19.そして事件は収束へ

 彼が目を閉じたのを確認すると、リトは深いため息を吐き出した。手の力をゆっくりと緩め、すぐにレイゼルの身体から下りる。


 本来、魔術師ウィザードであるリトは剣が扱えるものの、腕力にはあまり自信がない。

 ジェイスが調達してくれた服のサイズを見て気付いた。おそらく、退行のために身長は十センチほど縮んでいる。十代後半ほどのやや未熟な身体で背の高いレイゼルを抑え込むのは、かなり骨の折れる作業だった。


 相手は騎士だ。それもかなり力のある剣の使い手。持てるすべての力をもって押さえつけるのに、実のところリトは必死だった。


 夢魔ナイトメアの部族は本性トゥルースに戻ると、人型の時と比べて腕力が増す上に長い爪で相手を攻撃することも可能になる。

 もちろん異形の姿は好きになれない。けれど、力業ちからわざに頼らなければいけない局面では、夢魔ナイトメア本性トゥルースは便利なのだ。


「所長、大丈夫ですか!?」


 安堵したら力が抜けて立っていられなくなる。壁に背中をあずけて荒くなった息を整えていると、月色の髪の若い男が駆け寄ってきた。


 術者が意識を失ったために与えられた命令が無効になり、人の姿に戻れたのだろう。

 心配そうに覗き込まれて、リトはふっと笑みをこぼす。


「ああ、大丈夫だ。おまえが手加減をして噛んでくれたから」

「……すみません。オレ、一日口を洗ってないから、その傷すぐに化膿しちゃうかも」


 眉尻を下げてライズのとんでおない告白に、リトはずり落ちそうになった。


 まあ、仕方ない。地下牢で囚われていた上に、レイゼルの使い魔になって行動を制限されていたのだ。しかしそれにしても、最初に傷の化膿を気にするところはライズらしいというか……。


