(3)謎と願いと
その夜。
王宮での舞踏会も終わり、三階の王の間の近くは静かな空気だけが漂っていた。
さっきまでの一階の賑やかさが嘘のように、王宮の中には、衛兵の動く微かな音だけが響いている。見回る衛兵の動きでさえ、あくびをかみ殺しながらしているほど平和なものだ。
だから、ディーナは軽い青いドレスに着替えると、ゆっくりと階段を上った。そして王の部屋へと近づく。
イルディかアグリッナから話が伝わっているのだろう。本来なら、とても近づくことさえ許されない王の間に歩いてきたディーナの姿に、衛兵達が慌てて敬礼をしている。
衛兵達の慇懃な仕草に、ディーナは布をかけた盆をもったままくすりと笑った。
(本来、私の方が身分も財産も下なのに)
王宮勤めというのも、大変なのだろう。もっとも、ディーナの生まれは、今は巧妙にごまかされて、オーリオにいるアグリッナの縁者ということになっているけれど。
(ここから、必要によってラノス公爵家の庶子にまで生まれを書きかえようというのだから、本当に身分なんてあってないようなものなのね)
だから、尚更本来なら自分より身分が高いはずの衛兵達に親しみを込めて微笑みかけた。
「こんばんは。お勤めお疲れ様です」
「ありがとうございます! 失礼ですが、陛下にご面会でしょうか?」
自分が公爵家の縁者だと思って慇懃に返してくれる衛兵達の様子がおかしくて、ディーナは鈴を転がすような声で柔らかく答えた。
「はい。陛下に答えをお伝えしたいので、ご面会できますでしょうか」
「承りました。少々お待ちください」
衛兵がぴっと額に手をあてて敬礼をすると、すぐに扉を開いて中にいる侍従に伝えてくれる。一度、扉は閉められたが、すぐにまた開かれた。
「どうぞ。陛下がお会いになると申されております」
そして、大きく内側に向かって開かれていく。
昨日来た時とは違い、室内の深紅のカーテンは夜の闇に閉められ、天井から吊るされたシャンデリアには蝋燭の明かりが橙色に輝いていた。
天井からのオレンジの光が、毛足の長い深紅の絨毯の上を柔らかく照らし、奥の机に座っている王の上にも優しい光を投げかけている。
足音が沈むほど深い絨毯の上をディーナが歩いていくと、机に向かって俯いていた王が金色の頭を持ち上げた。
「ディーナか」
名前を覚えていてくれたことに、少しだけ微笑みが洩れてしまう。
「はい。お忙しい時間申し訳ありません」
「かまわん。どうせ、緊急でない仕事はいつもこの時間だ。それより、夕方の答えがわかったと聞いたが」
「はい」
王の言葉に、ディーナは持っていた盆を王の机の上にことんと置く。そして上にかけたピンクの布を外した。
布の下から現れたのは、小さなランプ。ガラスで作られた壁に閉じ込められた小さな炎が、柔らかな色彩で、王の前にある書類を照らしだしている。
「答えは火」
小さく身を捻って燃え続ける焔を示しながら、ディーナは微笑んで王を見つめた。
「抱き締めてくれず、抱き締めることもできない妖精。肌に温もりを与えてくれるのに、近づきすぎれば破滅させられる。けれど、こんなランプ一つに閉じ込めることでどこまでもお供をしてくれる――答えはこれでございましょう?」
「ふん――」
ランプの明かりに顔を照らされながら微笑むディーナに、王の表情が、にやりと笑った。
そして、面白そうにディーナを見つめてくる。
「正解だ。それで、私に何を望む? 寵姫か? それとも、一生遊べるだけの金銀財宝か?」
「では――」
一度、ディーナは大きく息を吸い込んだ。そして、笑ってみせる。満開の花のように。
「私の願いは一つだけですわ。今みたいに王が夜にお仕事をされる時に、私に、側で手紙の封をするなどのお手伝いをさせていただきたいのです」
「手伝いを?」
さすがにこれは意外だったらしい。王の琥珀の瞳が、ディーナの前できょとんと丸くなっている。
だから、ディーナは殊更無邪気な笑顔をしてみせた。
「はい。私陛下のことをまだ詳しく知りませんもの。もっとお側でお話をして、お仕事をされている姿などを知りたいのです」
(さて。賭けだけれど、どう出るかしら?)
