(6)オリスデン王との対面


「では、着替えたら、王にご挨拶に参りましょう」


 扇を閉じて言われたアグリッナの言葉に、ディーナは隣の部屋で旅装から持参していたドレスへと着替えると、急いでイルディとアグリッナの小柄な背中を追いかけた。


 そして、豪華な宮殿の廊下を歩くアグリッナの後ろ姿を盗み見る。


(さっきは、王妃をどうこう言われて焦ったけれど……)


 現実的に考えてみれば、さすがにそこまでは想像できない。第一、それは歴代の寵姫同様、溺れるほど恋させるのに成功した時の話だ。


(それよりも……)


 夢物語にしか思えないことよりも、ディーナはさっきの会話の中で触れられなかったことの方が気になった。


 だから、周りを見回し、アグリッナと自分。それと、後ろにイルディしかいないことを確認して、そっと尋ねる。


「あの――アグリッナ様。この仕事の前に一つお訊きしておきたいことがございます」


「なんでしょう」


 凛とした声が真っ直ぐに伸びた背筋から返される。


「重要なことなので確認しておきたいのですが……。アグリッナ様は王をどうお思いなのでしょう?」


(確かに、婚約を破棄したいとは聞いたけれど、肝心の公爵令嬢のお気持ちをまだ聞いていない)


 だから思い切って尋ねたのだが、ディーナの言葉に前を進んでいたアグリッナの足がぴたっと止まった。


 そして、くるっと向き直る。


「そうですね。面倒くさくて、厄介極まりない方と思っています」


「あ、ああ。そうなのですね」


(好感度、低っ!)


 これは、嫌いというほどではないけれど、好きでもないという部類ではないかしらと思わず引き攣ってしまう。


「でも、そうですね。お前ならどう思うのでしょう?」


「え?」


 真っ直ぐに見つめてくるアグリッナの青い瞳を、ディーナはどきりとしながら見返した。


「自分の夫となる人が、国でも名高い変人と言われているということは――」


「――え、と。それは、まあ……」


(正直、嫌かも……)


「しかも、それが悉く自分のせいで。王の変な噂話が流れるたびに、自分の名前が一緒に人の口に上るのです。私は、宮廷と領地ぐらいしかよく知りませんが、王ということを除いて世間一般的にお近づきになりたい類の男性なのでしょうか?」


「いえ、申し訳ありません。アグリッナ様の感覚が正しいと思います」


(確かに、それは嫌だ)


 王の何か変な噂が上るたびに、自分が元凶のように言い立てられては。


(でも……)


 ちらりとディーナは顔を伏せながら、目の前に立つアグリッナの姿を覗き見た。


(王のその話って、アグリッナ様のこの格好のせいもありそうだけど……)


 いくらアグリッナの背が低くて、幼く見えるとはいえ、もう十六。それなら、こんな胸を平らに見せるように裁断された平面的なドレスを着るよりも、もっと肩を開いて、胸元の立体を強調した方が余程大人びて見える。


 首元は夏らしく開いているが、胸の白さやまろやかさが平たい布の中に閉じ込められていて、全体的にデザインが中途半端だ。


(王の婚約者だからかもしれないけれど、これじゃあ余計に子供っぽく見えるわ)


 もっと女性らしい肌の白さや、体の曲線を強調した方が、小柄でも年相応に見えるのに。


(それとも、これがオリスデンの流行なのかしら?)


 けれど、目の前でアグリッナは頭を下げたままのディーナを見つめると、小さく息をついた。


「それに――私は、王以外の王族の方には疎まれています」


「え?」


 アグリッナの呟きが、さっきディーナが尋ねた質問への答えだと気がついて、驚いて顔をあげた。


 けれど、アグリッナは何事もなかったように、さらりとドレスを翻している。


「よいのです。私にとっても所詮、幼い頃に押しつけられた婚約にすぎませんし――」


「アグリッナ様……」


 思わず顔をあげて正面から見つめたディーナの前を、アグリッナは顔を伏せながら歩いていく。


「それに、私にもほかに気になる方が……」


 呟いたアグリッナの横顔は、ほのかな薔薇色になっている。


「え?」


(あ、なに。つまり、アグリッナ様にはほかに好きな方がおられるの!?)


