(9)懐かしい面影
「久しぶりだな、ディーナ」
忘れたくても忘れられなかった面影が、目の前でにっと笑っている。薄い金の髪と、皮肉げに光に透ける茶色い瞳。幼い頃に毎日笑って見あげた姿を、信じられない思いでディーナは見つめた。
「なんでここにいるの……! ルディオス」
ざんとディーナの横で風が流れた。
忘れることすらできなかった。それだけ幼い頃の自分が無邪気に信じて見つめた姿が、今目の前にある。
けれど、大きく開いたディーナの青灰色の瞳に、ルディオスははっと両手を挙げた。
「ふん、どうやら忘れてはいなかったか。あんまり反応が鈍いんで、てっきり子供時代と同じお花畑頭で、すっかり忘れられているかと思ったんだが」
「忘れるわけがないでしょう!?」
むかっと肩を怒らせる。
「あんたみたいな最低男! 女に騙されて、生ゴミ同然に人生を棒にふればいいと、どれだけ日々祈っていたか。その労力分、ぜひ達成されていてほしかったわ!」
「随分な言い様だな。仮にも、幼馴染みに向かって」
「お金目当てのね!」
思わず言い返すが、ルディオスは鼻にもかけていないようだ。嘲いながら、斜め上の空を見上げる姿に、拳を握り締めてしまう。
「だいたい、なんであんたがこのオリスデンにいるのよ!?」
「オーリオのさる夫人を口説いて、大使の側仕えになったんだ。下っ端貴族には精々上等な勤め口と思っていたんだが、まさかお前がこのオリスデンにいるとは思わなかったぜ」
「それはこっちの台詞よ!」
(まさか、アグリッナ様に近づいていたのがこいつだったなんて!)
歯噛みしたいぐらい悔しい。こんな奴の言葉を信じて、アグリッナが王との婚約を破棄する決意を固めていただなど――。
(こいつが、下心なしに女に近づくなんてあるはずがないのに!)
「どういうつもりよ!」
だから、ぐっと拳を握り締めると、こちらを嘲るように見おろすルディオスを睨みあげた。
「アグリッナ様に花を贈ったりして! なにを企んでいるの!?」
「はっ、何も企んでなんかいないさ。ただあの公爵令嬢が王妃になったら、俺を重用してくれるのを待っているだけだ」
「なっ!」
あまりの言葉に、思わず絶句してしまう。
「このオリスデンはオーリオと違って、下級貴族でも高官になれるらしいからな。だったら、将来の王妃に媚を売っておいて損はないだろうが」
「そんなつもりでアグリッナ様に近づいて――!」
(許せない、この男!)
それなのに、ディーナを見下ろしたルディオスはふんと鼻で笑っている。
「それをあの娘がどう勘違いしようが、それは相手の勝手だ。望むのならいくらでも優しくしてやるし、甘い言葉だってかけてやる。ディーナ、お前の時と同じようにな」
ルディオスの言葉に頭の中の何かが、ぶちっと音をたてて切れた。
思い切り右手を持ち上げると、頬を叩こうとする。けれど、僅かのところで振り上げた掌はかわされてしまった。
大きく後ろにのけぞった姿で、ルディオスは驚いた瞳をしている。
「おお、危ないアブナイ。お前、相変わらずじゃじゃ馬だなあ」
「許さない! 初めから利用するつもりでアグリッナ様に近づいていたなんて!」
「許さない? それで、どうするって?」
しかし、ルディオスは短い金髪を揺らしながら不敵に笑っている。
「アグリッナ様に全てを話すわ! お前の本性もね!」
「どうぞ。と言いたいところだが、さすがにそれは困るな。それに本当のことをばらされて困るのはお互い様じゃないのか、ディーナ?」
「なに……?」
何を言っているのかわからない。けれど目の前で、にやっとルディオスの唇が歪んだ。
「俺はお前のことも知っているんだぜ? 公爵令嬢の遠縁なんて触れ込みになっているが、本当はオーリオで男を手玉に取っていた詐欺師だろうが。オリスデンの貴族共にばれたらどうなるかな?」
「なっ――!」
思わず言葉を失った。もう一度殴ってやろうと上げかけた手が、そのまま空中で止まってしまう。
固まったディーナの姿に、ルディオスは嘲うようにふんと強気な笑みを浮かべた。
「もしお前が俺の過去をばらしたら、お前の過去も宮廷内で叫んでやるからな! 公爵令嬢の遠縁で国王の寵姫候補が、男を手玉に取っていた恋愛詐欺師! これがばれたらおまえだけでなく、推薦した公爵令嬢の評判もどうなるかなんて、考えるまでもないだろうが」
思わずぐっと言葉に詰まる。振り上げたままの手が震えてくるのに、振り下ろすことができない。
言い返すことさえできなくて、ただルディオスの浮かべた笑みを見つめた。
「わかったら、うまくやろうぜ? お前は陛下の寵姫。そして俺はアグリッナ嬢を利用して出世する。それでお互い様だろう?」
(冗談じゃないわ! 絶対にごめんよ!)
それなのに、去っていくルディオスの背中に言葉が出てこない。
この場で叫んでやることもできない悔しさに、ディーナは自分のドレスに拳を振り下ろすと、ただ強く握り締めた。
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