(4)罠の真実


「ふざけるな!」


 読んだ書状をだんと机に叩きつけると、王は握り潰した。


「なんで敵国が我が国の王室問題に首をつっこんでくる!」


「相手の使者の申すには、この機会に、本当は友好の証しとして両王室で婚姻を結びたい。しかし陛下には、既に最愛の婚約者がおられるようだ。オリスデンには、ほかに伴侶の決まっていない適当な王族もないようなので、今回の婚姻でパブリットに迎える姫の姉であるニフネリア嬢を、ぜひ友好の絆として、王妃に次ぐ位である寵姫に推薦したいと――。どうやら、ニフネリア嬢が陛下の寵姫候補になっていることを聞きつけての申し出のようですね」


「聞きつけたなどという話ではないだろう! 明らかにこちらの王室に介入する好機と踏んだんだ!」


 冷静なディオニクの言葉に、王はぎりっと唇を噛んでいる。


「どうされますか? 相手は、友好条約と引き換えにこれを持ち込んできましたが」


 けれど王が返事をするより先に、扉が叩かれた。


 そして許可する間もなく、かちゃりと開けられる。


「兄上、どうされたんですか? 来賓への挨拶をしただけでほったらかされて。みんな目を丸くしていますよ」


 扉を開けた見慣れた姿が呆れるように呟くと、そのまま金のドアノブを押して部屋の中に入ってくる。


「リオス」


「何かあったんですか?」


 兄の不穏な表情に気がついたのだろう。微かに眉を寄せて急ぎ足で近づいた。けれど王からつきつけるように渡された書状を開いて、青い目を大きく見開く。


「これは――!」


「お前はこれを知っていたのか?」


(そうだわ。リオス王子は、ドレスレッド侯爵と共にニフネリア達を押していたはず)


 だとしたら、これもリオス王子の仕掛けた策略なのかもしれない。それなのに、リオス王子は目を開いたまま振り返ると「いいえ!」と叫ぶ。


「いくら俺でも敵国のパブリットに王室への関与を許すようなことはしませんよ!」


「そうか。私も、お前がこんなことまでするとは思わなかったのだが――」


「俺がいくらあの魔女の娘を嫌いでも、敵国の推す女なんて論外です! 兄上の寝首をいつかかれるかわかったものじゃないですか!」


「そうか。じゃあ、この件はドレスレッド侯爵の独断というわけだな――」


 けれど、くしゃりと金の髪をかきあげる王の姿に、リオス王子の顔色が変わった。おそらく今回の件に仲間の名前を挙げられて焦ったのだろう。腕を組むと、苦虫を噛み潰したような顔で悩んでいたが、言い訳をするようにたどたどしく言葉を紡ぐ。


「いや――でも、考えようによっては、悪い話ではないかもですよ? 緊張状態にあるパブリットとの関係を緩和できますし、なにより今回の話に出ているニフネリアは我が国の貴族の娘です。他国からほかの王室関係者を入れるのとはわけが違う――」


「リオス!」


 けれど、王の鋭い一喝が飛んだ。


「馬鹿なことを言うな! 寵姫は、王族に次ぐ正式な位だ! それを敵国推薦の娘にやるのが、どういう意味をもつかぐらいわかるだろう!」


 明らかにリオス王子が、びくっと首を竦めている。


「お前がアグリッナをよく思わないことは知っている。だが――王族として、あまりに情けないことは言ってくれるな……」


 諭すように弟を見つめる王の横で、おろおろとしていたディオニクが止めるように二人の間に入った。


「では――パブリット王からの婚姻の申し入れは不許可ということで、寵姫の件共々お断りすればよろしいでしょうか?」


「いや――事が事だ。外交問題になった以上、少し考える必要がある」


「私、アグリッナ様にこの事を知らせてきます!」

 

 急いで衣を翻すと、ディーナは扉に手をかけ飛び出そうとした。


「ディーナ! アグリッナには、この件で私が婚約を破棄することはないと伝えてくれ!」


 それに力強く頷く。


 そして、そのまま王宮の華やかな廊下へと飛び出した。


 髪が乱れるのもかまわず、大広間にいるイルディのところへ走っていくと、急いで長い衣の袖を掴む。


「ディーナ、何を?」


 いつも冷静なイルディが、掴まれた袖に珍しく黒い瞳を大きく開いている。


 さっきと違って、自分のすぐ側で、普段と変わらないように見つめてくれる眼差しにほっとしながら、ディーナは早口で囁いた。


「緊急事態よ。すぐにアグリッナ様にお伝えしないといけないことができたの!」


 余程切羽詰まった顔をしていたのだろう。周りの貴族達が、王の隣にいたはずの女が、別な男の袖を掴んでいるのに眉を寄せているが、イルディは一瞥しただけで、すぐに踵を返す。