 それなら婚約を破棄したいのも道理だ。


(ああー! なるほどね!)


 すごく理由がわかった気がする。だから、ディーナはそのまま赤い顔で俯いてしまったアグリッナにほほえましい気持ちで続くと、広い大階段を上った。


 三階は一階とも二階とも雰囲気が違っていた。天井には、このオリスデンの歴史なのだろう。王と思しき人物を描いた絵画がずらり並び、ディーナを威嚇するように見下ろしている。その中で服装が一番古いと思える戦いの絵の下で、アグリッナは足を止めた。


 そして、広い扉の側に立つ衛兵に声をかける。


「アグリッナです。王にお目通りをしてもかまわないでしょうか?」


 けれど次の瞬間、扉が中からばたんと開かれた。


「アグリッナ!」


 飛び出してきたのは、金色の髪を肩より長く緩やかに波打たせた青年だ。整った容貌は、今までに見たどの肖像画の姿よりも雄々しく美しいが、琥珀色の瞳が、扉の前に立つ公爵令嬢の姿を見るのと同時に笑みに輝く。


「来てくれたのか!? 今すぐ、仕事なんて終わらせるというより後に回すから」


 けれど、そのままアグリッナを抱きしめようと伸ばした手は、扇で鋭く叩かれた。


「きちんとお仕事はなされませ。私のせいで陛下がさぼられては、来ている政務官達が帰れずに困るではありませんか」


 開いた扉の内側を覗くと、二人の青年が困った様子で苦笑を浮かべている。


「いや、アグリッナ様。もう後はサインさえいただければ、この件は終わりますから」


 明らかに気をきかせたという様子で、中にいる政務官の一人が王に笑いかけている。部下の機転がありがたかったのだろう。聞いた王も破顔した。


「だそうだ。それにアグリッナ! 私に用があったから、わざわざ来てくれたのだろう?」


「え、ええ。それはそうなのですが」


 けれど、そこで急に王の顔が真っ赤になった。


「なにか?」


 冷静に尋ねるアグリッナの前で、王はすぐ下に立つアグリッナの姿を見つめると、ますます赤くなっていく。


「いや、よく似合っているんだけど……少し、胸が開いていないか? その、目のやり場に困って……」


「かなり押さえたデザインにしたつもりでしたが、これでもだめでしたか。首のすぐ下まで隠した方がよかったでしょうか?」


「うん、見えるとだな……。正直、成長した貴方の姿に、理性との戦いになってしまって……」


 目のやり場がないというように、耳までまっ赤になって俯いてしまっている。


(ちょっとなに!?  令嬢のこの姿は王が元凶なの!?)


 というか、この姿でも抑えがきかないって――。


「やれやれ。仕方がないので、王の今日の語録を更新させるように、後で王室省に話しておきます」


「イルディ! お前か! 最近、俺の発した変な言葉が、全て記録されている元凶は!?」


「当然でしょう? どうして輝かしい我らが王のお言葉を、後世に残す手伝いをしなくてよいことになりましょう? そのためにわざわざ変の項目も追加しました」


「変と銘打っている時点で、絶対にしなくていいから!」


「おや。残念です。陛下とアグリッナ様の喧嘩は、たいてい次の政治的判断に結びつく重要指標ですのに」


 けれど、アグリッナがすっと扇をイルディの前に差し出した。


「陛下。今日は引きあわせたい者があってまいりました」


 アグリッナの言葉に、やっと王が後ろにいるディーナを見つめた。琥珀色の瞳が、怜悧な面差しの中から視線を注ぐのに緊張してしまう。


「美しい女だな。アグリッナの友人か?」


 王の言葉に、ゆっくりと体の線を強調したドレスで身を屈める。そして足を折るのと同時に、普通なら広げるようにもつ裾を膝に沿わせて摘み上げた。


 ほんの一仕草で、腰から足までの線が露わになり、息を飲むように美しいディーナのシルエットが布地の下から浮かび上がる。


「初めまして。ディーナ・リドと申します」


(最初は緊張した。だけど、出会ってみれば大丈夫)


 少々変わってはいるが、女の体に反応する普通の男だ。


(それなら、アグリッナ様の密かな恋のためにも死力をつくそう)


