8.年齢退行

 ゼルスの怪盗に加え、翼族ザナリールの少女まで仲間に加わってしまった。

 なりゆきで決まってしまったとはいえ、トントン拍子で話が進んでいってまるで思考が追いついてこない。頭も重いし。


「俺も行った方がいいのかなあ」


 湯気の立つ器がのった盆を抱えて、ラディアスが部屋に入ってきた。

 気遣っている割にはあまり行きたくなさそうに、彼は引きつった笑みを浮かべている。

 すかさずラァラは保護者に言った。


「ラトは来なくていいよ。ここにいて、ティオちゃんを守ってあげて」

「分かった。銀闇サンがついて行くなら大丈夫だと思うけど、気を付けるんだよ」


 それでいいのか。しかし、一度了承してしまった以上、連れて行くしかなさそうだ。

 正直なところ、心臓の痛みで身体も弱っているから有難い話なのだが。


「しょちょー、目が覚めましたかぁ……」


 間延びした声で姿を現したのは、空色に染めた翼の少女だった。寝起きなのか、髪はボサボサのままだ。

 そういえば、ティオは泣き疲れて寝てしまったとラディアスが言っていた気がする。


「ティオ、昨日は悪かったな」


 倒れる寸前、彼女は顔を真っ青にして叫んでいた。目の前でライズが襲われただけでなく、頼りの綱であるリトまで目の前で病に倒れる事態に一番心を痛めていたのはティオに違いない。


「な、何言ってるんですか! そもそも、所長が倒れたのは、わたし……の、せい……」


 今にも泣き出しそうに藍色の瞳を潤ませる彼女だったが、ベッドにいるリトを見ると、不意に目を見開いた。

 まるで信じられないものを見るかのように、顔色が悪くなっていく。


「所長……か、顔が……」

「顔? 俺の顔に何かついているのか?」


 何が言いたいのかさっぱり分からず、もどかしい。急かしたからといって、ティオがうまく答えられないだろうし。

 ここは辛抱強く待ってやるしかない。

 黙って見守っていると、彼女は震える指をリトに向けて、言った。


「しょ、所長の顔が、若返ってます!」


 その言葉が何を意味するのか、リトは瞬時に理解した。

 目を丸くしたものの、すぐに落ち着いた声の調子で部下に返答する。


「ティオ、鏡を持ってきてくれ」

「ここにあるよ、リト」

「ありがとう」


 いつの間に見つけたのか、ベッドのそばにいたラァラが笑顔で手鏡を差し出してくれた。受け取って自分の顔を確認した途端に、リトは驚愕する。


 鏡に映る見慣れた顔は倒れる前と全く違うものになっていた。

 短く切りそろえていた黒髪は肩より下に伸び、大人びた顔は幼さが残る青年の顔に。見た感覚ではおそらく十代の終わり頃の、大人から見ればまだ子供の域を出ない子供だ。

 動揺で揺れる闇色の瞳も、髪も色に変化はない。


 予想していたものの、現実を突きつけられると不安に駆られた。一気に喉が渇き、掠れた声でリトはつぶやく。


「……退行している」

「退行、ですか?」


 大きな瞳に涙をにじませていたティオは、不思議そうに首を傾げた。


「年齢退行ですね」


 リトの代わりに口を開いたのはジェイスだった。穏やかな微笑みを浮かべ、ティオに説明する。


魔族ジェマの外見年齢は精神年齢に依存することは知っていますか? まあ、それでも時間というものは戻ることはありませんから、若返ることは普通有り得ません。ですが、酷い精神的なショックや苦痛から、ごくまれに退行の現象が起こるんですよ」

