(7)とんでもない作戦!

 その夜。王の手伝いが早目に終わったディーナは、事の顛末をアグリッナの部屋で伝えていた。


 いつもは冷静なアグリッナも、ディーナから聞いた話に、顔を孔雀石のテーブルについた片手の中に埋めてしまっている。


「まさか、リオス殿下が妹のユウノール姫まで持ち出してくるなんて……」


 さすがにドレスレッド侯爵の暴言までは伝えていない。けれど、アグリッナには、十分に衝撃だったのだろう。落ち込んでいる姿に、側に立つイルディが困ったような笑みを浮かべた。


「ユウノール姫は大変明るくて朗らかな方でしたからね。今頃ご家族の食卓はさぞ盛り上がっておられるでしょう」


「やられたわ……。これでもし、ドレスレッド侯爵の言葉に、ユウノール姫がのせられて、陛下にあの二人のどちらかを寵姫に迎えるようになんて進言されたりしたら――」


「ドレスレッド侯爵が選んだ二人のご令嬢は、陛下のお好みから外れておりますから、先ずご心配はいらないと思いますが。けれど、進言を受けられて、騒動をおさめるために、名目上だけでも、一夜の関係をもたれたことにされては厄介ですしね」


 けれど、イルディが答えた瞬間、アグリッナの拳がどんと音をたてた。握られた白い手は、叩きつけられたまま机の上で震えている。


「私は、別れられれば、陛下に近づく女が誰でもよいというわけじゃないのよ――!」


 アグリッナの言葉に、ディーナも大きく頷く。


「私もわかりました。なぜアグリッナ様があんなにドレスレッド侯爵を嫌われるのか――」


(何があっても、あんなひどい奴に、自分を愛してくれている人を渡せるわけがない)


 たとえ、どんなにアグリッナが王との婚約を破棄したいと願っていても。


「そうよ! 確かに、我が公爵家の名誉をおとさせない、それも大事よ? でも家の問題以上に、私と別れた後、陛下ご本人に幸せになってほしいからこそ、私は貧富を問わずにこれだと思う娘を探し出させたのに――」


「え?」


(これだ、で、恋愛詐欺師?)


 さすがに、今のアグリッナの言葉にはディーナの瞳が瞬いてしまう。


 どう考えても、基準がおかしいような気がする。


 けれど、アグリッナは心底困惑したように、自分の唇に指をあてて溜息をつく。


「おかしいわ。ディーナは、才色兼備なのはもちろんだけど、死んだ父親の借金を女手一つで返して、弟の学費までやりくりしている健気な娘なのに――。どうして、陛下は気に入ってくださらないのかしら?」


「え?」


 思わずディーナの首が、ぐりんと高速でイルディを見つめた。


(ちょっと! どういうつもりよ!?)


 情報が偏りすぎている。


 しかし、イルディはいつもと同じしれっとした顔だ。


「ああ、間違ってはいないでしょう? ただややこしいので枝葉末節少しばかり省略しましたが」


「少しじゃないでしょう!?」


(むしろ、絶対に大事なところが足りない気がする!)

 

 恋愛詐欺師! まさか、これが抜かれているとは思わなかった。


「細かいところはいいじゃありませんか。それに多分アグリッナ様も気にはされませんよ」


「そんなはず――!」


(ここまでの話を聞いて、いくらなんでも、自分の婚約者に男を誑かす悪女を許すとは思えない!)


 けれど、勢い込んだディーナの前で、イルディはくるりと振り向いた。


「では確認してみましょう。アグリッナ様。男を騙す女を、どう思われますか?」


「男を?」


 イルディの言葉に、俯いていたアグリッナが不思議そうに顔をあげた。けれど、少し考えて腕を組む。


「そうですね――。男に騙されて弄ばれる女よりは、はるかに好感度が高いです。むしろ、やりたければ、徹底的に行うことを推奨しますね」


「だそうです」


 アグリッナの意外な返答に思わず体勢を崩してしまう。


「何で!?」


「当然ではありませんか。嫌がる女の後をつけ回し、逃げられないのを良いことに無理強いするような男には、むしろ天誅が下ればよいとさえ思っているのです」


(今のアグリッナ様の実体験!?)


 いやいや、まさかと冷や汗が流れてしまう。


(アグリッナ様への陛下のご様子は、そこまでひどくはなかったはず!)


「でも、どうしましょう。ディーナなら、きっと陛下も幸せになってくださると思って選んだのに……」


 俯いて、薔薇色の唇に指を当てているアグリッナの横顔は、なぜかひどく疲れて見える。


 どう言えばよいのかわからなくて、ディーナが迷った時、扉がこんこんと音を立てて叩かれた。


「はい」


 一瞬悩んだが、今は人払いがしてあるので、ディーナが扉を開ける。すると扉の向こうには、籠いっぱいに珍しい南国の石榴で作った焼き菓子を詰めた侍女が立っていた。


「リオス殿下より、アグリッナ様へお裾分けだそうです。ご家族の席へお招きできる資格をお持ちでないことへのお詫びを――とのことです」


「なっ!」


 侍女の伝言にかちんときてしまう。


(婚約者に対してなんて暴言!)


