15.魔法の手枷と柘植の櫛

 ジェイスが音もなく立ち去ってから、誰も地下に入ってくる気配はなかった。

 当然ながら、リトとラァラの武器や持ち物は取り上げられてしまった。牢の中は布切れが一枚、とほとんど家具や道具がないありさま。

 手持ち無沙汰を覚えたリトは、手首を動かして手枷を色んな角度から観察してみることにした。


 鍵のない魔法性の枷だ。内側には魔法文字で術式が書かれている。


「リト、友達生きてて良かったね」


 顔を上げて、リトは薄藍色の翼の少女を見つめた。

 にこり、と微笑むさまはまるで可憐な花が咲いたかのようで。


「ああ、よかった」

「ね。わたしの占い、当たるでしょ?」

「そうだな」


 彼女のたった一言でリトの体内にいる悲しみの精霊は静かになり、予言はたしかに現実のものとなった。

 こうして地下牢に捕らわれ、武器も奪われた今の状態は良いとは決して言えない。それでも、不思議と不安は感じなかった。

 脱出する方法がないわけではない。後は切り札をどう使うべきか。失敗は許されない。

 こちらがどう動くべきなのか、それは向こうの動向次第だ。


「リト、これ鍵穴ないね」


 思考の海に沈んでいると、隣でラァラがカチャカチャと鎖の音を鳴らせて手錠を観察していた。細い手首にはまっているその枷の内側には同じように魔力を封じる術式が見えた。


「ただの道具じゃなくて、これは魔法道具マジックツールだ。鍵じゃなくて、別の方法で開けるんだ」

「開け方知ってるの?」


 ひとつ瞬いた藍色の瞳を見つめて、リトは夜空よる色の目を和ませた。


「ああ、知ってる。なにしろこの拘束具は過去に俺が作ったものだからな。四年前に生産は中止にしたはずなんだが、なぜ奴はまだ持っているんだろうな」

「きっとコレクターなんだよ」


 そんなファンはいらない。第一、執拗に狙われて喜ぶ開発者がいるわけがない。


 魔法道具マジックツールの発明はリトの本業であり、好きなことのひとつだ。

 だが、作る側の感情としては、レイゼルという男の存在は複雑だ。こうして誰かの自由を束縛するような悪い仕方で使用されては目覚めが悪い。

 ——とは言え、この黒光りする魔法性の手枷を開発したのはリト自身で、今では恥じ入る過去の過ちだ。だから、その枷に拘束されているリト自身に限って、この状況は自業自得とも言える。


「開け方知ってるなら、リトにこれ開けられる?」


 ちゃりちゃり、と絶え間なく小さな金属音が聞こえてくる。


「……無理なんだ。たしかに俺が作ったものだが、開けられない。使用者が決めたキーワードを心の中で念じることで解錠する仕組みになってるから。でも俺は、奴がどういうキーワードを設定したのか分からないんだ」

