(16)二度目の予言
広間から連れて行かれるドレスレッド侯爵とルディオスの姿に、ニフネリアは扇情的なドレスを纏ったまま、必死に手を伸ばした。
「おじ様!?」
けれど、呼びかけたドレスレッド侯爵は、衛兵と共に扉の向こうに引き立てて行かれる。
「さっさと歩け!」
今まで身内の侯爵には吐かれたことのなかった衛兵の怒鳴り声に、ニフネリアは自分の身の回りで急激な変化が起こったことを悟って、呆然としながら伸ばしていた手を下げた。
けれど、どうしたらよいのかわからない。
「あ……」
救いを求めるように周りを見回したが、返ってきたのは冷えた貴族の眼差しばかりだ。
つい先日、アグリッナが占いの席で浴びせられたのと同等の。いや、それ以上に冷ややかな視線が、周囲を取り巻いている。それに気づいて、思わずニフネリアが一歩後ろに下がった。
「さて、ニフネリア」
王の声に、びくっとしたニフネリアが慌てて礼の形を取る。
「犯罪者――ましてや、国王暗殺を企んだとなれば、パブリットもドレスレッド侯爵の縁者であるお前の妹との縁談は考え直さねばなるまい。当然、ニフネリア、お前を寵姫にというパブリットの後援も立ち消えになるだろう。このことはわかるな?」
「は、はい……」
しかし答えるニフネリアの歯の根は合っていない。国王反逆罪は大罪。一族全員死罪になってもおかしくはない。
「まだこれからの審議次第だが、私としても、一度は私の寵姫にと推された女性を投獄したくはない。お前とダーネには、特別に寛大な処置を約束しよう」
「あ、ありがとうございます……!」
必死に背を丸めるようにお辞儀をするニフネリアを確かめると、王は視線を移した。
見回した先には、部屋の一番端にいたはずのイルディがいつの間にか立ち、手を体の前で礼をするように持ち上げている。
「では、陛下。ドレスレッド侯爵を捕まえて、脅迫の効果がなくなったところで、今回の騒動の元凶となったお一人に、真実を話していただきましょう」
「真実……?」
イルディの言葉に、アグリッナが秀麗な眉を顰めている。けれどイルディが指をぱちっと鳴らすと、一人の老婆か衛兵に左右を抱えられながら連れてこられた。
全身を烏のように黒い衣で覆った皺だらけの顔は、数日前の園遊会で不吉な予言をした占い師のものではないか。
必死にもがく姿が、どさっと床に投げ出された。急いで逃げようとしたが、老婆の頭をイルディがすかさず横から掴む。
「気になっていたんです。陛下とアグリッナ様が結ばれれば、オリスデンは富み、今より領土も増え栄える。それなのにオリスデン王国は消える。この矛盾」
そして、ぐいっと老婆の黒い胸元を掴む。
「さあ、言え! お前はあの占いで、まだ伝えていない部分があるだろう!?」
(伝えていない部分!?)
今まで考えもしなかったことに、ディーナはイルディが掴んでいる老婆を見ながら、瞳を瞬かせた。
(だけど、考えてみれば確かにおかしな話だわ……。オリスデンは繁栄するのに、王国は消える)
だとしたら、それはアグリッナのせいではなく、天災か敵国からの侵略によるものではないのだろうか。
しかし、老婆はなんとかイルディの手から逃げられないかと、床に尻をついたまま後ずさろうとしている。
「わ、わしゃあ、嘘は言っておらん……」
「じゃあ何を言わなかった!? ドレスレッド侯爵に言わないように脅迫されていたのか!?」
「ふ、ふえ……」
しかし、老婆はまだもがいている。往生際の悪い姿に、イルディの表情に僅かに酷薄な色が宿った。
「それなら王宮の地下牢はまだ空いている。三日ほど入って、私が新しく考案した拷問方法を味わってみますか?」
「ひっ――言う! 言うからやめてくれ!」
「ああ。最初から、そう言ってくだされば、ここまで必死にお願いしなくてもすんだのですよ?」
(いや、それお願いという名の脅迫だから!?)
