9.レイゼルの企み

 レイゼルは何を考えているのだろうか。


 薄明かりの牢獄の中、天井を見上げながらライズは考える。

 四年前と違い、食事は与えられた。だから空腹で困るようなことはないのだが、長期に渡って捕らえておく意図が見え隠れしていて嫌な予感が拭えなかった。


 赤い髪の魔族ジェマ。彼はライズに何かをさせるつもりなのだろう。殺さずに生かしているのは、おそらく目的があるからだ。

 そして、彼の目的とは間違いなくリトを追い詰めるための何か——、だと思うのだけれど。


 シンと静まり返った廊下から、不意に靴音が聴こえてきた。たぶんレイゼルだ。すぐにライズは反応し、昨日と同じく床の上で膝をそろえて正座し、背筋をビシッと伸ばした。


「坊や、元気そうだね。よく眠れたかい?」

「こんな固いところでゆっくり眠れないですよ」


 なるべく平気そうな顔をして、ライズは薄いグレーの目を見て笑った。つられたように、レイゼルも口元を緩める。


「今日は君の質問に答えようと思ってね」


 あからさまに、ライズは眉を寄せた。


 たしかに昨日、何をやらせるつもりなのかレイゼルに尋ねた。だが、彼は黙って何も言ってはくれなかった。そのはずなのに、一日経っただけで、今度は手のひらを返したように素直に答えるという。

 これはもう、嫌な予感しかしない。


 冷や汗を背中で感じながら、ライズは改めてレイゼルを観察してみる。

 服装は昨日とあまり変わらない、ワインカラーのスーツ。長い深紅の髪もひとつにまとめていて、清潔な印象だ。——そして、右手には鈍く光る刺突剣エストックが握られている。


「……何を、する気ですか」


 思わず、ライズは立ち上がって後ずさった。もちろん牢の中だから、あまり意味はない。

 勘付いた彼に、レイゼルは笑みを深くした。格子の扉に触れて、鍵を開けてくる。どうしよう、逃げ場がない。


 ぎいっと音を立てて扉が開く。その寸前、ライズは最後の賭けに出た。


 月色の狼本性に戻って、背高の魔族ジェマに襲いかかったのだ。


「逃げられると思っているのかね?」


 刺突剣エストックの鈍い光が弧を描く。

 立ち塞がるレイゼルが開けた牢の入り口、そのわずかに開いた隙間から逃げ出そうと駆け出すが、ライズの前足に容赦なく剣が突き立てられた。


「うああっ……!」


 大きな悲鳴が牢の中で響く。強い痛みを感じながら、それでもライズは冷静だった。物理的に動けなくなり、狼というより犬の真似をしてきゃんきゃん吠えてみたが、悲しいかなレイゼルは眉ひとつ動かさなかった。

 突き刺さった剣を引き抜き、そっとライズの前足を取ると彼は傷口からあふれている血を舐める。途端に、月色の狼は身体を震わせた。


「人型に戻れ」


 もう抵抗するのは無理だと思った。

 観念して戻ると、当然だが腕がそのまま怪我をしていた。傷口が広がったのもあって、さきほどよりも痛い。なのに、レイゼルは腕を掴んだまま離してくれない。


 不意に、彼は魔法語ルーンを唱え始めた。ライズ自身、本職は精霊使いエレメンタルマスターだから魔法には詳しい。これは治癒魔法だ。


 わざわざ傷を治すなんて、どういうつもりだろう。考え得るひとつの可能性が頭に浮かんだものの、そんなの絶対にあり得ないと打ち消した。

 同じ魔族ジェマ同士で、あんな魔法を使うはずがない。


「当たりだよ、坊や」


 無機質な双眸が笑った途端、ライズは戦慄する。

 強い力で彼の細腕を掴んだまま、赤髪の魔族ジェマはゆっくりと魔法語ルーンを唱えた。

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