13.闇竜召喚

 ジェイスが次に入り込んだのは、薄暗くて狭い部屋だった。

 家具や調度品がないことから、ここも他の部屋と同じ作りのようだ。ただ、違っているのは、どこからか絶え間なく聞こえてくる機械音だけ。


 目を凝らして部屋を見渡してみる。たしか、ここにも特別ではないにしても貴重なものがあった気がするのだけれど。


「おや」


 くすりと笑う。暗がりの中で、淡い光を放つ宝石を見つけたのだ。

 白い輝きを持つダイヤモンドだった。石の中にはたくさんの粒子が入っていて、きらめいている。部屋の壁沿いにある金属製の台にすっぽりおさまるように置かれたそれは、光の魔力をまとっているようだった。


「これもいただいておきますか」


 誰に聞かせるでもなく呟いてから、ジェイスはためらいもなくダイヤモンドを台から抜き取った。手のひらの中にある白い輝きを放つ美しい宝石を見て、頰を緩める。


「この館にはたくさんの魔石がありそうですね。他の部屋も探っておきましょうか」






 * * *






 剣の柄を握ったまま、リトは不意に目を見開いた。


「——え?」

「リト、どうしたの?」


 わずかなつぶやきの声が聞こえたらしい。首を傾げるラァラに、リトは視線を獅子に向けたまま答える。


「……光の精霊による圧力が消えた」


 何の前触れもなく、突然に。一体どういうことだろう。

 どういう理屈にせよ、ともかくこれは好機に違いない。なぜなのか全く分からないが、このチャンスを逃すわけにはいかない。


「魔法使える?」

「ああ、使えるようになったよ」


 剣を右手に持ったままリトは治癒魔法の魔法語ルーンを唱えた。瞬く間に傷が塞がり、緩みそうだった剣の柄をしっかりと握り直す。


「ラァラ、俺の後ろにいろ」


 炎獅子フレイムリオンとの距離は十分ある。リトはラァラをかばうように彼女の前に立って、深手を追った獣を観察してみた。

 足はしっかり床を踏みしめているが、矢が突き刺さった片目からは血が流れている。


「さて、一気に攻めるぞ」


 相手はリトのもっとも苦手とする炎のモンスター。魔法が使えるようになったとはいえ、不利には変わらない。なのに、なぜ負ける気がしないのだろう。


 炎の魔力をまとう獅子を見据えたまま、リトは口角を上げた。


 片目をぎらつかせて猛獣は距離を詰めてくる。リトは再び淀みなく魔法語ルーンを唱えた。

 発動した魔法は【目隠し《シャドウブラインド》】。闇色の鴉が獅子にまっすぐ向かっていき、そのくちばしがもう片方の目を突き立てた。


 耳を貫くような咆哮が部屋を満たす。


 だが、ここで気を抜いてはいけない。リトは顔色を変えずに、油断なく次の魔法語ルーンを唱え始める。

 両方の目が潰れ、猛獣の視覚は絶たれた。けれど、魔法の効果は一時的でずっと続くわけじゃない。その時間は三分だけ。

 次にリトが発動させたのは、【影縫い《シャドウバインド》】と呼ばれる魔法だった。炎獅子の影が地面に縫い付けられ、動きが大きく鈍る。


 さすがに動きを完全に止めるまではいかないか。まあ、いい。これだけ弱らせれば上出来だろう。


「これでトドメだ」


 リトは薄い笑みを浮かべ、片刃剣ファルシオンをおさめた。続けて片手を高く掲げ、魔法語を唱えた。


「来い、闇竜ダークドラゴン


 片手に黒い霧が集まっていく。それが次第に大きな竜の姿へと変わり、まさしく闇色の竜だった。

 掲げていた手を振り下ろすと、召喚された闇竜ダークドラゴンはリトの手から離れ、スピードをあげて飛行した。

 同時に、室内がふと暗くなり、闇へと覆われる。——その直前。


 リトはラァラの方へと振り返り、炎獅子フレイムリオンと闇色の竜を背にして彼女を胸に抱き込んだ。


 闇の中位魔法として知られる【闇竜召喚ダークドラゴン】は広範囲に渡るため、リトが庇ってあげないとラァラのような闇の属性でない者にも影響が出てしまう。

 間違っても離さないように腕の力を込めていると、細い腕がリトの腰に回された。予想していなかった彼女の行動に最初は目を丸くしたものの、魔術師の青年はすぐに頰を緩める。


 どのくらいの間、そうしていただろうか。

 背後に感じていた闇の気配がなくなった頃。リトは腕の力をゆっくりと緩めてラァラを離した。


 魔力の残滓さえ消え失せた室内はすっかりもとの明るさを取り戻している。


 振り返ると、顔に刀傷を追った炎獅子フレイムリオンが、肩と背中、そして片目に矢が突き刺さったまま絶命していた。半分開かれたままのきんいろの目は虚ろで、光が灯っていない。


「死んだの?」

「ああ。生命力を食い尽くされたからな」


 闇色の目を和ませてラァラを見た後、リトは穏やかに微笑んだ。その時。


『所長、やりすぎです』


 聞き覚えのある声に耳を疑った。信じたいという思いと空耳なのではないかという不安が、リトの中で渦巻く。それでもほんの勇気を振り絞ってきびすを返すと、そこには深紅の髪の男と彼に従うように寄り添う月色の狼が立っていた。


「随分と私の炎獅子フレイムリオンを可愛がってくれたようだね、リトアーユ」


 彼の薄いグレーの両目が怒りに燃える。

 だが、そんなレイゼルの声さえもリトの耳には入ってこなかった。目を見開いて黙り込んだ後、遅れてぽつりとつぶやく。


「……ライズ」

「すみません、所長。オレが不甲斐ないばっかりに、ややこしいことになってしまって」


 頭をうなだれる彼に、リトは首を横に振る。


 口調も声も、そして狼にしては小柄な体躯も。

 確かに覚えのある自分の部下、ライズものだ。


 ——生きていた。


 そう思った時、ラァラの予言の言葉が脳裏でよみがえる。




 ——大丈夫。この先に悲劇は起きない。




 自然と、口が緩む。


「いや。おまえの元気な姿を見ることができてよかったよ、ライズ」

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