思わず心の中でつっこんでしまうが、本気で脅された占い師にすると、心底怖かったらしい。
やっと離されたマントの胸元を握り、ぜえぜえと息を吐いている。けれど、苦しそうな息から途切れ途切れに、言葉がこぼれてきた。
「あの占いには――――確かに言わなかった部分がある」
「え……?」
アグリッナが王に抱きしめられたまま、青い瞳を見開いている。
驚いている細い姿を抱きしめながら、王はまだ床に蹲っている占い師に叫んだ。
「言え! ドレスレッド侯爵に脅されて言わなかった部分とはなんだ!?」
周りを囲む貴族達の瞳も興味津々だ。けれど、まだ占い師は蹲ったまま、床の大理石を見つめている。
「王とアグリッナ嬢が結ばれれば、オリスデン王国はなくなる。これは変わらない占いの結果じゃ」
ごくりと、周囲の息を飲む音が聞こえた。
「ただ、続きがある。オリスデン王国はなくなる。しかし、オリスデンは――帝国になる」
「帝国……」
呆然とアグリッナが呟いた。驚いてぴくりと白い手が動くが、王がしっかりと握り締めている。
「それはまことか!?」
「この状況で嘘を言うほど、肝が太うはないわ!」
占い師の叫んだ言葉に、王は手を握ったままのアグリッナを振り向いた。
「だ、そうだ。アグリッナ、だから、安心して私と結婚してくれ」
「ですが……。陛下は、さっき、私との婚約を破棄されたいと……。もう、私のことなどお嫌いになられたのでは……」
「あれは貴女にまとわりついていたルディオスの本性を暴くためにやったことだ! でないと、いくらリオスに証言させたところで、貴女がルディオスを庇い、更に危険になると思ったからだ!」
「陛下……」
信じられないように、アグリッナが王を見上げている。
まだ瞳を揺らすアグリッナを、王は心を伝えるように深く抱きしめた。
「そうは言っても、本当は肝が冷えた。イルディが、私とアグリッナはもう神の前で婚約式をすませているから、教会の許しがない限り、正式な婚約破棄はできないと言わなければ、きっと踏み出すことができなかっただろう」
「陛下……」
「だから、私と結婚してくれ。私はアグリッナ以外見えない。貴女を守るためなら何でもする。貴女が、王である私が嫌なのなら、王の座だって捨てるから」
抱きしめられているアグリッナの頬に、ぽろぽろと真珠のような涙が伝っていく。
「……はい、ありがとうございます」
そして、白い手がそっと王の胸に寄せられた。そのまま手の上に頬をのせて、忍び泣くアグリッナの姿を、いとおしそうに王は抱きしめている。
一枚の絵のように寄り添い合う二人の姿に、大広間のどこからか、パチパチと乾いた音が響いた。
ディーナが見回せば、人ごみの奥にいた一人の若い貴族の令嬢が、抱きしめあう王とアグリッナの姿を見つめたまま拍手をしている。
「――オリスデン王妃アグリッナ様、万歳……!」
こぼれたのは小さな声だったが、手からあがる拍手につられるように、徐々に周りに手を叩く音が広がっていく。
そして、どっと大きな拍手になった。
「万歳! 新しいオリスデン王妃に!」
「未来のオリスデン帝国に!」
まるで音の津波だ。貴族達のあげる歓声と拍手に、王とアグリッナも驚いて、しかし嬉しそうに周りを見回している。
(まさか、そんな良い未来を隠していたなんて)
王国にとっては、何よりの慶事だ。
(これでアグリッナ様を王妃に迎えることに反対するものはいなくなる)
それどころか、予言された繁栄の王妃として国中から祝福されるだろう。
(よかった……)
これでアグリッナはきっと幸せになれる。
(それにしても、こんなことを考えていたのなら、話してくれたらいいのに)
思わず隠していたイルディを睨んでしまう。
けれど、イルディはちょっと拗ねたディーナの視線に気づいて、片目を瞑った。その表情にあっと心で叫んでしまう。
(これはイルディの作戦だわ!)