「リト!」


 唐突に部屋の扉が勢いよく開いた。


 目を向ければ、入ってきたのは薄藍色の翼の少女。ラァラだった。

 彼女は迷うことなくリトに近づくと、目線を合わせるかのようにしゃがみ込み、にこりと笑った。


「リト、頑張ったね。お疲れさま」


 ラァラは怖がったり心配したりしなかった。一緒に地下牢にいた時と同じく、花が咲いたような微笑みを見せてくれたのだ。

 途端にじんわりと胸が熱くなり、リトはつられるように顔を綻ばせた。


「ありがとう。やっぱりラァラの占いは当たったよ」


 直球な感謝の言葉など、自分でも柄ではなかったなとリトは思う。けれど、ラァラは照れたように笑っていた。


 そんな二人のやり取りを見てライズは目を丸くしたものの、すぐになにかを振り払うように首を振る。


「所長、夢魔ナイトメアの姿は女の子には刺激が強いから、早く人型に戻った方がいいですよ」

「それもそうだな」


 素直に頷いてリトはすぐに人の姿に戻った。

 同じ魔族ジェマの民ならともかく、翼族ザナリールの少女にはリトが考えている以上に影響があるかもしれない。


「おや、終わったようですね」


 タイミングよく、ジェイスが部屋の中に入ってきた。

 穏やかな微笑みを浮かべる、高身長の若い男。当然ライズは初対面だ。目をぱちくりさせて固まっている部下を横目で見つつ、リトは顔を上げる。


「ジェイス、宝玉は取り戻せたのか?」

「ええ、三つとも返していただきましたよ」

「そうか。良かった」


 またひとつ、気がかりだった問題が解決したようで、リトはほっと息をついた。

 宝玉は高価な魔法道具マジックツールだし、自分のせいで奪われてしまったようなものだったので頭の隅でずっと引っかかっていたのだ。


「それにしても、迫真の演技でしたね」

「見てたのか?」

「天井裏からね」


 全く気付かなかった。意識はずっとレイゼルに向いていたものの、普通は視線くらいは感じるものだと思うのだが。

 それだけ、彼がとんでもない実力の持ち主だということなのだろう。


 不意にジェイスは靴音を鳴らして、さらに距離を縮めてきた。そばまで近づくと屈み込んで何も言わずに手を掴まれる。


 いきなりの行動にリトは頭が真っ白になって固まったが、怪盗の真意をすぐに理解した。彼が魔法語ルーンを紡ぎ始めたからだ。

 よどみなく唱えられた魔法は問題なく発動し、淡い光となってリトの身体を包み込む。癒し魔法だったらしく、さきほど噛まれた傷が完全に治っていた。


「ありがとう、ジェイス」

「どういたしまして」


 嬉しそうにジェイスはにこりと微笑んだ。穏やかな笑顔で返す上司を見て、そして見知らぬ高身長の若い男を見て、ライズは目を瞬かせる。


「ところで、所長。この人たちは誰ですか?」

「ジェイスとラァラだ。俺がここに来る過程で協力してもらった」


 手で示しながら、リトは簡潔に二人をライズに紹介する。相変わらず人好きしそうな笑顔を浮かべ、彼は頭を下げて挨拶していた。

 その時。リトはふと思い出す。


「——あ、そういえば【銀酒シルヴァリキュール】はどうしたんだ? ジェイス」

「所長、どういうことですか?」


 誰よりも先にライズが食いついてきた。薬のことになると、さすがに反応が素早い。


「研究所が襲撃された時、レイゼルに【銀酒シルヴァリキュール】を奪われたとティオから報告があったんだ。ジェイスが取り戻してくれる算段になっていたんだが」

「おや、思い出しちゃいましたか」


 くすりとジェイスが笑みをこぼす。

 絶対わざとだ。こちらが聞かなかったら、そのまま帰るつもりだっただろ。


「それは忘れていた方が良かったってことですか!?」

「解釈はご随意に。協力の報酬としてもらっておこうと思っていたんですが、やっぱり返した方がいいですか?」

「当然です! 返してくださいよっ」

「そうですね、どうしましょうか」


 つぶやくように言いながら、ジェイスは懐から三日月型の瓶を取り出した。並々と入っている透明の液体がゆらゆらと波打っている。


 それを見た瞬間、ライズは目を見開いて飛びつくように掴みかかったものの、相手が悪かった。

 退行したリトよりも背の低いライズでは、背の高いジェイスに敵うはずがないのだ。これ見よがしに高く掲げられた瓶に手を伸ばすが、なかなか届かない。


「返してくださいっ」


 くすくすと笑みをこぼすジェイスはどこか楽しそうだ。だが、彼に対峙するライズは必死の形相で。


 最初は笑っていたものの、リトは仕事に対してはもとから真面目な部下がだんだん可哀想に思えてきた。


「大切なものでしょうし、今回は見逃してあげますよ」


 からかうのに満足したのか、ジェイスは素直に【銀酒シルヴァリキュール】をライズの手元に返してくれた。

 三日月型の瓶をつかんだ瞬間、それをもう奪われまいと両腕で抱えるようにしてから眦をつり上げ、目の前の背の高い男を睨みつける。


「何言ってるんですか。返さなかったら犯罪ですよ」

「そういえば、君はご存知なかったですね。私の職業は泥棒なんですよ?」


 穏やかに笑って首を傾けるジェイスを見て、ライズは勢いよくリトの方へ振り返った。


「所長! なんて人に協力頼んでいるんですかー!」

「いや、俺に言われても……」


 そもそも成り行きで紹介してもらって、協力してもらっただけだし。

 一から説明してもいいのだけど、目をつり上げて怒り心頭なライズに何言っても、彼は聞いてくれない気がする。


 どうしたものか、とリトが悩み始めた時。彼の隣で、ラァラがぽつりと言った。


「ジェイス、悪乗りしすぎ」

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