(6)まさかの逆襲!
次の日の夕方、少し早めにディーナは王の部屋へと呼ばれていた。
「今日はお仕事が早いんですね?」
「ああ。リオスが久しぶりに兄弟で食事をとりたいと言ってきたからな」
ディーナの質問に答える王の声は、気のせいか前よりも硬さがとれている。少し柔らかな王の声にディーナも笑みを浮かべた。
(相手がリオス王子というのは気になるけれど……)
まさか家族の食卓を邪魔するわけにもいかない。
(まあ、話だけなら、陛下の鉄壁の守りが急に崩れることもないでしょうしね)
だから王のために早めに仕事をすませようと、既にサインの終わった手紙を箱から取り出した時、扉から来訪者を告げる声がした。
「陛下、お迎えにあがりましたわ」
(なっ……!)
聞き覚えのある声に驚いてディーナが顔を上げると、侍従に開けられて入ってきたのは、先日、王の部屋に手伝いを申し込みに来た妖艶な体を持つニフネリアだ。今日も胸の谷間を強調したドレスで、ディーナに強気の笑みを浮かべると、王の側へと駆けるように近寄っていく。そして、後ろから落ち着いた仕草でやってくるアグリッナと同じ亜麻色の髪のダーネ嬢と一緒に、王の前に屈みこんだ。
「なんだ、突然?」
王が不快そうに目を眇めているが、ニフネリアは強気の笑みを崩さない。
「私達、リオス殿下に正式に王との連絡役を仰せつかりましたの。それで、陛下をぜひご用意した食卓にお連れしろと申しつかったのですわ」
「ニフネリア」
強引ともとれる言い方に、ダーネが少し心配そうに後ろから肩を引いている。けれど、ニフネリアは気丈に顔をあげ続けた。
もっとも、本当は緊張しているのだろう。ニフネリアは笑顔を浮かべてはいるが、汗が僅かに滲んでいる。
(ふん。なるほど? 私のように陛下に強引に振る舞ってみろと指示されたということね)
だが付け焼き刃なのは隠せない。華やかな赤いドレスの膝に置かれたニフネリアの両手は、緊張で固く握り締められている。
けれど、横目で足元に座り込んだ二人の令嬢を見つめていた王は小さく溜息をついた。
「そんなに焦って呼びに来ずとも――、そのうち行く。先に行け」
そっけない王の返答に、緊張していたディーナの方が思わずほっとしてしまう。
しかし王が顔を背けた時、入り口から豪快な笑い声が聞こえてきた。
「申し訳ありません。陛下。私の知り合いの娘達が、リオス王子から絶対に陛下を連れてくるようにと言いつけられたのですよ」
だからとドレスレッド侯爵は、慇懃に身を屈めた。
「この子達が殿下のお叱りを受けないように、どうか一緒にお越しくださいませんか」
「ドレスレッド。お前も呼ばれたのか?」
「はい。年が近いのでニフネリアとダーネを、陛下の妹姫の友人として引き合わせたいと仰っていただきまして。私もリオス殿下にお預けした二人の娘のことは気になっておりましたので、お邪魔させていただくことにしました」
笑う侯爵の言葉に、王が金の髪をかきあげた。
「妹? ユウノールも来ているのか?」
「はい。ご結婚によるご降嫁以降、陛下にお会いできる時間が少ないとお嘆きでしたので、今宵お招きされたそうです」
言われた言葉に、王は面白くなさそうに溜息をつく。そして、やっとドレスレッド侯爵をじっと見つめた。
「はかったな。仕方ない。妹の顔に免じて、今日だけは出てやる」
「おお、それはありがとうございます」
(しまった! 相手に一歩やられた!)
しかし、着替えの為に侍従と共に隣の部屋に王の姿が下がると、すぐに二人の令嬢達は座ったままのディーナをくすくすと振り返った。
そして、赤いドレスを胸の迫力も露わに着ているニフネリアが、ディーナの前にずいっと顔を近づけてくる。
「すぐに陛下のお側近くにあがったから、色恋のやり手かと思っていれば――、まだ何もないんですってね」
「なっ!」
(駄目だ、ばれている!)
しかしにっこりと笑う。
「陛下はお優しい方ですもの。私にお仕事を教えてくださっているのです」
けれどディーナの返事に、後ろでおとなしい顔をしていたダーネが、くすっと嫌味な笑いをこぼした。
「お仕事など――。本来は、私達深窓の令嬢のすることじゃありませんわ。ましてや、陛下のご寵愛をいただきたいのなら、それよりお心を砕くことがございましょうに」
(こいつ! アグリッナ様と外見は似ているのに、中身はまるで違う!)
「これこれ失礼だろう」
けれど手を伸ばすとドレスレッド侯爵が二人の娘を窘めた。
「彼女は立派に仕事を覚えようとしているんだ。私からも、今度君をぜひオリスデンの下級役人に取り立てるように部下に話しておくよ」
(なんですって!?)
「お言葉ありがとうございます。ですが、私は陛下の補佐となるべく御手ずからご指導をいただいております。ご好意だけで結構ですわ」
(だから出て行け!)
殺気をこめて見つめたのに、二人の令嬢達はまだ笑っている。
「仕方ありませんわ。所詮、アグリッナ様から御自分の婚約者に結婚までのつなぎにあてがってもいいと思われた方ですもの」
「ええ、ダーネの言う通り。遠縁と聞いていますけれど、お育ちはいわゆるそんなところということかしら」
(こいつ!)
けれど、ドレスレッド侯爵は納得したように頷いている。
「仕方ない。所詮、あの汚らわしい女の縁者だ。六歳で陛下を誑かすような魔性の女の身代わりなら、仕方がないだろう」
(だから、なんでそこでアグリッナ様が、陛下を誑かしたことになるのよ!?)
当事六歳の女の子に、色恋の手管などあろうはずもない。
周りに勝手に婚約を押しつけられて、逃げられなかったのに決まっている。だからこそ、今逃げたくて必死に頑張っているのに――。
(わかったわ! こんな奴だから、アグリッナ様は何があってもこいつの身内にだけは陛下を渡したくないのよ!)
家同士の怨恨があるのかもしれない。だが私怨があったとしても、たった十六歳の女の子に年老いた男が向ける言葉とは思えない。
(こんな男より、よっぽとアグリッナ様の方が胆力があって、惚れ惚れとする方よ!)
なのに、王が着替えて奥の扉から出てくると、今までディーナに向けていた陰険な顔を一変させて笑いかけた。
「おお、陛下ご用意できましたか」
「ああ」
そして、無愛想に答える陛下の背中について一緒に歩き出していく。ダーネとニフネリアも今までディーナに向けていた嫌味な顔など嘘のように、王に向かって愛想のよい笑みを浮かべている。
「陛下。今日は、ご家族の食卓に招いていただいてありがとうございます」
「私、必ずや陛下のお役にたてるように頑張りますわ」
自分の姿に自信があるように、必死に王を追って歩くニフネリアと、しずしずと付き従うダーネの姿に、ディーナは知らない間に拳を握り締めていた。
(やられたわ!)
まさか、王を自分の目の前から連れて行かれるとは思わなかった! しかも、まんまと近づく機会を与えてやることになろうとは――!
家族の中に入って、王家のみんなと親しくなってしまわれたら、婚約者から推薦されただけのディーナは圧倒的に不利だ。
だんと、拳を握り締めたディーナは、目の前の紙束にやり場のない悔しさをぶつけた。
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