「他に方法はないの?」

「あるにはある。俺が書き込んだ術式を上書きすれば開けられる。でも、今この地下牢にはそのための道具がない。だから、俺の力では開けることができないな」


 不意に鎖の音がやんだ。

 隣の彼女に視線を移せば、ラァラは大きな瞳でリトを見上げていた。


「じゃあ、その術式を消せば開けられる?」

「え」


 とっさに、返す言葉が出てこなかった。

 目を丸くしていると翼族ザナリールの少女は前合わせの上着の内側に手を差し入れる。そして、彼女が取り出したものにリトの目は釘付けになった。


「櫛……?」


 それは、一般的に翼族ザナリールが自分の翼を手入れする時に使うと言われている櫛だった。暗がりの中でも艶やかな光沢を放つその櫛は、質のいい柘植のものだと分かる。

 よく見ると、その櫛には上下の突起があった。ラァラが同時にその突起を押すと、鋭い金属音と共に勢いよく刀身が現れたのだ。


「……!」


 思わず、リトは固唾を飲み込んだ。


 これはいわゆる、仕込み刀というやつだ。

 ティスティル帝国では見たことがない、おそらく他国で作られたと思われる小さな片刃のナイフ。殺傷能力のある、正真正銘の武器だった。


「これで手錠の内側にある術式を削れば、開けられる?」

「……どうだろうな」


 曖昧に返答しつつも、リトは目を細めて仕込み刀を観察する。

 刃の付け根には魔法文字の術式が書かれている。つまりは、この小さなナイフも魔法道具マジックツールのひとつに違いない。

 術式を削り取るだなんて、試したことがない以上確かなことは言えない。ただ、魔法付与効果のある武器ならば、可能性としてはあり得るかもしれない。

 どちらにしても、暇を持て余していたところだったし。


「やってみるか」


 薄明かりの下で、リトの目がきらめいた。考えもしなかった、新たな仮説から実験を行うような感覚がして、不謹慎ながらも胸が踊った。


 作業をしやすくするために、リトは手首まである長い袖を肘のあたりまでまくった。動きに合わせて、鎖がちゃり、と鳴る。

 手枷は手首にがっちりはまっているわけではなく、まだ動かすだけの余裕はあるし、手首と枷の間にわずかながらも隙間がある。

 その隙間に仕込み刀の刀身を入れて、ラァラは器用に手錠の内側にある術式を削り始めた。

 側から見れば、一歩間違えると手首を切りそうな危険な行為だが、リトは気にしなかったし心配さえ覚えなかった。自分の書いた魔法文字が少しずつ削られていく様子が面白くて、楽しげに手元を見つめていた。


 刀身がリトの手首を一回りした後、カチャという音が聞こえた。右側の手枷が外れたのだ。


「褒めて?」


 首を傾げて、ラァラが自信たっぷりに微笑む。

 何回か目を瞬かせて、リトは信じられない思いで手元の外れた手錠を見ながら感嘆の声をあげた。


「ああ、すごいな! 本当に外れた。助かったよ」


 道具に書かれた術式は特別なインクで書かれていて、簡単には取れないはずなのに。魔法が付与されたナイフだから削ることができたのだろうか。


 リトは自由になった右手で左側の枷に触れて魔力を込めた。魔法語ルーンを唱えると、いとも簡単に手枷は外れ落ちる。同じような容量で足枷とラァラの手錠も外した。


「足手まといにならなかったでしょ?」

「そうだな。ラァラのおかげでここまで来ることができたからな。感謝しているよ」


 それはリトの心からの言葉だった。

 彼女の強い励ましの言葉がなければ行き倒れていただろうし、魔力を封じられた状況でラァラの矢がなければ『死の導き』で炎獅子フレイムリオンに大きなダメージを与えることさえできなかっただろう。


 穏やかな笑顔を向けていると、翼の少女はえへ、と照れたように笑った。


「あ。でも、はずしたことがバレるから、手錠はつけたフリをしておいた方がいいかも」

「それもそうだな」


 床に落ちた手錠を拾い上げて、もとの通りにはめてみる。魔法文字をガリガリ削ってしまったせいで完全にははまらないが、まあ大丈夫だろう。


「リトはこれから何が起きるか知ってるの?」

「なんとなく、だけどな。全部把握しているわけじゃないから確かなことは言えないけど、向こうが何をするつもりなのかは分かっている。まあ、どちらにしろ、ライズを助けるためには様子見に徹するしかない」


 大切な友にかけられている魔法は〝ややこしい〟ものだ。なにしろ【使い魔ファミリアー】という魔法は、術者の思い通りに操られてしまう。

 魔法を解く方法も、ライズを取り戻す方法もすべて考えついたわけじゃない。

 それでも。敵に仕掛ける一つの策を、リトはすでに考えついていた。


「占ってみる?」

「うん、頼むよ」


 見上げてくるラァラの藍色の両目はいつでも澄んだ光を宿していて、余裕のある笑みを浮かべている。翼族ザナリールと言えば弱々しいイメージだったのに、彼女はそうじゃない。しみじみと不思議な少女だなとリトは思う。


 リトの了承を受け取って、ラァラは服の上から心臓のあたりに手を触れた。じんわりと伝わってくるぬくもりに、少し鼓動が早くなった。


「大丈夫。諦めなければ、ひっくり返せる」


 顔を綻ばせて、翼の少女はまっすぐにリトを見上げてそう言い切った。確信に満ちた言葉だった。

 彼女の占いが当たることはすでに実証済みだ。


「そうか。じゃあ、俺は諦めないように頑張らなくちゃいけないな」

「うん」


 そう、もう諦めたりはしない。四年前に諦めずに生きると約束するだなんて無理だと思っていたけれど、今はそうは思わない。きっと心の底から誓うことができるだろう。


 突如、けたたましい足音が聞こえてきた。おそらく複数だ。

 表情を固くして待っていると、先頭に幾人かの兵士を連れて深紅の髪の男が現れた。


「出ろ、リトアーユ」


 歪んだ笑みを浮かべるレイゼルを見据えたまま、リトは黙って立ち上がった。

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