「そう、なんですか……」


 頷いた後、ティオは気まずそうに瞳を伏せた。リトに追い打ちをかけたのは、ライズが死んだと口にした自分だと思っているのは誰の目にも明らかだ。


「ティオ、気にするな。少し外見が変わっただけだ。……もしかすると、背も縮んでいるかもしれないが」


 十代後半といえば、成長期の真っ只中だ。やけに寝間着の袖が長いのも、身長に変化が生じたからだと考えれば納得がいく。

 そういう考えを巡らせた上での発言だったのだが、ティオはリトの言葉を聞いてますます不安に駆られたようだった。泣き出しそうな顔でさらに目を潤ませる。

 けれど、そばでじぃっとリトの顔を眺めていたラァラは、にこりと笑って言った。


「うん、そんなに分かんない」


 こぼれそうだった涙が止まった。ティオはきょとんと目を丸くする。リトも同じく目を瞬かせていたが、くすりと笑う。


「そうだな」


 ショックでないと言えば嘘になる。でも今は、外見が幼くなったからと言って困るようなこともない。

 まず、意識を集中するべきなのは、レイゼルに会ってライズの生死を確かめることだ。


「ティオ、俺は奴の屋敷に行ってライズを取り戻し、レイゼルを捕獲してくる。お前はここにいて待っていろ」

「で、でも、所長。ライズさんは、もう……」


 悲しげに彼女が目を伏せたと同時に、ズキッと心臓が痛んだ。

 なるべく不調を顔に出さないように気を付けながら、リトは部下の顔をまっすぐに見る。


「本当に死んだのか俺も確認したわけじゃないから分からない。だが、どちらにしろ取り戻す必要がある」

「分かりました。……あっ」

「どうした?」


 今度はハッとして、ティオは目をみはった。

 泣いたり驚いたり忙しい子だな、と思っていると、彼女は不意に震え始める。


「わ、わたし所長に報告できてなかったことがあるんです! あの時、こわい吸血鬼ヴァンパイア魔族ジェマに捕まる前に【銀酒シルヴァリキュール】を盗られちゃって……」

「なんだって?」


 もう何を聞いても驚かないつもりでいたリトも、さすがに目を丸くした。


 購入するにも高額な【銀酒シルヴァリキュール】は研究所で厳重に管理している。使いようによっては薬にもなるし、なにより相手を麻痺させる毒の効果をもつ代物だからだ。

 それをレイゼルが持ち去った。理由を推測するに、悪い予感しかしない。


「あれが盗まれたとなると、まずいな」

「では、当然それも取り戻さなくてはいけませんね」


 にっこりと微笑みながら、ジェイスはリトに視線を向ける。その金色の瞳はきらめいていて、リトは思わず身を引いて頷いてしまった。

 どうしてこいつは、こんなに楽しそうなんだろう。


「他に盗られたものはありませんか?」


 どうして、自分は今、怪盗に事情聴取を受けなければならないのか。

 突っ込みたい気持ちを抑えつつ、リトは部下に視線を送る。


「ティオ、どうなんだ?」


 なにしろ、リトは現場には居合わせなかった。一番事情を知っているのはティオに違いない。

 すると、彼女はふるふると首を横に振った。


「他にはないと思います」

「そうか」


 なぜ、【銀酒シルヴァリキュール】だけに、レイゼルは注意を向けたのか。

 黙り込んで考えていると、ジェイスはふっと笑った。


「では、ご友人と【銀酒シルヴァリキュール】の奪還、黒幕の捕獲。この三つを目的として向かうわけですね」

「ジェイス、楽しそうだね」


 リトが言うよりも早く、ラァラが怪盗に突っ込んだ。

 彼らのやり取りを黙って聞いていたが、ティオは細い眉を下げてリトに声をかける。


「所長、本当に行くんですか?」


 胸元のあたりで両手を握りしめ、彼女は不安げに瞳を揺らしそうだ。また泣きそうになっている。

 一人前の研究員とはいえ、リトから見れば彼女は非力な少女だ。さらに余計な心労を与えないように気遣いながら、リトは穏やかな笑みを浮かべた。


「ああ、行ってくる。前回のように無謀なことはしないから、安心して待っていてくれ。……ラディアス、ティオのことを頼んでもいいか?」


 突然話を振ったからか、本人はきょとんとした顔で固まった。でもすぐに自分を取り戻したようで、旅医者は気が抜けたようにへらりと笑う。


「りょーかい、頼まれてあげるよ。でも、行く前にこれはちゃんと飲んでね」


 差し出されたのは、器に入った湯気の立つ薬湯だった。

 素直に受け取って少しずつ口に含む。思っていたより、あまり苦くなかった。


「あ、そうだ。出発するにしても、服のサイズを直さないと動けないんじゃないかな」


 そういえばそうだった。


「やはり、縮んでいるか……」


 まくった袖を元に戻すと、手のひらがすっぽり隠れてしまった。これはかなり身長が低くなったのではないのか。

 しかし、服か。入手方法がリトには悩みの種だった。今のように見た目が十代後半の頃に持っていた服は今から百年以上も前のものだ。当然、残っているわけがない。


「なんなら、私が調達してきますよ」


 ちょっとそこまで、みたいに言うジェイスを、リトは見上げた。


 共通の知り合いがいるとはいえ、どうして彼はここまで親切にしてくれるのか。

 ラディアスもラァラもそうだ。ほとんど初対面だというのに介抱してくれたばかりか、危険な場所に同行すると言ってくれている。お節介にもほどがある。


 それでも彼らの親切がリトにとって有り難いのは事実で。


「ああ、頼む」


 だから、リトは彼の言葉に甘え、身体の回復に専念することにしたのだった。

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