2.突然の悲報
闇夜に銀砂を撒いたかのように、無数の星々が瞬いていた。
もうすっかり夜の時間だな、とリトは思う。
いつもは夕暮れ時に帰宅するのに、珍しく今日は遅くまで残って仕事してしまった。
昼間は賑わいを見せている繁華街も今ではすっかりどの店も固く戸が閉じられている。宿屋や民家の方はぽつぽつと明かりが灯っているから、真っ暗というほどではない。
さて、今日の晩は何を作ろうか。
食材は不足していない。昨夜見た時はまだかなり在庫があったな、とゆっくり歩を進めながらリトは考えていた。
リトは黒い
思案しながら伏せる瞳は黒、そして丁寧に短く切られた髪も黒。挙げ句の果てには、彼が身につけている足元まで届く長衣も黒、と鴉のように全身真っ黒なのだ。ぱっと見て年は三十代くらいの背の高い男で、今は悲しいことに独身である。
以前は妻がいたし、その後はルティリスという名の狐の少女と暮らしていた。だから食事のメニューでは頭を悩まされることはなかった。
けれども、今は一人暮らしの身の上だ。料理は好きだから作れなくはないが、自分一人だと思うとメニューがちっとも浮かばなかった。心は踊らないし、億劫だと思っただけで身体が鉛のように重くなる。
まだ開いている店を探して、適当に食べてしまおうか。
なんとなく浮かんだ考えだったが、リトには良い案だと思えた。器具の片付けをしなくていいし、帰ったらすぐに休める。良いことづくしだ。
頭の中で結論が出たところで、一人頷きくるりときびすを返した時だった。パタパタと走る音が聞こえてきた。慌ただしい様子の足音だ。
通りを見ると小さな人影が見えた。
翼を背負った小柄の少女。顔見知りだ。
「ティオ?」
彼女は
しかしよく見れば、ティオは顔や足に擦り傷を作っていた。たぶん、転びながらでもリトのもとに必死に走ってきたのだろう。
おそらく大事な用があるに違いない、とリトは判断し、彼女の言葉に耳を傾けることにする。
「しょ、所長! た、大変なんです!」
ティオの様子はただ事ではなかった。顔は青ざめていたし、手も足も小刻みに震えていた。よほど怖い目に遭ったのだろう。
なるべく不安にさせないために、リトはそっと
「どうしたんだ?」
できるだけ声をやわらかくさせて尋ねると、ついにティオは泣き出しそうな顔をした。大きな藍色の目に涙がたまっていく。
「大変なことが起こったんです。あの! お、おお落ち着いて聞いてください!」
「とりあえずお前が落ち着くんだ。俺の自宅に行こう」
カタカタ震える肩に手を添えて諭すように言ったが、ティオはぶんぶんと首を横に振った。「今聞いてください」と声を荒げる姿にリトは嘆息する。
「分かった。ちゃんと聞いてやるから。何があった?」
肩膝をついて身を屈め、リトはティオの視線に合わせてあげた。すると、ついに彼女の目から涙が溢れ出してしまった。
「ライズさんが……」
「ライズ? 」
眉を寄せて怪訝な顔をする。ティオはそんな上司に構わず、ぎゅっと目を閉じて叫んだ。
「ライズさんが、死んじゃいました!」
一瞬にして、目の前が真っ白になった。ドクン、と心臓が波打つ。
「……ライズが、死んだ?」
そのまま返せば、
嘘を言っている様子には見えない。
「……ティオ、そんなことあるはずない。何かの間違いじゃないのか」
そうだ。彼女は思い違いしているのだ。冷静になればきっとやっぱり違ったって思うはず。
しかし、ティオは再び首を横に振った。
「
頭に雷が落ちたような感覚に襲われる。
脳裏によみがえるのは、狂ったような瞳の男。同じ
彼が来たのなら、たしかにライズは無事では済まない。
——と考えた時、鋭い痛みがリトの胸に走った。まるで鋭利な刃物を突き立てられたかのような強い痛みだ。
「わたし、ライズさんに所長を呼んできてくれって言われて。で、でもっ、悲鳴が聞こえてこわくなって振り返ったら、ライズさんが襲われてて。そのまま動かなくなっちゃって……」
こんな大事な時に限って、どうして今更また痛みだすのか。
胸のあたりを押さえながら、リトは苛つき始める。
今は緊急事態で、ティオの話を聞かなければならないのだ。動き出すためには、状況を一刻も早く知る必要があるというのに。
笑い始める膝を心の中で叱咤してなんとか立ち続けたまま、リトは黙って続きを促す。いや、促さずとも彼女は言葉を続けた。
「あのまま食べられてしまいました。だから……だから、ライズさん絶対死んでしまったんです!」
直後、全身を貫くような痛みがリトを襲った。
「……あっ」
次第に呼吸が荒くなり、両膝が痙攣した。冷たい汗がドッと流れる。とてもじゃないが、立っていられない。
四つん這いにうずくまりながら、リトは右手で胸を強く押さえた。
心臓が押しつぶされそうに痛い。
「——所長?」
はっきりと聞こえていたティオの声が遠くなっていくような感覚がした。
自分自信の荒い呼吸とバクバクと激しい鼓動を続ける心臓の音ばかりが耳につく。
医者を呼ばなければと思うが、唇が喉が思うように動いてくれない。
だんだんと暗くなっていく視界で脳裏に浮かぶのは、明るく笑う青年の笑顔だった。
虚弱体質の彼は決して強くはない。だから守ってやらなければいけなかったのに、巻き込んで死なせてしまった。間違いなく自分のせいだ、とリトは後悔した。
ついに、身体を支えていた左手が痙攣した。
力を込めることができずに、地面に倒れ込む。
「所長、大丈夫ですか!?」
両手を力なく投げ出し、霞んでいく視界に顔を覗き込んでくる
全身が痛くてたまらなかった。痛みで気を失ってしまいそうなくらいだ。
(すまない、ティオ)
心の中で部下に謝罪し、リトは瞼を閉じた。
意識を闇の中で潜らせる。奈落の底へと沈み込む寸前、
「——大丈夫?」
ティオではない誰かに、そう問いかけられた気がした。
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