17.吸血鬼と薄藍の小鳥

 四年前の悪夢から解放されたのは、一年前のことだった。

 リトにより【制約ギアス】の指輪によって呪いをかけられたレイゼルは、すぐにティスティル帝国を出ることにした。あらゆる国を彷徨いながらついには別大陸のゼルス王国へ飛び、三年の月日をかけて高位の魔術師ウィザードを探し出した。大金と引き換えだったものの、ようやく身体を縛る魔法から解放することができたのだ。


 自由の身になってから一番に頭に浮かんだのは、やはり鴉のような黒衣をまとった魔術師ウィザード。リトアーユ=エル=ウィントンのことだ。


 彼には大きな屈辱を受けた。だから、今度は自分がリトに屈辱を与える番だ、とレイゼルは考えていた。

 でなければ、この身の内で荒れ狂う怒りはおさまりそうにないのだ。


 もともと、彼が素直に指輪を渡すわけがないことは、初めから分かっていた。


 レイゼル自身も利用しようとした【制約ギアス】という無属性の高位魔法は、相手に命令を与えて無理やり従わせることのできる呪いだ。

 そもそもティスティル帝国では、その魔法を付与する魔術具マジックツールの作成は禁じられている。その効果を持つ指輪ひとつで国家転覆さえできてしまう恐ろしい代物だからだ。

 とはいえ、レイゼルとしては女王を狙う気などさらさらなかったし、【制約ギアス】の指輪を自分に使われた時も大して恨みもしなかった。


 許せなかったのは、リトが下した「自分達と魔術具マジックツール開発部に関わるな」という命令だったのだ。


 なぜ。

 どうして、殺してくれなかったのだ。

 自由を奪い、暴力を振るい、大事にしている部下を傷つけた。それなのにリトは報復を与えるどころか、レイゼルをただ遠ざけただけだったのだ。


 なんという屈辱だ。何のために周到な計画を練ったと思っている。

 すべては何人ものひとの命を奪ったこの極悪人を、断罪するためだったというのに——。


(リトアーユ、楽に死なせてはやらないよ)


 応接間にある巨大な窓から見える光景に、レイゼルは口を歪ませた。

 よく磨かれたこの窓は隣の部屋の様子を観察することができる。いわゆるマジックミラーというもので、内側の部屋からは窓の存在に気付くことはない。


 白い壁の部屋では、黒髪の魔術師ウィザードと月色の狼が対峙している。少しの会話を交わした後、狼が若い男を襲った。逃げる暇もなく噛み付かれた傷口からは血があふれ、床に広がっている。

 ライズには五感を共有できる【使い魔ファミリアー】の魔法をかけてある。彼に耳を通して聞こえてくるリトの言葉が愉快で、思わず笑みがこぼれた。


「リトをどうするの?」


 高いトーンの声が思考をさえぎる。レイゼルは隣に立つ小柄な少女を見た。

 モニターにも映っていたリトのそばにいた翼族ザナリールの娘。つった濃い藍色の双眸をまっすぐ向けて、姿勢よく佇む姿はどこか毅然としていた。


「それを君に教える必要があるのかね?」

「リトを食べるの?」


 核心を突かれて、赤髪の吸血鬼ヴァンパイアは薄いグレーの目をすぅっと細めた。


 魔族ジェマという種族は、もともと他種族を喰らって自分の魔力へと変える能力がある。

 ひとを食べたのはいつだったか、レイゼル自身はよく覚えている。たった一度の過ちで戻れなくなったあの日だけは忘れることはできない。

 半分に断ち切られた寿命はすでに種族王から告げられているものの、それまでのうのうと生き続ける気はない。それなのに、飢えによる衝動は常にレイゼルを駆り立てる。


 初めて同じ魔族ジェマに手をかけたのは、四年前。リトに噛み付いた時だった。正直、あまり美味くはなかった。


 それでも。

 喰われるかもしれないという恐怖は相手の心を蝕むことだろう。


「喰らうつもりだよ。特に、彼にはただならぬ恨みがあるのでね」

「ふーん」


 少女は抑揚のない調子でそう返しただけだった。視線は窓の向こう側で起こっている光景に釘付けだ。

 

 深手を負い、ライズに突き倒されたリトの顔色は悪くなっている。

 それでも、彼女は顔色ひとつ変えなかった。


 妙な娘だ。色々あって怒りがおさまりそうになかったから、残酷な場面を見せつけて泣かせてやろうと思ったのだが。


 黙り込んでしまった翼族ザナリールの少女を見かねて、レイゼルも彼女に倣うように目の前の惨状に集中することにした。

 リトがどうなっていくのか一番楽しみにしているのがレイゼル本人だ。

 なにしろ、ライズを通して五感で愉しむことができるのだから。何にも邪魔されたくはない。


「……あなた、もしかしてリトが好きなの?」


 その問いかけは、あまりにも不意打ちだった。


 赤髪の吸血鬼ヴァンパイアは勢いよく、自分よりもはるかに小柄な娘を見た。

 揺らぐことのない濃い藍色の双眸が、まっすぐ彼に向けられている。


 レイゼルは思わず固唾を飲んだ。


「なぜ、そう思うのだね?」


 ——ライズといい、この娘といい、一体何なのだ。


 彼らの考えていることがレイゼルには分からなかった。不愉快に感じて、眉を寄せる。


「わたしの知り合いに吸血鬼ヴァンパイア魔族ジェマがいるの。だから知っているんだけど、あなたたち吸血鬼ヴァンパイアの吸血は所有印でしょ?」


 鈴の音のような可憐な声で、少女は淡々とした口調で遠慮なく踏み込んでくる。

 同じ魔族ジェマの男でさえレイゼルの存在を感じただけで恐怖を覚えるというのに、鋭く睨んでも少女は怯む様子もなかった。


「リトを食べたいって思うのは、食べてしまいたいくらいその人の命が大好きだってことでしょ?」


 もう聞き逃すことなどできなかった。

 見開いていた目をすぅっと細めて、赤髪の吸血鬼ヴァンパイアは口を開く。


「それが仮に事実だとして、君はリトを助けるのかね?」

「助けない。リトは諦めないで頑張るって言ってたから」


 言い返してきた娘は真剣な顔を向けてきた。

 その表情がおかしくて、レイゼルは笑みをこぼす。


「それならここで見ているがいい。君のその決意、後悔させてやるよ」

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