「わかりました。すぐに馬車を用意させます」


 そして大広間を出て、早足で宮殿の西側へと歩いていく。


「それで、何があったんですか?」


 歩きながら、隣で小走りになっているディーナへと目を落とした。


 はっきりと見つめるイルディのいつもと変わらない仕草に、なぜかほっとしているのを感じながら、急いで口を開く。


「大変なの! パブリットがニフネリアを陛下の寵姫に推薦してきたのよ!」


「パブリットが!?」


 さすがのイルディも、瞳を大きく開いている。


「ええ! パブリット王のはとこの妻に、ニフネリアの妹を迎えたいと言ってきたの! もちろん、ドレスレッド侯爵の工作だとは思うけれど。それで姉のニフネリアを陛下の寵姫として迎えることで、婚姻に代わる友好の証しにしたいと!」


「それは友好条約と引き換えですか?」


「ええ! そう言っていたわ!」


 ディーナの返事を聞いた瞬間、イルディの顔が激しく歪んだ。


「やられた――」


「え?」


 あまりに苦々しいイルディの顔に、ディーナも思わず息を飲んでしまう。


 けれどイルディは額に手を当てると、強く唇を噛んだ。


「イルディ?」


 普段見ない顔におずおずと尋ねる。


「それは友好が目的じゃない。戦争の口実を探されているんです!」


「え!?」


 言われた言葉を咄嗟に理解することができない。けれど、イルディは驚いているディーナの前で、忌ま忌ましそうに黒い前髪を掻き揚げている。


「我がオリスデンとパブリットはイリノルアを挟んで覇権を争っています。それはご存知ですね?」


「え、ええ。陛下のお部屋で聞いたけれど――」


「イリノルアはオリスデンの同盟国です。そして肥沃なイリノルアに兵士を派遣して他国の侵略から守っている。けれど、やはりこの肥沃な国を狙っているパブリットからすれば、オリスデンは邪魔でしかない!」


「じゃあ、まさか――」


 思いついた答えに、ごくりと喉が鳴った。


「そうです。友好条約に絡ませて、寵姫候補の後見など申し込んできたのは、こちらが断れば派遣しているオリスデンの騎士団に攻め込む口実ができるからです。つまり狙いはイリノルアです!」


「で、でも――イリノルアには、アグリッナ様の献策で十分な防備を派遣できることになったし――」


「それを知ったからこその申し込みでしょう。オリスデンが派遣する騎士団を増強することになってから、まだあまりにも日がなさすぎる! 増援の騎士団の配備、駐留地、すべてがまだイリノルアとの折衝中です! 今パブリットに全軍で攻め込まれれば、イリノルアはもたない!」


(イリノルアが……)


 それは、最初この国についた時に出会ったイリノルアのクレール王太子夫妻が、火に飲みこまれるということだ。


「パブリット国王め! よくも、こちらが拒否できないタイミングとわかっていて、オリスデン王室に自分の息のかかった者をおくりこもうだなどと!」


 珍しくイルディが激高している。


「では――この話は断れないと?」


「いいえ! 何としても断らなくてはなりません! ドレスレッド侯爵は、うまくパブリットを利用して自分の本懐を遂げるつもりでしょうが、それはオリスデン王室に未来までのしこりを残す!」


(敵国の後見を受けた女性が王の側に侍る)


 敵国の血が入ることが王室の後継にどれほどの影響を残すのか。ディーナでさえも、簡単に血で血を争う火種を想像して、ぞくっと背筋が震えてくる。


 だからイルディは大股で歩くと、そのまま西側の一角へと進み、王宮のメイドや小間使いが多く出入りしている区画へと足を運んだ。


「ガルディ」


 そして、質素な小部屋で洗われた貴族の服を調えていた弟を呼びつける。


「なに、兄さん?」


「お前、今日は侍従の見習いか」


「そうだよ。どうせなら全部の高位貴族の弱みを知っておいたほうが将来の役にたつからね」


 けれど頷いた弟に、イルディは手早く話した。


「今すぐラノス公爵邸に行きたい。アグリッナ様が不在な以上、公爵家側からの要請では馬車の手配に時間がかかる。お前なんとかできるか?」


「街に出られるもの? それなら、確か王宮の役人の使う馬が今日は空いていたから、兄さん一人なら小金か脅しを使えばなんとかなると思うけれど」


「正式な許諾の手続きは?」


「宮廷の役人でもない公爵家の使用人の兄さんに? それなら寵姫候補様の思し召しでと申請した方が、余程王室省が融通をつけてくれると思うけどね」


「それでいい。申請してくれ」


 そしてくるりと振り返る。


「私が伝えてきます。名前を借りてもかまいませんか? ディーナ」


「もちろん!」


 一刻も早くアグリッナ様にお伝えするためなら、今更我が侭な悪女といわれてもかまわない。


 申請の為に出て行く小柄な姿を見ながら、ディーナは迫ってくる焼けつくような焦燥感に青いドレスをきつく握り締めた。



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