25.旅医者の抱えるワケあり事情
個人的な話し合いになるだろうと思い、リトが選んだのは自室だった。
部屋の中央にあるソファをすすめて、二人並ぶように座る。
「リト君って本好きなんだねー。すげー専門書の山だー」
高い本棚に隙間なく詰め込まれた本を眺めて、ラディアスは感嘆した。
魔法書はもちろん、地理学や歴史学といった様々な分野の専門書をリトは持っている。調べものをするのに便利だから部屋に置いているのだ。
だが、ラディアスはリトが倒れた時にこの部屋に運び込んでくれたはず。一度ならず、診察のために何度もリトの自室には入っている。
ひとつため息をついて、リトはラディアスを軽く睨み付けた。
「仕事柄必要なだけだ。話を逸らすな」
「スミマセン」
「それで、ライズと知り合いなのか?」
回りくどいのも好きじゃないので率直に尋ねると、彼は素直に頷いた。
「うん。……あの子がちっちゃい頃、よく遊んだんだ」
「どこで?」
まるでこちらが尋問しているみたいだが、仕方ない。
ライズの実家は、リトの家——ウィントン家と肩を並べるほどの上流貴族だ。幼い頃に接することができるのなら、おのずと高貴な人物だと決まってくる。
ラディアスは自分を旅医者と言っていたが、もしかしてティスティルの国民——いや、貴族なのだろうか?
「リト君はオレの正体気付いてる?」
質問に質問で返された。
リトは眉を寄せて、首を傾げる。
「いや。何のことだ?」
「オレさー、行方不明のティスティル王兄だったりするんだよね」
へらりと笑って、ラディアスはそう言った。突然のとんでもない告白にリトは目を丸くする。
そういえば、以前に聞いたことがある。
国を出奔した、現女王・黒曜姫の兄。名前をきちんと知っていたはずなのに、どうして今まで気づかなかったのか。
「ああっ、今思い出した!」
「うん。忘れててくれてよかったんだけどさ。……だから、ライズに会うのはマズイなー」
相手が王族なら、ライズと知り合いだとしても納得がいく。特にティラージオ家は騎士を輩出する家系だし、貴族や王族との交流を大事にしている。
リト自身も五歳の時に爵位を継いでいるものの、彼は幼い頃から人と関わることもせず、誰にも近づくようなことはしなかった。だから名前だけ知っていて、王族とは顔を合わせたこともない。
たしかに、訳ありだ。
そしてきっと、ラディアスにとって深刻な理由があって国を出ていたのだろう。
「なにか理由があるんだろ。まずいなら会わなければいいじゃないか」
「そうだね。てか、ゴメン」
泣き出しそうな顔で、ラディアスは力なく笑った。
今も彼は帰りたくない。そしてそれは単なる家出じゃない。そういうことなのだろう。
「大丈夫か?」
「ライズはオレがここにいるって知れば、絶対王宮に通報すると思うんだ」
王立
けれど。
「おまえは帰りたくないのだろう? 俺はあいにく〝いい人〟ではないから、おまえが嫌なら言わないでおくし、ライズにも黙っておいてやるよ」
「ありがと。お願い、そうしてくれる?」
不安げに目を上げて見つめてくるラディアスを見返し、リトは強く頷く。
「ああ、約束する」
ほっとしたように、彼は穏やかな笑みを浮かべる。彼の笑顔につられて、リトも瞳を和ませた。
しかし、張り詰めかけていた糸が緩んだのも束の間だった。
不意にラディアスは真顔になって、こう尋ねたのだ。
「——ところでリト君はさ、北の白き賢者と知り合いなワケ?」
なぜ、突然カミルのことを聞くのか。
とは言っても彼は王族だ。ティスティルの守護者であるカミルのことは、知っていて当然か。
「ああ、職場の上司なんだ。だから、立場上話をする機会が多いけど」
「あのヒト、リト君に執着してるだろ」
見透かしたように、ラディアスの瞳がリトを射抜く。
大きく心臓が波打ち、背中が冷たくなっていくのを感じた。
「……ラト、どうして分かるんだ?」
リトの問いかけに、ラディアスは直接には答えなかった。
「オレ、彼が大嫌いで。でも、オレの魂はあのヒトのものだから、死なせてもらえない。……オレは、そういう関係」
死なせてもらえない、なんて。
まるで、一種の呪いのような言葉だった。
思わず、リトは固唾を飲む。
「つまり、どういう関係なんだ?」
「彼はオレの精霊魔法の師で、天敵で、守護者で……よく分かんなくなってきちゃった」
自分でもどのように話していけば分からないのだろう。ラディアスは眉尻を下げて、俯いてしまった。
彼自身の中でもうまく整理できていないのかもしれない。
——もしかすると。
この時、リトはふと考えた。
ラディアスになら、話せるかもしれない。ここ一年の間に抱いていたカミルに関することを、彼になら相談できるかもしれない、と。
「ラト、俺にもあの人がよく分からないんだ。最初に会った時は普通に仕事の話をする間柄だったんだけどな。ティオとかによく絡むけど、俺にはあまり興味がないみたいだったし」
カミルはいつも研究室に来るわけではないが、たまにふらりと研究所を訪れる。
所長室に入ってきたかと思えば、必要最低限の会話だけ交わして、向こうは作りかけの
それが一変したのは、四年前。
レイゼルを一度退けた後、魔法製の手枷を外してもらうために彼を呼びつけた時だ。
「あのヒトはね、
「じゃあ、ますます矛盾するだろ。俺は
相手を魅了する魔力を持っている部族が、いわゆる〝妖魔系〟のカテゴリーに入る。
もしかすると、ライズは
「そうなんだ。じゃあ、リト君無意識に誘っちゃったんだなー」
「…………」
誘ってない。断じて、誘ってないぞ。
「まあ、きっかけは些細でもさ。あのヒト、気に入ったモノに対する執着ハンパないからさ。全部奪われる前になんとかしないと、キミが傷つくよ」
ラディアスの両目がまっすぐリトを見つめる。
真剣な表情にリトは俯いて唇を噛んだ。
なんとかしなきゃいけないことは分かっている。ライズだって心配しているし。
「これでも危機感は持っているんだ。カミル様も、ここ数ヶ月でエスカレートしてるし」
ちら、と目を上げると、ラディアスは俯いて黙り込んでいた。
しばらくそうしていたかと思えば、不意に彼は顔を上げる。
「具体的に聞いてもいいかな。リト君はどこまでいっちゃった?」
直球すぎる問いかけに言葉を失う。
頭の中で言葉を探すものの、なかなか思いつかずリトは目を泳がせた。
これはもう、こちらも直球で返すしかない。
「……最後には首筋を噛まれる」
「そか。噛まれるのは首だけ?」
「いや。耳を噛まれる時もあるけど」
「その時は痛い?」
「痛くはない」
なんだこれ。
診察か? それとも、尋問か?
