最終章 これからの未来
(1)公式寵姫
五日後、ディーナは大広間でたくさんの高官に囲まれていた。
けれど、いつも男を惑わせるように体のラインを強調していたドレスは、今日はオリスデン伝統の襞の多いゆったりとしたものになっている。膝をついた赤い絨毯に広げたドレスは夏らしい爽やかな白で、黒い髪を流す背中は、豪華な絹で作られたミントグリーンのマントに覆われている。
あれから、ルディオスの部屋の棚に隠されていた薬物が見つかり、正式にルディオスとドレスレッド侯爵は取り調べを受けることになった。普通なら、王の毒殺など発覚だけで一族殲滅の案件だが、今回は押収された毒物が致死の効果を持っていなかったと判明したため刑を減じられ、当事者のみの投獄ということになりそうだ。その先は法廷の審議次第だが、二年後には王の婚礼という特赦が国中で行われるから、二人ともあまり長い刑にはならないだろう。
そして、今日の日を迎えた。
「ディーナ・リド」
片足を折り畳み両手を組み合わせているディーナの前に王が立つと、ゆっくりと両手で宝冠を頭上にかざしている。
「オリスデン国王エスティリオル・アレク・ユウェンシス・オーグレインの名において、本日より公式寵姫の位に叙する」
大広間に響く声が重々しい。
「――はい、光栄に存じます」
(けれど、ほかに返事のしようがない)
俯くディーナの瞳は、微かに揺れている。
(なにを迷っているの。アグリッナ様を守る盾になると決めたでしょう!?)
ましてや、これは最初から依頼されていた内容だ。
(実家の借金。弟の学費、将来。どれを考えても、私にほかの選択肢はない)
だから目を閉じると、そのまま王が下ろして来る宝冠が頭上に嵌まるのを感じた。
真珠で作られたティアラは、新しくディーナのために誂えられただけあってよく似合う。銀細工と真珠の繊細なデザインが、ディーナの生来の美しさを更に高貴なものに見せている。だから、今まで眉を顰めていた貴族達も、忌ま忌ましげにしかめていた瞳を開いて少しだけ驚いた顔をしている。
「これにより、今日から王族に準じる者と認め、宮殿に正式な住まいと寵姫の称号オーグレイン・ユレスそれに付随する特権を授ける」
「ありがたくお受けいたします」
(そうよ、もう決めたのだから……!)
だから、迷いを振り切るように顔を持ち上げると、差し出された王の手を取った。
そして、宝冠を抱いた頭を昂然と持ち上げて、周囲の人々を見回す。
(私は、アグリッナ様を守るために生きる! だからアグリッナ様に代わって、人々の悪意を全て受け止めてみせよう!)
見回した人々は一斉に礼こそしているが、内心では異国生まれの小娘がと侮っているのは確かだ。
侮蔑、嘲り、粗を探す目つき。その全てにディーナは華麗に笑って見せた。
挑発するように。
「皆様、今日から陛下のお側にあがることになりましたディーナ・オーグレイン・ユレス・リドでございます。なにぶん新参者で、宮中の決まりごとなど詳しくはございませんので、どうかこれからお引き立てのほどよろしくお願いいたします」
にっこりと――歯噛みしたくなるほど無邪気に言い放つ。
華やかな笑顔に、どれだけの貴族が苦虫を噛み潰したのか。
大広間での公式寵姫宣下の儀式を終えて、大階段を昇っていく途中で、よほどおかしかったのか王がたまらずに顔を崩した。
「見たか、あの貴族達の顔」
「はい。みんなして口々に、アグリッナ様が正式な婚約者だとわかっているのかと、囁き合っているのは痛快でした」
「ついこの間まで、その口でアグリッナの母を罵っていたのにな。人というのは実に面白い」
くくっと、王は我慢できないようだ。
けれど、大階段を上りきると、いつも入る王の部屋に続く廊下を右へと曲がった。
「陛下、こちらの方向は……?」
今まで入ったことがない通路だ。もっとも、三階はほとんどが王族のための区域なので、余程のことがない限り出入りはできない。
けれど、王は少し進むと、一つの扉の前で止まった。一枚板で作られた扉は白く塗られ、表面にはいくつもの蘭の花が華やかに掘り込まれている。扉の四隅と金具は金で装飾され、見ただけで格の高い部屋だとわかる。
「歴代の公式寵姫が使ってきた部屋だ。私の三番目の部屋の隣にあり、隠し扉で繋がっている」
