(3)絡んでくる次の罠
一週間後。ディーナは美しい肢体を見せつけるような青いドレスに包むと、大広間の扉の前に立つ王の側へと向かった。来賓をもてなすための宴だが、今日の衣装は、アグリッナがディーナを最大限美しく見えるように誂えてくれたものだ。
長い黒髪が夜のように青い衣に広がり、誰もが息を飲む肢体を見事に布地から浮かび上がらせている。
「ディーナ、用意はできたか?」
「はい。お待たせして申し訳ありません」
大広間まで歩いて来る間、すれ違う男女全てに一瞬息を飲まれた。
(髪よし! 化粧完璧!)
これで誰からも最高の悪女に見られる自信がある。
身につける髪飾りも、男から貢がせた中からまだ換金していない最高級の物を選んで身につけた。それだけではない。特別にオリスデン王宮が所蔵している首飾りや腕輪を借りたのだから、今のディーナの姿は時価総額で一億リブルは下らない。
だから、身につけた宝飾品に相応しい自信に満ちた笑みで王を見つめた。見上げてくるディーナに、王が琥珀色の瞳を優しく細めている。
「本当に美しいな。これなら誰も何も疑うまい」
「では、参りましょう」
王の笑みにディーナはすっと白い手を差し出す。その仕草はエスコートを求めるものだ。
「うむ」
けれど、王は笑顔でディーナの腕をとると、侍従に貴族を待たせている大広間の扉を開けさせた。
次の瞬間、中に並んでいた貴族達が振り返り、二人の姿に息を飲む。
けれど、王は皆が注視する中でディーナに目をやると、鮮やかに笑いかけながら進んでいく。
「まあ」
王の腕に手を絡めて並ぶディーナの姿に、年配の夫人が眉を顰めた。
「ご婚約者のアグリッナ様が退出されたのに、まさかその途端王に言い寄るなんて」
ひそひそという声に隣にいる壮年の貴族も顔をしかめている。
「元々アグリッナ様が紹介された娘だろう? それなら、アグリッナ様が退出された時に一緒に出るべきだろうに。まさか、この隙に更に王に近づくなんて……」
「おかわいそうに、アグリッナ様も。まさかご自分の引き立てた娘が、これ幸いと婚約者を奪いとるなんて」
「あれでは、あんな占いで宮廷を出られたアグリッナ様が可哀想過ぎる」
扇の陰で眉を顰めながら言葉が囁かれる。
聞こえてくる声にディーナは思い切り華やかに笑った。見回せば、アグリッナが不在の隙に王に近づこうとしていたダーネは人ごみの中で悔しそうにしている。けれど少し離れて立つニフネリアは、挑発的に背筋を伸ばすと、笑いながらこちらを見つめているではないか。それに、ふとディーナが眉を寄せた時だった。
「ディーナ」
けれど、かけられた言葉に慌てて王を振り向く。
「貴方には申し訳なく思う。こんな悪女のように言われて――」
「いいえ。アグリッナ様をお守りするためですもの。それに、今回のことは私も腹がたっておりますし」
見下ろした王は、ほっとした笑みを返した。
「だから、お気になさいますな。むしろアグリッナ様をお守りする盾になれるのなら、悪女と呼ばれて本望にございます」
(そうよ! 何があっても、あんな奴らを陛下のお側になんて近づけさせないから!)
陛下から言われなければ、自分から望んで悪女を演じていただろう。陛下が自分の虜になっている。事実ではない噂でも、それだけでアグリッナを陥れた相手への牽制になる。
だから、指を持ち上げると、わざと王室から借りたイヤリングが見えるように髪を流した。
すると、さっきの夫人が更に驚いたように、隣の袖を急いで引っ張っている。
「ちょっと! ご覧になりました!? 今あの娘が身につけていたのは」
「ええ! 先王陛下が亡き寵姫に贈ったイヤリングじゃありませんか!?」
「それにあの三連の黒真珠の首飾り! あれも確か先王陛下がよく寵姫に身につけさせていた――」
ざわりと会場中の声が揺れる。
だからダメ押しのように、ディーナは王を見上げた。
「陛下。この後、お部屋で少しご相談したいことがあるのですが、かまわないでしょうか?」
「もちろんだ。なんなら朝までだって付き合おう」
王の答えに、周りのどよめきが更に強くなる。
「じゃあ、陛下はやっぱりあの娘を寵姫に選ばれたのか?」
「まさか! いや、でも陛下つきの侍女達の話では、まだ何もないということですけれど……」
ざわざわと、更に交わされる声が大きくなる。
「そんな――お可哀想に……。アグリッナ様」
「あんな占いのせいで……。宮廷を追われただけでなく、御自分の身内にまで裏切られるなんて。どれたけお辛いでしょう……」
これみよがしに王に近づくディーナを批難するように、扇の奥からは厳しい眼差しが向けられてくる。しかしディーナは勝ち誇ったように笑った。
「すまない。貴方には、不名誉な噂だな」
「いいえ。これが私の望んだことですから」
(アグリッナ様を守る! リオス殿下やドレスレッド侯爵がどんなに嫌がらせをしてこようとも、全ての悪口から目を逸らさせてみせる!)
