(4)王の部屋
次の夜から、ディーナは王の部屋に出入りをすることを許された。
だけど、王の側に用意された机に座りながら、微かに汗を流してしまう。
(甘かった)
夜なら周りに人も少なくて、王との距離もなんとか縮められるかと思っていたのに、今ディーナの目の前ではリオス王子と大臣、それに大公爵家の当主が揃って椅子に座り、非公式の相談をかわしている。
「では、今朝帰られたイリノルアの殿下からの親書に書いてあったのは、強国パブリットの侵攻に対する同盟の強化ですか」
渋い顔を並んだ椅子に座った軍務大臣がしている。
「確かにパブリットは後々、我が国の最大の敵になりそうな相手ですが……。今でも同盟国であるイリノルアの防衛には相当な騎士団を派遣していますぞ? 非常時ならともかく、これが常態となると補給や軍備の面からも、大変な費用になります」
「そうだ。そうでなくとも、遠方への長期派遣で兵士の負担もかなりなものになっている。正直、これ以上は同盟国とはいえ悩んでいるんだが――」
片肘をつきながら、困ったように呟いている王に、リオス王子がはっと片手を持ち上げた。
「金と人は全て我が国頼みですか! これだから農業国はお気楽でいい!」
「リオス――」
「失礼しました」
王の軽い窘めに、リオス王子が表情を改めた。
「ですが、考えてみてください。軍事費用も無限ではないのですよ? オリスデンがイリノルアの軍備を担ってやるとして、その経費はどうするのです? オリスデンの民から吸い取るのですか?」
「わかっている。だから、悩んでいる――」
(うーん。どこにも私が口を挟む余地はないわよね?)
王室省から、今日中に王の返事を確認して欲しいといわれた手紙の内容を整理しながら、ディーナは少し引き攣った。
(甘かった! 夜なら、王と親密に話せるかと思っていたのに!)
これでは、はっきり言って非公式の調整場所だ。とても口を挟む余裕などない。
「ところで兄上」
ディーナの横に置かれているのは、昨日王が伝えた内容を書面に起こしてサイン待ちをしている返書だ。取り合えず、言われた仕事をするのに手に取ろうとすると、急にリオス王子が振り向いてきた。
「なんであの女がここにいるんです? 手伝いが必要なら、ほかの者を呼びますが?」
ちらりと向けられてくる瞳に、思わずディーナの背筋が跳ねてしまう。
それなのに、「ああ」と王は笑っている。
「謎を解かれたからな。望みが何かと訊いたら、仕事を身につけたいということだったから、ここでしごいている」
(え!? 違うけれど!?)
何故か知らない間に話が変わってしまっているような気がする。
「仕事?」
王の返事に、リオスが怪訝そうに眉を寄せた。
「ああ。なんでも、仕事を探している最中だったらしい。だったら、私が徹底的に仕事を叩き込んで、このオリスデンの文官として、どこに出しても恥ずかしくないような存在にしてやる!」
(いえ、違います。絶対にそんな地獄のお仕事しごきコースを望んだ覚えはありません!)
けれど、リオス王子は一瞬明後日の方向に目を向けた。
そして、思い切り噴き出すと、腹を押さえている。
「――はっ! 兄上らしい!」
だけど、振り返ったディーナを見る目はひどく冷ややかだ。
「あくまで文官以上のことはされませぬよう――。望まれるのなら、兄上の相手をするのにふさわしい女はいくらでもいます」
「変なことを心配するな。私は、いつでもアグリッナ一筋だ」
王の返事に、リオスは一度嫌そうに瞳を歪めたが、すぐに背を翻した。そして、大きな扉から退出していく。
それと同時に、今まで机に座っていたグアテナイ大公爵が王の方を振り向いた。茶金の長い髪をした鋭い眼差しの人物だが、微笑んでいる顔は穏やかだ。年は、おそらく王と同じくらいだろう。
「しかし――、王が女性を側に置くとは珍しいですな」
「謎を解いたら、願いをかなえると約束してしまったからな」
「ほう」
しかし、大公爵は溜息をついている王をにやにやと見つめている。
「だから希望通り! オリスデン最高の政務官と並んでもひけをとらない程の文官に育ててみせる!」
「ちょっと……あの、私そこまで希望した覚えはないんですが……」
(なによ、その政務官って!? 王の頭の中で、完全に寵姫とは別の方向にいってしまっているじゃない!?)
それなのに、グアテナイ大公爵はくすくすと面白そうに笑っている。そして一頻り笑みをこぼすと、「ああ、失礼」とまだ細めた瞳でこちらを見つめた。
「いや、それは良いお考えです。今までにも王妃の代わりに王の側に立ち、政治的な思惑や醜聞を引き受けられた女性は何人もおられます。賢い女性を側に置かれるのに否やはありません」
「ああ。私はいつか彼女が、オリスデンにこの女官ありと言われるように育ててみせるつもりだ!」
(だから方向が違うんだって!?)
けれど、グアテナイ大公爵は面白そうに笑っている。
「なるほど、それもいいかもしれません。特にアグリッナ様のためにも――」
その瞬間、王の指がぴくりと動いた。
けれど、僅かな王の様子を見逃さずに、グアテナイ大公爵の瞳は王を正面から捉える。
「陛下。何度も申し上げておりますが、私も陛下とアグリッナ様とのことは慎重に進められるべきだと思っております。お分かりだとは思いますが、宮廷にはことアグリッナ様の生まれをとやかく言う者もおりますので――」
「わかっている」
答えた王の手は、ひどく固く握られて震えている。
今までに聞いたことのないような真面目な声に、ディーナは思わず王の姿を振り仰いだ。
「陛下?」
(アグリッナ様の生まれ?)
オリスデンの有力な公爵家の生まれだというのに、一体なにがあるというのだろう?
しかし、見上げた先で、王は握り締めていた手を開くと同時に、一つ大きな息を吐いた。
「なんでも、ない。それより仕事の続きをしよう」
ゆっくりと立ち上がると、今ディーナが見ていた昨日の返書を取り上げる。記した内容通りに王室省で清書され、後は王のサインを待っている一枚だ。
「ああ。これは私がサインを入れる前に、右下に小さなこちらの印鑑を押してくれ」
返書を一目見て、王は机の端にあった小箱を指し示した。
「印を?」
王が示した小箱に入っていたのは、百合を紋章にした小指の先よりも小さな判子だ。
「それを文章の右下に押すことで、間違いなく王の部屋まで返書の文面が届いた証明になる。まあ、簡単に言えば、偽造防止だな」
「なるほど――」
(確かにそうでないと、ほかの人が作った返書を本当に王が目を通したか証明できないものね)
サイン以外にも二重の偽造防止ということなのだろう。
思わず頷いて、首を慌てて振った。
(違うってば!)
やりたいのはこんな会話ではない。
(だから、私は文官としてじゃなく、もっと王に近づきたいのよ!)
それなのに、目の前に立つ王からは楽しそうに仕事の話が続いていく。
どうしたら、もっと王に近づくことができるのか――。予想外の事態にディーナもさすがに頭を抱えた。
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