きっとベルナデッタが店を出せば、 この食堂に負けず劣らずの人気店になりえるかもしれない。

 未だに店長の盆攻撃でしゃがみこみ、頭をさすっているベルナデッタにフロレンシアは声を掛ける。

「ベルナデッタさん、私で良かったら雇って下さい」

「本当かい!? フロレンシアさん……いやフロレンシア。キミのような太陽のような女性をボクはずっと探していたのかもしれない……」

 頭をさするのを瞬時に止め、フロレンシアを見つめるベルナデッタの口からは相変わらず甘い言葉を吐き続ける。フロレンシアはこういう人なのだと前向きに諦めることにした。

「只、生憎今はキアッケレ祭りの最中でね。それ以降になるが大丈夫か?」

「祭りはいつまで……?」

「後、七日ってとこだな。だが、祭りが終わっても一からベルナデッタの空き店舗探しとなると……。思ったより時間が掛かるかもしれん」

「そんな……」

 口を押さえたフロレンシアに向けて、一人の男の言葉が掛けられる。


「雇えば良いのです。コックとして」


「ディック、いきなりどうした」

「彼女はずっと従業員として職を探してきたのでしょう。客の前に出るような。でもうちは接客係は足りてますから、厨房係で雇えば良いんです」

 先ほど案内してくれた従業員―― ディックは、カツカツとゆっくりとした歩幅でこちらに歩いてくる。その顔はにこやかな表情を浮かべてはいるが、目は先ほど見た通り鋭い。

「それに、私も興味がある。カレヴァさんが絶賛していた、貴女の料理に」


 フロレンシアは、身体中の息を吐き出すように深く息を吐き出した。まるで全身で覚悟を示すように。

「……分かりました。今まで厨房係で働いたことがないので自信ないですけど」

「じゃあ、分かりやすく採用試験をしましょう。こちらから提示したメニューを貴女が作る。それだけです」

 ディックが採用試験を提案する。

 その提案に頷いた店長がベルナデッタに話を振ると、彼女はいつの間にか料理人の顔になっていた。

「ベルナデッタ、何かメニューで思い浮かぶものはあるか?」

「……あるよ」



 フロレンシアの目をじっと真面目に見つめると、ベルナデッタは静かに、穏やかに告げる。

「フロレンシア、キミなりのキアッケレを作ってくれ。レシピを考える期間は二日。三日目に此処に来てボク達の前で作ること」



 コラリオン食堂を出ると、すぐリズが駆け寄ってきた。

 フロレンシアはリズに事の顛末を話すと、彼女は「チャンス」と一言だけ、言った。

「そうよね、チャンスだわ。ようやく私にも運が向いて来たわ! リズと御来光を見たおかげかしら」

 クスクスとフロレンシアが笑う。

「教会のちゅうぼう空けてもらう」

「そうね、ボーナさんや使用人さん達には悪いけれど。二日ばかり貸してもらうわ」

 中身はどんなものを入れようかしら、とそのまま交易区に赴くと、リズを連れ回し良さそうな材料を買い込んでいく。フロレンシアの頭の中は材料の組み合わせや食べ合わせでいっぱいになっていた。

 だが、自然と頭は冷えており、むしろ心の奥から喜びのようなものを感じた。何だろう、とてもわくわくする。

 フロレンシアが手持ちで持っていた金をありったけキアッケレの材料につぎ込むと、教会へと向かった。リズも荷物持ちとしてフロレンシアの分も荷物を持つと「うまくいくといいね」と小さく言った。


 ボーナに事情を打ち明けると、二つ返事で厨房を貸してくれた。

 それから丸二日間、フロレンシアはレシピを考え続けた。試作品も作り、食べきれない物は教会の皆に食べてもらった。なのでこの二日間の教会での食事は毎食キアッケレ付きであった。

 しかし、味が毎回違うため喜んでいた者の方が多く、リズもその一人で導き手の仕事中もキアッケレを弁当代わりに持っていくほどだった。



 そして三日目の朝、フロレンシアは目の下の隈を濃くしながらふらふらとコラリオン食堂へと向かっていった。殆ど寝ておらず、足取りがおぼつかないフロレンシアに心配になったリズも付き添いとして同行することになった。

「フロレンシア、自信持って行くんだぞ。アンタのキアッケレ、どれも美味かったんだからさ」

「フロレンシアなら大丈夫よ、頑張ってね」

「フロレンシアさん、あのキアッケレなら大丈夫です。いやはや、私が紹介しただけあったなあ……」

「泣くの早いよカレヴァさん!」

 教会の皆から様々な応援の言葉が掛けられる。フロレンシアは心がじんわりと温まっていくのを感じ、思わず泣きそうになってしまった。

 涙をぐっと堪え、フロレンシアは「いってきます」と胸を張って言うとリズと共に教会を出た。


 厨房前で立っているボーナはフロレンシアの見送りには行かなかった。

「シスターボーナ、一言掛けなくても良かったんですか?」

「ん? ああ……。オリヴィエラ、厨房を見てみな」

 ボーナは、オリヴィエラというリズより少し年上の若いシスターに厨房を指差す。彼女は厨房を覗くとこれ以上ないほど散乱した室内が目に入った。

 大きなテーブルには粉や香草、干した果物や砂糖や蜂蜜、そして調理用具がこれでもかと乱雑に置かれている。かまどにもさっきまで揚げていたのか、沢山の油が鍋に残っていた。

 その光景に先ほどまで苦労してキアッケレを作っていた彼女の姿を見た。

「フロレンシア、上手くいくと良いですね」

「……努力は必ずしも報われるとは限らない。だが、これを見せられちゃ願わずにはいられなくなるねえ」

 ボーナの顔はこれ以上ないほどに慈愛に満ちた表情をしていた。それを横目にオリヴィエラは両手を握り、額につけ祈る。



「―― エルピスの鐘よ、彼女に聖なる力をお与え下さい」

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