 これでは、王族に入ることを認めないと遠回しに伝えているのも同然ではないか!


 けれど横からイルディが出てくると、さっと侍女から菓子の入った籠を受け取った。


「ありがとうございます。リオス殿下によろしくお伝えください」


「イルディ!」


(なんで、いつもの舌鋒で言い返さないの!?)


 侍女を見送ると、さっさと扉を閉めて部屋の中に戻っていく後ろ姿が信じられなくて、ディーナは急いで後を追った。


 けれど、イルディは今受け取った籠をアグリッナに見せることもなく、部屋の端で飼っている小鳥の元へと近づいていく。


 そして鳥籠を開けて、崩した焼き菓子の粒を掌から啄ばませた。


「おや。毒は入っていませんか。残念、殺人未遂容疑で訴え損ないましたねえ」


「殺人容疑――っ!」


 さすがにぎょっとしてしまう。


「当然でしょう。リオス殿下から、アグリッナ様への差し入れなど、ぞっとしませんからね。単なる嫌味でなく、もっと悪意を仕掛けてくだされば、こちらも反撃しやすいのに。残念なほど手ぬるいですねえ」


「いや――ちょっと待って」


(毒殺されそうになったら、相手を死刑台に送るつもりなの?)


 何倍の報復を仕掛けるつもりなのか――。イルディを見守るディーナの背中に汗が流れた。


「まあ、かまいません。毒がないならないで、利用の方法があります」


 ぱんぱんと手を払うと、イルディは、今の様子をじっと見つめていたアグリッナの方を振り返った。美しい顔は、さっきの言葉を聞いていたせいか驚くほど白い。


「ご安心ください。私に妙案がございます。この菓子を使い、必ずディーナと巻き返してみせますので」


「妙案? それは、一体?」


 不思議そうに、疲れた顔で見上げてくるアグリッナを励ますように、イルディは穏やかに笑った。


「それは、アグリッナ様はご存知ないことにして欲しいのです。ですので、今からディーナと相談させてください」


 沈痛なアグリッナを励ますように見つめるイルディの表情は、これまでに見たどの瞳よりも優しい。


(アグリッナ様には、あんな顔もできるのね……)


 なんとなく意外だ。


 だから、アグリッナが白い椅子を立ち上がったことに気づくのが遅れた。


「わかりました。では、イルディ。ディーナとお願いします」


「あ、はい」


(といっても、何をしたらいいのかわからないんだけど)


「さて、ディーナ」


 けれど、イルディは穏やかな顔をいつものに戻して振り向いた。


「貴方に一つしていただきたい任務がございます」


「何?」


「これを――」


 ことんとイルディは、緑の机の上に透明なガラスの小瓶を差し出した。


 中には、微かに薄紅色の水がゆらゆらと揺れている。


「何かしら?」


 見つめて、こくんとディーナが首をかしげた。


「媚薬です」


「媚……!」


 あまりの単語に続きが出てこない。


「こうなれば悠長にやっている暇はありません。一つ状況打開に、劇薬を試してみましょう」


「え? ちょっと待って!? それ、言葉の通りの劇薬じゃないわよね!?」


 思いもしなかった方法にさすがに焦ってしまう。


「安心してください。言葉の通りの薬です。残念なことに惚れ薬の効果はありませんし、後腐れも副作用もなく効き目は一夜だけ。それでも、あの陛下の鉄壁の自制心を壊すには絶大な効果を発揮するでしょう」


「ちょっと待って! いよいよ聞いている言葉が、なんか犯罪めいてきたんだけど!?」


「かまいません。どうせ強力な手を打たないと、この状況は動かせません」


「いや、でも――」


(さすがに、私にも心の準備というものがあるし……)


 けれど、ディーナの焦りを見抜いたように、イルディはいつもの表情だ。


「安心してください。陛下は女性との経験がないわけじゃありません。アグリッナ様とご婚約される前は、普通に幾人かの女性との経験がございます」


(だから、私が心配しているのはそこじゃなくて!)


 大声で叫びたいのに、口はうまく動いてくれない。


「いや、あのね。その……」


「薬を盛るのは、さっきリオス殿下から届いたこの焼き菓子を使わせていただきましょう。なにかあっても殿下のせいにできますし」


 だからと、イルディは振り向いた。


「頑張ってください。成否は貴方の腕にかかっています」


(いや、だから! 私、あんなことしてたけれど、本当はキス以上の男性経験はないのよー!!)


 いつか来ることだとは思っていた。だけどまさかこんな唐突に、しかも自分から仕掛けて誘惑することになるなんて――。今更男性経験がないことを口に出せず、ディーナは額に滲む汗を感じた。



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