あの時の老婆の様子。きっと元々王国の更なる繁栄を示唆する予言だったのだろう。それを曲げた老婆の言葉の矛盾を利用して、更に帝国の一言を加えたのだ。
(そうよね。本当にすれば占いも詐欺にはならないんだから)
オリスデンは既に帝国の規模はある。それなら、これから二人で支えて本物に変えていけばよいだけの話だ。
けれど、振り返ったイルディにぼっと顔が赤くなった。
(ちょっと! しっかりしなさい私)
しかし、王は拍手している貴族達に向って、一度手を振って音を鎮めた。そして、ゆっくりと腕の中にいるアグリッナの方を振り向く。
「しかし、今回アグリッナの心を悩ませる騒動を生んだのは、元はといえば私のせいだ」
「陛下……?」
不思議そうなアグリッナからはまだ涙が溢れている。頬を伝う涙を指でふき取り、王はじっとアグリッナの澄んだ瞳を見つめた。
「私が貴女を愛するあまり、ほかに女性をおかず、長い間後継者問題を放置してきたのが原因だと思う。そこを敵国に利用された。だから、また公式寵姫の座で騒ぎが起こり、貴女を苦しめないためにも、アグリッナ。貴女が成人して、誰からも後ろ指をさされずに王妃に迎えられるまでの間、私はディーナを公式寵姫に迎えようと思う」
「えっ!?」
(聞いていないわ!?)
驚いて思わず王の方を振り返る。けれど、視線の先では、王は静かにディーナを見つめている。
「不満か? もちろん、弟の学費に十分な額の化粧料は出そう。卒業すれば、姉の側にいられるように、オリスデンの登用試験も受けられるようにしよう。それに――そうすれば、貴女の実家の苦境も救えるだろう?」
「――は、はい」
急いでドレスの裾を摘み、礼をする。
(確かに、借金を背負った私にほかの選択肢はない。借金と弟の学費の為に、必死になってきたのも事実だ)
そして、アグリッナ様と王の婚約を破棄させるという任務が事実上終了になった今、もうディーナの居場所は公爵家にも王宮にもないだろう。
わかっている。わかっているはずなのに。
(だけど、イルディ!)
体を持ち上げて、思わず立っている姿を振り返ってしまう。
蒼白に顔色を変えて振り向いたディーナの様子に、王も同じ方向に視線を走らせた。そして立っているイルディを見つけて、薄く笑う。
「ところでアグリッナ」
そのまま腕の中に抱きしめているアグリッナを見つめる。
「この二人。ディーナとイルディは、貴女に内緒で私に貴女を騙すようにと迫ってきたんだ。ディーナは、私が貴女を守るために使うが……。このような不埒な男は、愛しい貴女の側に置くべきではないと思うのだが」
「イルディを?」
王の言葉に、不思議そうにアグリッナが王の胸から顔をあげた。
そして、驚いた眼差しで、王とイルディの顔を見比べている。
「ああ。私は、貴女がこの男を使うのには反対だ」
深く頷いた。そして、じっと覗き込むようにアグリッナの青い瞳を見つめている。
注がれる王の視線に、アグリッナも動かしていた目を留めて、同じように王を見つめ返す。
「……そうですね」
そして、いつものきりっとした面を取り戻した。
「確かに主人を裏切る使用人など、危なくて側においておけません」
言い放つと、毅然とした眼差しに戻り、イルディを振り向く。
「イルディ。貴方は解職します。どこでも好きなところに出てお行きなさい」
「――はい」
命じられたイルディは、静かに身を折り、礼をする。
けれど、側で見ていたディーナには、突然のことに頭がついていかない。
(そんな!)
同じ職場という繋がりしかなかった。公爵令嬢の補佐と、令嬢からの依頼を受けた自分!
(それなのに私が王の寵姫となって、イルディが公爵家を出てしまえば、もう二度と会うことが叶わなくなる!)
けれどイルディは、大広間の中でただ静かに頭を下げている。
「お世話になりました」
そして、くるりと背を向けると、そのまま貴族の列の間を通り扉へと歩いていく。
一度としてディーナを振り返りはしない。
突然のことが信じられなくて、ディーナは去っていくイルディの背中を、瞳で必死に追いかけた。
(嘘よ、そんな!)
ここで別れてしまえば、二度と会えなくなる。
王の寵姫と、もう王宮に出入りする身分をもたないイルディ。
(嫌よ! もう会えないなんて!)
「イルディ……!」
小さな声で叫び、必死に手を伸ばそうとしたが、イルディはそのままただ静かに大広間を出て行った。
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