(2)王の過去
ディーナは、じっと王の顔を見つめた。
父王に公式寵姫がいたとは初耳だった。けれど、驚くディーナの前で、王は苦笑に近い笑みを浮かべている。
「オリスデンの悪癖だ。私の父は母と政略結婚をしたが、晩年になって本当に恋する女性に出会ってしまった。仕舞いには彼女と暮らしたいと言い出して――。私達子供のために、離婚こそ断念したが、結局二度と元の家族には戻らなかった。そして、今は大聖堂の地下で母ではない別の女性と眠っている」
「陛下……」
思わず、ほかの言葉を失ってしまった。それほど、目の前にいる王は年相応の傷ついた人間の顔をしている。
「リオスは奔放な貴族との付き合いも多かったから、王族の結婚なんてそんなもの。ましてやオリスデンの家系だと反抗期の顔で父を見下して笑っていたが――。私は、どうしても父に家族を裏切られた気持ちが消えなかった」
「陛下……」
ほかに言葉が出てこない。そんなディーナの前で、王は自嘲するように小さな笑みを浮かべている。
「こんな気持ちをアグリッナには決して味あわせたくない――。だから、私は寵姫はもたないと決めたんだ」
「どうして……、そこまでアグリッナ様のことを」
呆然と尋ねる。すると、やっと王が側に立っているディーナを上目使いで見た。
そして、やはり困ったように笑っている。けれど、見上げる王の顔は、今までと違って少しだけ幸せそうだ。
「私とアグリッナの馴れ初めが気になるか?」
「そりゃあ……そこまで陛下が想われている相手との事ですし」
たった六歳の女の子にどうしてそこまで熱愛ができたのか、その精神構造の方が気になる!
(まさか、父親が老人になって愛人に走ったから、女全員が嫌いになって幼女に走ったとかじゃないわよね!?)
心の底から焦って尋ねると、ディーナの気持ちが顔に表れていたのか王がくすくすと笑った。
「あの頃――ちょうど、父があの女性を公式寵姫として王族に迎えた頃だったな。私は、正直オリスデンの王太子として何のために戦っているのかわからなくなっていた」
「陛下……」
(よかった。とりあえず女性不信から幼女に走ったのではないみたい)
けれど、ほっとしたディーナの前で、王の瞳はひどく暗い。
「毎日国内では、戦で領土を広げたことによるごたごたが続き、国境付近では小競り合いが続いていた」
呟くと、ふと金の睫が伏せられる。
「わかってはいたんだ。オリスデンは、戦で領土を拡大してきた国だ。戦争の火種はいつも絶えないし、一度軍を動かせば勝って領土か賠償金を得なければ国内が火の車になる。だけど、勝った先で、転がる夥しい死体と、女子供にまで怯えて見つめられる視線は、さすがにまだ若かった私には堪えた」
「陛下――」
(かける言葉が出てこない……)
それぐらい暗い瞳なのに、王はくすっと笑っている。
「たくさんだと思ったよ。オリスデンの戦争の歴史も、それを築いた王家の血筋も――。何もかもが嫌になって、全部の仕事から逃げ出し中庭で俯いていた時に、アグリッナに出会った」
「アグリッナ様に!?」
(その状況で!?)