だから、更に、王に自分の白い腕を絡めて、甘えるように微笑みかけた時だった。
群集の中にいた見慣れた姿と目が合い、思わず表情が固まってしまう。
(イルディ!)
けれど、イルディは王と腕を組んでいるディーナを見つめると、平伏するように静かに頭を下げている。
(わかっているわ、これは隣の陛下への礼よ)
それなのに、下げられたイルディの頭に、なぜか二人の間に距離ができてしまったように感じて胸が痛い。
「イルディ。お前も来ていたのか」
「はい。アグリッナ様から、ディーナの手伝いをするように命じられておりますので」
冷静な言葉に、胸が軋んだ。
(手伝い)
今までは同僚、仲間として近かった間に、急に上下ができてしまったような感覚だ。
(馬鹿ね。そんなはずはないのに……)
それなのに、王の腕に絡めた指先が冷えてしまうのはなぜなのだろう。
「そうか。ディーナは他国育ちだから、わからないことも多いだろう。私が側におれない時はよく支えてやってくれ」
「はい」
いつもと同じ鉄面皮で、静かに頭を下げている。
下に向けられた黒髪に、なぜか胸がひきつった。
それでも、笑顔の下に必死に思いを押し込めると、イルディの前を通り過ぎて、来賓に向かって歩いていく。すると、隣で王がなぜか面白そうに笑みを噛み殺していた。
「あの朴念仁」
くすくすと楽しそうな表情に、ディーナも俯いていた顔を不思議そうに持ち上げる。
「どうされました?」
「いや。ただあいつが、ずっと貴方を見ているなと思っただけだ」
「え?」
思いもしなかった言葉に、動揺してしまう。
「それは。あの、どういう意味で」
「あいつは私のことをよく知っているが、それは逆を言えば、同じ時間だけ私もあいつを知っているということだ。ふうん、あの堅物が面白い反応をしている」
くくっと王は面白くてたまらないようだ。しかし、ディーナにしたら、どう反応したらよいのかわからない。
そのまま歩こうとした時、けれど急に政務官のディオニクが後ろから走りよってきた。
「陛下。至急お話したいことがございます」
よく陛下の部屋で手伝いをする時に見る顔だ。王のストーカーにも冷静な対処をしていた彼がひどく真面目な顔で、一通の書状を握りしめている。
「わかった。すぐに行こう」
見慣れないひどく焦った顔だ。だから王はディーナを伴ったまま来賓への挨拶だけをすませると、急いで扉の外へと出た。
そして、近くの誰もいない部屋へディオニクと一緒に入る。
「何があった?」
王は先ほどまでと表情を一変すると、ディオニクが差し出している書状を受け取る。前に立つディオニクの顔は、普段見る明るいものとは違い今はひどく固い。そして早口で言葉を綴った。
「イリノルアを通してパブリットから正式な申し込みがございました。オリスデンの貴族の一人をパブリットの王族と娶わせたいとのことです」
「貴族の一人を?」
書状を開きかけていた王の眉が訝しげに顰められた。
それはそうだろう。オリスデンとパブリットはこの辺では巨大な二大王国だ。いつか激突するだろうし、現在も両国の間にあるイリノルアへの影響力でお互いに研を競っている。
(そんな国が貴族の一人をパブリットの王族に?)
どういう意図があって、そんな申し込みをしてきたのか。ディーナでさえも首を傾げてしまう。
けれどディオニクは淡々と告げた。
「パブリットの話では、ドレスレッド侯爵の従兄弟の妹をパブリット王のはとこと娶わせたいと――。そして、合わせてその姉に当たるニフネリア嬢を陛下の寵姫に迎えていただくことで、友好条約を結びたいとのことです」
「なっ――!」
(ニフネリアを王の寵姫に!?)
その時、急に占い師の言葉がディーナの脳裏に甦ってきた。
『お主の未来は、間もなく高貴な者と縁続きになると出ておる』
『本当に!?』
あの時、無邪気に喜んでいたニフネリア。
(占いはこれのことだったんだわ)
本当に当たったのか。それとも、これ自体が詐欺なのか。
ただ闇から出てきた相手の一手に、ディーナの顔は白くなっていった。
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