「ああ――」
言われてみれば、確かにその辺りだ。
話している間にも、側に控えている侍女の一人が扉を開けた。
そして目の前に広がる光景に思わず立ち尽くす。
中は、一面が金色と白で統一されていた。壁は白、天井も目を奪われるほどの純白だ。眩しいほどの白さを更に輝かせるように、壁には金で花が描かれ、施された金の装飾と一緒に煌いている。
「ここは……」
一歩踏み出した床は、寄せ木細工で作られた幾何学模様だ。大理石の暖炉と水晶細工のシャンデリアがその上に並び、お辞儀をしている五人の侍女と共にディーナを迎えている。
「荷物は貴女の部屋から移させておいた。侍女を五人、侍従を二人、交代で務めてくれる。ほかにも必要と思える物はだいたい揃えておいだが、必要な物があったら、侍従に伝えれば、王室省に組まれた寵姫用の予算から用意してくれることになっている」
「寵姫用の予算……」
ごくりと喉が鳴った。
初めて、自分がこれまでと違う世界に入ったのだと実感した。
「アグリッナにも相談して用意したのだがどうだ? ぱっと見て足りない物とかありそうか?」
「い、いえ……!」
(っていうか、アグリッナ様と相談したんですか!?)
これで間違いなく既に悪名が一つ増えているだろう。
(図々しく王の側に侍りながら、裏切ったも同然の恩人に自分の用意をさせた女)
間違いなく非難要素だ。
(まあ、いいけれどね。それが元々の狙いなんだから……)
「大丈夫だと思います。後でお願いするかもしれませんが」
(最高の悪女を演じるために)
悪女として、国中の貴族の眉を顰めさせるのなら、倹約家などという言葉は王妃となる女性に譲るべきだろう。
浪費、贅沢、傲慢――これらの言葉をどれだけ囁かせることができるかで、それと縁のないアグリッナの存在を際立たせることができる。
(そうすれば、二年後アグリッナ様が陛下との婚礼を迎えられるのに、アグリッナ様の母の問題は限りなく薄くできる)
誰だって、最高の悪女に翻弄されるぐらいなら、多少不安な噂があっても、賢明で国のことを考えられる王妃の方がよいだろう。
「そうか。必要ならなんでも言ってくれ。貴女がいると言うのなら、きっとアグリッナを守るためのものだろうから」
けれど、口に出さないディーナの考えをわかっているように、王は微笑んでくれる。
だから、ディーナも思わず振り返って王を見上げた。
「あの、陛下!」
「なんだ?」
突然、勢いよく振り返ったディーナを王は不思議そうに見つめている。けれどディーナは、視線に音があればがしっと鳴りそうな勢いで、王の眼差しを見つめた。
「確認しておきたいんですけれど! 私が陛下の寵姫を勤めるのは、陛下がアグリッナ様とご婚礼を挙げるまでの二年間だけですよね!?」
(寵姫が必要なのは、それまでだけのはず!)
アグリッナを正式な王妃に迎えてしまえば、他国がなんと言ってきても、寵姫の座を利用されないようにすることはできるだろう。
(だったら……)
五日前に別れて、それきり一度も会っていないイルディの面影を脳裏に浮かべる。見つめてくるディーナの前で王は微笑んだ。
「もちろん」
ぱっとディーナの顔が輝く。
「じゃあ……!」
(二年たてば、会えるかも知れない……!)
同じ王国内だ。自由な身にさえなれば、不可能ではない。
「だが、前にも言った通り、王が誰と関係をもったかは、毎日侍女達によって検められる。王位継承にも関わる問題だからな。だから、それまでの二年間は貴女のところに通わなければならないが、それだけは了承しておいてくれ」
「え……?」
「アグリッナを守るためだ。私も、子供のような拘りは捨てることにした。だから、それまでは貴女も勤めと思って、よろしく頼む」
(それは……)
しかし、思ってもみなかったことに言葉が出てこない。
「じゃあ、また夜に来る」
けれど、青くなったディーナの顔に気がついているのか。王は優しく微笑むと、まるで並んでいる侍女達に見せつけるように、一房持ったディーナの髪に口付けを捧げるような仕草をして出て行ったのである。
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