「そうなんだ。ちなみにリト君、好きな女の子いる?」
一瞬、薄藍色の翼を持つ少女が脳裏に過ぎった。
こんな時になに考えてるんだ。
あわててリトは頭を振って、気持ちを切り替える。
「数年前は妻もいたし、その後も好きな人はいた。今は独りだが」
「ヒトリになってからエスカレートしたのかな?」
「……言われてみれば、そうなのかもしれない」
思い返してみれば、ルティリスがいた時は今のように迫ってくることもなかったように思う。
彼女が屋敷を去ったのは一年前だ。フラれたショックでほとんど所長室に引きこもっていたから、記憶は曖昧だが。
間を空けずに、割とすぐに近づいてきたような気がしなくもない。
「うん、それならキミに恋人ができれば、あのヒト多分手を出さなくなると思うよ。相手が決まってる子は射程範囲外らしいし」
「恋人って、そんな簡単にできるものじゃないと思うぞ」
自分で言ってて悲しくなってきた。
チクリと胸の奥が痛む。
「そうだね。ゴメン」
「いや、別に。……そういえば、ラァラがカミル様にいじめられると言っていたんだが、何か関係あるのか?」
なんにしてもラディアスは彼女の保護者だ。
彼なら、なにか知っているかもしれない。
「それさ、オレのせいなんだ。あのヒトはオレのことを気に入ってて、誰にも渡したくないんだって。……で、ラァラにオレを盗られたと思ってて、その腹いせとオレの動揺見たさにひどいことするんだ」
「そうだったのか」
子どもか。
「ラァラが泣かないから、オレは救われてるけど。でも、守ってやれないなんてさ、サイテーな保護者だよな」
震える声で、ラディアスはそう言った。
彼の青灰色の目は揺れていて、今にも泣き出しそうで。
ただ純粋に。力になりたい、そう思った。
「そんなことないだろう。俺はおまえと会ったばかりで知らない部分は多いが、少なくとも、ラァラはラトのことをそんな風に思っていないことだけは分かる」
穏やかにリトは笑う。
つられたように、ラディアスも力の抜けたような笑みを浮かべた。
「リト君は優しいな。惚れちゃうよ?」
冗談めいた彼の言葉に、思わずくすりと笑う。
優しいなんて、今まで言われたこともないのに。なんか不思議だ。
「俺は優しくないし、いい人でもないんだけどな。過去に人を陥れたこともあるし、平気で傷つけたこともある。今回の件だって、そのツケが回ってきたようなものだから、元はと言えば自業自得なんだ」
「そうなの? そうだとしても、ツケを支払って得たものが思いやりなら、上出来じゃね?」
彼の前向きすぎる発想に、苦笑する。
そんなこと、思いつきもしなかった。
「ありがとう」
感謝を込めて伝えたら、ラディアスも嬉しそうに顔を綻ばせた。
腕を組んで伸ばして軽くストレッチした後、彼は「さてと」と言ってソファから立ち上がる。
「ラァラを休ませてあげたいから、今日は泊まってもいいかな? 明日には出て行くから」
「帰る場所はあるのか?」
家出中の身だろと思わず突っ込んだら、ラディアスは誤魔化すようにへらへらと笑う。
「ないけど、テキトーにまた宿取るよ」
「そんな面倒臭いことしないで、しばらくここにいればいいだろ。この館には俺しか住んでいないし」
「迷惑かけるよ?」
まだ遠慮があるらしい。
無理もない。まだ知り合ったばかりだし、当然だろう。
なるべく強引だと感じないようにしなければ。
リトは頭の中をフル回転させて、言葉を選ぶ。
「実を言うと、誰かと一緒にいる方が楽なんだ。ほら、俺は寂しがり屋の病気なんだろう?」
わざとらしく、指先で胸のあたりを示す。
一度は心臓の発作で死にかけた上に背が縮んでしまったのだけれども、今ではあまり悪い気はしていない。
「あー、そうだったね。キミの治療もまだ中途半端だっけ。じゃ、甘えようかな」
そう言うと、通りがかりの旅医者は表情を頬を緩めたのだった。
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