 だから、ディーナはいつもの余裕を取り戻して、艶麗に笑いかけた。


「名前からすると、オーリオの方か? 見事なオリスデン語だ」


「ありがとうございます。父が私の将来のためにと、幼い頃から色んな言葉や教養を学ばせてくれました」


(これは、本当)


 嘘は少ないほど、相手を騙しやすい。だから美しい笑顔で頷いたのだが、それに王は納得したらしい。


「そうか。私は、エスティリオル・アレク・ユウェンシス・オーグレインだ。婚約者が世話になっている」


 王のこぼす微笑は、端整で、普通なら息を飲むほど力強い。


 けれど、アグリッナはディーナの横ですっと扇を持ち替えた。


「陛下。私も陛下の御身のために考えました。私が幼いために、陛下に我慢させることは不敬にあたると」


「えっ――」


「ですから、これ以降はこのディーナを私同然と思ってお側近くにお召しいただきたいのです」


「アグリッナ、何を――!」


 けれど、その瞬間王の部屋の扉が開いた。見事な金髪の持ち主が衛兵の制止を振り切って入ってくるが、その後ろには美しい二人の娘が立っている。


「なるほど。アグリッナが、兄上の部屋にほかの女を連れてきたと聞いたから、何事かと思えば! そういう腹積もりか」


 そして、王が座る所に近づくと、磨き上げられた机に片手を置いた。


「兄上。これが俺が、前から話していた娘達です。警務長官ドレスレッド侯爵の紹介で、このたび正式に宮廷に呼びました」


「リオス――」


 眉を顰めた王は困ったように、自分とよく似た面差しの弟を見つめている。


「何度も言うが、私は寵姫も側女ももつつもりはない」


「何度も言いますが、兄上は王なのですよ。しかもいくら止めても、ご自分から前線に出て戦うのを好まれる。それなら、戦で兄上に何かあった時のためにも、一日も早くオリスデン王室は後継を授かったほうが良い」


 同じように言い返す弟の言葉に、王は僅かに顔をしかめる。


「別に、私が子を授かる前に何かあっても、お前が跡を継げばすむ話だろう?」


 それなのに、リオスははっと笑っている。


「ごめんです! 俺は兄上の子以外、次の王には認めません。ただし」


 にやりと笑った。


「あの魔女の娘との子供なんてのは、論外ですがね!」


(魔女の娘!?)


 それに、アグリッナが手の中の扇をぎりっと握り締めた。


 けれど、振り向いた王弟は、嘲るようにディーナを見つめている。


「ふん。そいつが俺への対抗馬というわけか」


 そして、くすっと笑う。


「必死だな。兄上の気持ちを自分から離さないように――」


(何を! この男!)


 王弟だかなんだか知らないが、あまりにも無礼だ。


(アグリッナ様のお気持ちも知らないで!)


 しかしリオスはディーナの側によると、囁くように顔を近づけてくる。


「ふん。お前もお前だ。この女のどんな口車に乗せられたのか知らないが、自分の婚約者にあてがう女として紹介されるとは。どうせ中身はたいしたあばずれなんだろう?」


「なっ――!」


(なんですって!? なによ、こいつ!)


 出かけた言葉を拳を握り締めて耐えた。けれど、リオスはまだディーナの頭の先から足の先まで嘲るように見つめている。


「ふん。そのドレス、オーリオの型か。だがオリスデン王の妾になるのに、平気で他国のものを身につけて目通りをするとは、どんな田舎育ちだ」


「これは――。オーリオでは、今貴婦人に大人気のデザイナーの最新作ですわ」


「衣装じゃない。心がけの話をしている。まったく、こんな王への敬意もオリスデンへの忠誠も知らない娘を兄上の側にあげようだなんて!」


 はっと笑われるのに、手が震えてきた。


(こいつ! よくも私まで笑いものにしてくれたわね!)


 けれど、後ろでリオスが連れてきた二人の姫は、それを面白そうにくすくすと見つめている。


 二人のたおやかな顔の中に浮かぶ嘲りの色に、ディーナの導火線に火がついた。


(結構じゃない! やってやるわ!)


 王の寵姫! 私とアグリッナ様のために、必ず勝ち取ってみせると、ディーナはライバル達を睨みながら心の中で叫んだ。



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