寂しがり屋の夢魔と薄藍の小鳥

依月さかな

0.プロローグ

「リトさん。わたし、近いうちにこのお屋敷を出て行こうと思ってるんです」


 いつだって別れは突然だ。

 普通に生活していれば、人は出会いと別れを何度も経験する。だから、誰かと別れることは別段珍しいことではない。

 ただ今回は何の前触れもなかっただけに、リトにとって大きな衝撃だった。


「……急にどうしたんだい? ルティ、俺は君に何か気に触るようなことをしたかな」


 彼女は、一時の気まぐれで冗談を言うタイプではない。そう分かっていたからこそ、リトははぐらかさなかった。

 まっすぐに見つめてくる彼女のオレンジ色の目を見返して、答えを待つ。


「リトさんは何も悪くないです。お仕事が忙しいのに毎日おいしいごはんを作ってくれたし、色んなところに連れて行ってくれました。感謝してもしきれないくらい、リトさんはわたしに良くしてくれました」

「じゃあ、どうして……」


 動揺のうちに喉から出た声はかすれていた。最後まで言葉にならなかったリトの問いかけを、彼女——ルティリスは理解したようだった。


「好きな人ができたんです。わたしはその人のところに行くつもりです」


 ぱたりと彼女のきんいろの尾が揺れた。同じきんいろの毛に覆われた耳をピンとたてて、ルティリスは顔を綻ばせる。


魔族ジェマのひとはこわいって聞いてたけど、リトさんは最初から全然こわくなかったし、たくさん優しくしてくれてうれしかったです。今まで、ありがとうございました」


 ぺこりと頭を下げられて、リトは黙り込む。

 かける言葉が思いつかなかった。ルティリスは、もうリトと別れることに決めてしまったのだ。言葉の端々や彼女の揺らぐことのない瞳を見て、すぐに悟った。


 心のどこかでは薄々気付いていた。まだ十年ほどしか生きていない彼女が、父親と同じような年頃のリトに対して特別の感情を抱いていないことは。ましてや、彼は長い寿命を持った魔族ジェマの民。リトにとって、ルティリスははるかに年下だった。


 それでも。


 リトは本気だった。出会いは無理やり作ったものであったし、悪意で彼女を利用していた時期はあった。

 それでも、心の底からルティリスのことが好きだったのだ。






 いつでも別れは悲しくて、さみしいものだ。

 ルティリスだけじゃない。病で妻が亡くなった時も、自分を捨てて両親が出て行ってしまった時も。


 どうして、みんな離れていくのだろう。どうして、最後にはいつもひとりになってしまうのだろう。


 いつだって、暗い部屋でひとりきり。


 どうすれば悲しまずにすむだろうか。どうすれば、さみしいと感じなくなるだろうか。




 返ってくるはずがない問いかけに、クスリと笑う声がする。


『——じゃあ、悲しまずにすむように、あたしが止めてあげる』


 微睡みの中、耳もとでそうささやかれた気がした。

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