本音としては、ここで寵姫を求めるのもありだとは思う。それなのに、警戒したのは、宴の場で謎かけなどしてきた王の真意だ。
(本当は、まだ誰も寵姫になんてしたくないはず)
それなら、ここは様子を見て距離を縮める方がよいかもしれない。
(なにより、恋愛はともかく、この方は戦や交渉事でほかの駆け引きには慣れていそうだ)
実際舞踏会では、出された謎賭けで、完全に周囲を煙にまいてしまった。
だから少し緊張しながら申し出たのだが、ディーナの内心の動揺を見破っているように王はゆっくりと笑う。
「ふん――。どうやら、馬鹿ではないらしい」
(おっと。やっぱり、こっちで正解?)
「もし、あの謎の答えと引き換えに私の伽など求めようものなら、一人で寝室に放り込んでやるところだったが」
くすくすと王は、酷薄な笑みを浮かべている。
「王の側に女性がいた日の寝室のシーツは、翌朝全て検められるからな。私とお前の間に何もなかったのは、すぐに臣下の間に広まる」
(危なかった! つまり宮廷中に、一晩放り出されたと噂になるというわけ!?)
さすがに、女性としてそんな不名誉には耐えられない。
(危ない、危ない! そんなことが噂になった日には、即刻首だわ!)
今ここでやめさせられたら、借金どころか弟の学費すら覚束ない。
内心ディーナがすごい汗を流しているのに気づかずに王は見上げると、ゆっくりと笑った。
「仕事を探していると言ったな? いいだろう。寵姫云々はともかく、私の側での手伝いを認めよう。オリスデンは実績主義だ。しっかりしごいて、宮廷内での仕事口に困らないくらいにまで仕込んでやる」
「え?」
(あれ? 今、なにか巧妙に話が変えられたような……)
「取りあえず、オリスデン語とオーリオ語はできるんだったな? ロットやイリノルア語はわかるか?」
「はい。それも父が身につけさせてくれましたので」
(将来の商売のためだったけれど、散々男を誑かすために、有効利用してきましたよ!)
けれど、ディーナの言葉に王は満足したように頷いている。
「ならば、いい。明日から早速夜の仕事を手伝ってくれ」
王がこれで最後というように、また机の書類に目を戻したので、ディーナは頭を下げると退出した。
けれど、王の部屋から廊下に出ても、まだこれでよかったのかわからない。
「えーと……。本当にこれでよかったのかしら」
思わずぽつりと呟いてしまう。
王の身の回りには近づけたはずなのに、何か別な大切なことから遠ざかってしまったような気がするのだ。
(あら? 仕事仲間というのは、寵姫候補としては、ランクアップなの? それともダウン?)
どうにも相手の真意が掴めない。
「あれで正解ですよ」
けれど、さらりと長衣の衣擦れの音が聞こえたかと思うと、後ろの花を描いた通路からイルディがランプを持って現れた。ランプの明かりに照らされた顔は、いつもと違いほのかに柔らかい。ふわりとディーナを見つめた。
「よく解けましたね。わからないようならと答えを用意したのですが、必要なかったようです」
「イルディ!」
衛兵しかいないと思っていた王の部屋の前に、突然現れたよく知っている姿に、ディーナは驚いて叫んだ。けれど、イルディはゆっくりと微笑んでいる。
「あれでいいんです。陛下は、元々暗殺などで警戒心がお強い。しかも伴侶をアグリッナ様と定められてからは、近づこうとする女性は殊更遠ざけられます。その陛下に仕事仲間の位置を認めさせたのは、現在考えられる選択肢の中で最良の方法でした」
「じゃあ、この方向で間違っていないということね」
ほっと息をついてしまう。
(だけど)
「心配して、見に来てくれたの?」
まさかこんな遅い時間に、この真面目すぎる男が自分のことを見ているとは思わなかった。
「私は、今は貴方の同僚です。仲間の成功を手伝うのは当然でしょう?」
依頼主ではなく。監視でもなく。
(まさか、仕事仲間と言ってくれるなんて)
なぜかその言葉が嬉しくて、ディーナはランプを持っているイルディに笑いかけた。そして、相談できる仲間ができた喜びを噛みしめながら、一緒に階段を下りていった。
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