(5)公式寵姫


 試験という言葉を思い出して唾を飲み込んだディーナを、けれどアグリッナは真っ直ぐに見つめている。


 そして、青い瞳で確かめるように見上げてきた。


「今、お前には未練を残す相手はいませんか?」


(それは、恋愛でという意味なのだろうか)


 だとしたら――。ディーナは一瞬心の奥に浮かんだルディオスの面影を苦い気持ちで抑えながら、ゆっくりと頭を下げた。


「おりません」


「そう――」


 ゆっくりと、アグリッナは広げた扇を顔の前に持ち上げた。


「もし貴女がこの話を受けてくれるのなら、借金を返すためだろうと聞きました。貴方は、王に全てを捧げて終生尽くし続けるつもりはありますか?」


「ございます」


「では――お前は今よりは幸せになれるでしょう」


 微かにアグリッナは瞼を伏せた。そして扇を持ち替えると、横のイルディに頷く。


「お前に王を託します。私が王との婚約を破棄したがっていることは知っていますね?」


「はい。そちらにおられる令嬢補佐のイルディ殿から伺いました」


「結構。では、イルディ、説明してやってちょうだい」


「はい」


(え? 試験ってこれだけ?)


 もっと女性としての教養や生まれについて尋ねられるのかと思っていた。簡単に合格になってしまったことに拍子抜けするが、よく考えてみれば、それは既にイルディの調査によってある程度把握済みなのかもしれない。アグリッナの頷きによって、今まで二人を見ていたイルディが、長い裾を翻してディーナの方へと向きを変えた。


「ディーナ、貴方にはこれから公式寵姫という位を目指していただきます」


「公式寵姫?」


 前にも聞いた名前だ。


 けれど、首を傾げるディーナにアグリッナはゆっくりと頷いている。


「このオリスデンはキルリアン教に従い一夫一妻制です。けれど、王が政略結婚をしていて、どうしても離婚できない時に愛する人と出会ってしまった。公式寵姫とは、そういう時に稀に置かれた王族に準じる位です」


「王族――」


 言われた言葉に、ごくりと唾を飲み込んでしまう。


「ですが、私は市井の生まれです。とても王族に次ぐ地位にふさわしい身分ではありません」


「オリスデン王室は、伴侶や恋人の血筋にはこだわりません」


「こだわらないとはいっても――そこまで高位となると、やはり貴族の生まれであることぐらいは問題になるのではないでしょうか?」


(特に、臣下の方達のほうに)


 けれどためらうディーナに、イルディが横からすっと一歩前に進み出た。


「わかりやすくぶっちゃけます。つまり、歴代の王が粘着力の強いストーカーだったから、臣下が根負けしたのです」


「だからなんなのよ! その怖い家系!」


 思わず公爵令嬢の前なのも忘れて叫んでしまう。どうも馬車で散々つっこんだから、イルディには素が出やすくなっているようだ。けれど、ディーナの叫びも気にしていないように、イルディは笑って言葉を続ける。


「更に具体的に申しますと、王が粘着してしつこくつきまとい、毎日農家に押しかけていると街中の噂になるぐらいなら、平民の娘でも、貴族の戸籍を二三回養女として渡らせれば、生まれぐらい簡単に誤魔化せると諦めたというわけです」


「わかりやすい解説をありがとう!」


(本当になんなのよ! この王家の怖い血筋!)


「王のそのしつこいまでの執着力のお蔭で、我がオリスデンは狙った獲物を逃さない戦闘力を歴代受け継ぐことができました。まさに、王の偉業がオリスデンの繁栄を築き上げてきたのです」


「立派なことを言っているけれど、普通の人がやれば間違いなく犯罪案件な気がしてならないんだけど」


「犯罪などと生ぬるい。我々家臣が美辞麗句で飾りたてた歴代王の数々の偉業は、そんなきれいごとでおさまる話ではありません」


「ねえ? 私、犯罪組織と話しているのじゃなかったわよね? どう考えても、闇の集団から自分達の隠蔽した犯罪をほのめかされているような気がしてならないんだけど――」


「それだけ王に、人としての情けが深かったということです」


「綺麗な言葉で誤魔化したわね!」


 しかし、イルディは得意そうに笑みを浮かべている。鉄面皮に微かにだが。


「つまり、一度愛されればそれだけ深くなるということです」


 けれど、ここでさらりと衣の流れる音がした。


「そうです。だから、歴代公式寵姫の位を賜った女性は、もれなく王に終生愛されています」


 美しい薔薇色の裾を動かして、アグリッナがディーナ方へと近づいてくる。


「けれど、今回はそれを政敵に利用されました。私が成人までまだ二年近くあること。そして婚約してから十年もたつのに、いまだに王との仲がうまくいかないこと。それらから、王に私との婚姻までの間だけでも良いからと、王妃の代わりに王の側に公式寵姫を置くようにと迫ってきたのです」


「政敵?」


 その言葉に瞳を瞬く。


「相手のドレスレッド侯爵は、この国の警察権を手中に収めています。けれど我が公爵家とは長年の領地争いで、因縁の浅くない相手で、今は王族の方とも組んでいます。どんな証拠を捏造しても、我が家を貶めようと企んでくるでしょう。そのことを心配した父が、宮廷で切れ者と評判だったイルディを私の補佐として引き抜いたのもそれが理由です」


 その言葉に、ちらりと側に立つイルディの顔を見た。


「今は私が王妃候補のため、相手も正面だって手出しはできません。ですが王の心がほかの女性に移れば話は別です」


「ですが――」


(言ってよいのかわからない)


 それでも口に出した。


「アグリッナ様がこの婚約を破棄したいとお考えなら、あながち悪い話ではないと思うのですが」


(王の心が移れば、婚約は破棄できるのだし、何も私が対抗馬になる必要はないのでは?)


 けれど、ディーナが口にした疑問にアグリッナは真っ直ぐに見つめてくる。上げた顔は薄く微笑んでさえいる。


「確かに、私は長年王との婚約を破棄したいと望んできました。ですが、それと引き換えに我がラノス公爵家の名誉を貶めるのを許すつもりはありません。だからお前を選んだのです」


「私を」


「そうです。もしお前が王の心を射止め、今回の騒動で、公式寵姫の位を得れば、私がお前の後見をしましょう。王は一度心にかけた相手には情けの深い方です。もちろん、公式寵姫になれば、お前が借金を返すのに困らないだけの年棒が毎年化粧料として王室から支給されます」


「化粧料が――」


「そうです。そして、王の心を射止め、無事私との婚約を破棄させてくれれば、お前を我が公爵家の庶子に迎えてもよい。そうすれば、たとえ王がお前を愛して王妃にと望んでも、何の問題もなくなります」


(私が王妃!?)


 寵姫という、ただの愛人止まりではなく?


 言われた言葉にディーナの青灰色の瞳は、ただ大きく開いた。 



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