ということは。ごくりとディーナの喉が鳴る。
「彼女は、一人で両手に顔を埋めている私に向かって尋ねたよ。『何をなやんでいるの?』と。だから素直に話した。何もかも嫌になった、こんな戦争を繰り返すことに何の意味があるのかと――」
「それで、アグリッナ様は……」
「彼女は、その時私のことを王太子とは知らないようだった」
王が話したのは、王宮の広い中庭の一角でのことだった。
東屋に一人で座り込んで、頭を抱えている王の元へ、一人の少女が近づいてくると、「何を悩んでいるの?」と声をかけたのだ。
『わからないんだ。何で、私は戦争をしているのか――こんな戦いを繰り返したって、誰も幸せになんかなれる筈がないのに……!』
「その瞬間、平手打ちをされたよ」
「平手打ち!?」
(やっぱり! アグリッナ様、初対面からなんて容赦のない……)
予想が当たったことに、思わず引き攣ってしまうが、しかし王は懐かしそうに微笑んでいる。
「『戦をするのなら、私のお母様みたいな人を助けるつもりでしなさいよ! 避けられないことなら、全員オリスデンで幸せにしてやるんだという気概をもちなさい!』そう怒鳴られた」
「アグリッナ様……」
(六歳から、今とまったく同じじゃないですか……)
きっと当時から並々ならぬ胆力の持ち主だったのだろう。王との出会いをたやすく想像できて、思わず額を押さえてしまう。
けれど、王は複雑そうな表情を浮かべた。
「後になって、人から聞いた話で、彼女がロット国を攻略したラノス公爵が、略奪してきた妻に産ませた女の子だと知った。アグリッナの母親は、ロット国で類い稀な美貌を夫に利用されて、かなり不幸な目にあっていたらしい」
(ああ、それで)
やっと、男に弄ばれるぐらいなら、男を騙す女の方がいいと言ったアグリッナの真意がわかった気がした。
「それを聞いて、目が覚めたんだ。戦に勝つことで、助けることができる人もいるのだと――。そして、目の前で涙をためていたあの女の子がいれば、きっと私は生涯王として迷わないだろうと」
「だから、アグリッナ様に求婚されたのですか?」
ディーナが目の前の王を見下ろして尋ねると、面白いぐらいに王の頬が赤く染まっていく。
「ああ――いや。最初は、王太子としてしっかり者の彼女に側にいてほしいだけだったんだ。アグリッナにしたら、大きな男によく絡まれるのだから、うっとうしいだろうし、泣き言もいうから聞きたくもなかっただろうが……」
「それで見事なストーカー認定を受けたのですね」
「うっ……。だけど近くに長くいるうちに、母親の出自に彼女自身が苦しんでいることを知って……。だから、彼女自身を守りたいと思ったのも事実なんだ。だけど……」
瞬間、王の瞳が変化した。まるで子供が無邪気に宝物のことを話すように。
「側にいるうちに、かわいくてたまらなくなった。十歳以上も年が離れているんだ。叩かれても怒られても、全部がかわいくて愛らしくてたまらない。その内、私はきっとこの子に生涯の恋をするだろうという予感が生まれた」
(うわっ!)
ディーナの前で、王の顔は少年のように笑むと、幸せでたまらない笑顔に満ちている。その姿は、一言で言うならば至福だ。
「だから、貴女には申し訳ないが、私は一生愛するつもりでアグリッナに求婚したんだ。だから彼女以外には誰もいらない」
王の力強い笑みにディーナも思わず息を飲んだ。
(こんな男の人もいるんだわ……)
今まで、口説かれる遊びの対象としてばかり見られていたから、至福を絵にしたような笑顔に息を飲んでしまう。
王の満ち足りた表情を見つめ、やがてゆっくりとディーナも微笑んだ。
「陛下――私も、わかりました」
だから、ディーナは今まで男にはしたことがない優しい瞳で王を見つめた。
「やっぱり、陛下はロリコンではなく被虐趣味だということが」
「だから、なんでこの話でそうなるんだ!?」
じっと真っ直ぐに見つめてくるディーナに、王がくわっと反論する。
「あら、だって小さい掌で叩かれて忘れられなくなったんでしょう? しかも、それを繰り返されているうちに恋に落ちると確信されたと」
「違う! いや、違わないが、決してアグリッナの掌が忘れられなかったわけじゃなくてな……! 逃げるから、追いかけて抱き上げた時のぎゅっと服を握り締める掌とか、恥ずかしいから照れ隠しに言う説教とか」
「つまりストーカーは、愛のお説教を聞きたいがためのものだったのですね。わかりました! 私も陛下のお好みに少しでも近づくべく、アグリッナ様に手ほどきを受けて、見事な愛の鞭を仕入れてごらんになります!」
「いらん! 頼むから、そんないらん誤解はイルディだけでいいから!」
「では、せめて実践の機会を!」
「頼むから私に被虐趣味の烙印を確定させようとするな!」
たけどと息を切らしながら反論する王を、ディーナは優しく見つめた。
(こんな男性もいるのだ……)
男なんて、みんな女の外側しか見ていないと思っていただけに、不思議な気持ちだ。
(私は、男なんて今でも嫌いだけれど)
それでも、この方のアグリッナ様に向ける真摯な愛情は尊敬してもいいものなのかもしれない。
今までにない不思議な気持ちがこみ上げてくるのを感じながら、ゆっくりとディーナは微笑んだ。
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