(9)媚薬の夜
頬に今までダンスでしかとったことのない王の指が触れている。関節が太い、男を感じさせる指だ。
少しざらついた王の指がディーナの白い肌を確かめるように、ゆっくりと動く。
微かに頬を押し、内側から押し返してくる白い肉の弾力を確かめている。
椅子に座っていたはずの金色の髪が、いつの間にか立ち上がり、自分の視界を覆っているのを、ディーナは薬にうかされた瞳でぼんやりと見つめた。
こんな状況なのに、王の髪は、夜の明かりに輝く金の波のようだ。
その波の隙間と肩の間から、王の机の横に落ちた食べかけの石榴の菓子が見えた。
(ああ。薬が効いたのね)
自分の肩を掴んでくる王の腕の熱さに、ディーナも薬で朦朧としかけた意識で呟く。
きっと、陛下も自分の中の衝動だけで動いているのだろう。今の自分の考えが、どこか靄がかかって纏まらないのと同じように。
体が熱くて、力が入らない。
けれど、触れてくる腕の熱さだけが、ひどく心地よい。何も考えずに、ただ相手の肌だけを感じていたい欲求が、どうしようもなく体の奥から湧きあがってくる。
だから、王の瞳が、やはり熱を宿して自分を見つめてくるのに、どこか観念した思いで目を閉じた。
そのまま、王の唇が首にかかった髪に降りてくると、ゆっくりと黒髪の感触を確かめるように辿り出す。
そして、更に髪の下にある白い肌を求めるように、唇が降りてくる。
熱い息が、はっきりと首にかかり、ディーナは小さく身をよじった。
(大丈夫。この世の女性がみんな経験することですもの)
怖さは消えないが、息が首筋を辿るだけで、肌が粟立っていく。白い肌理の上を太い指が微かに触れるだけで、全身が震えていくのを感じながら、ディーナは朦朧と首をそらした。
「陛下……」
けれど、呼んだ瞬間、はっと王がディーナから身を離した。まるで、おぼろに開いた目に映っている髪の色が、望んでいたものと違うと気づいたかのように。
そして、必死に口から洩れる吐息を手で押さえると、目の前にいるディーナと、さっき食べて机の下に転がっている菓子とを慌てて見比べている。
「――アグリッナ……!」
はっきりと正気を取り戻した王の叫びが唇から迸った。
「そんなに私と別れたいのか……! こんなことまでして!」
(え? まさか、全てアグリッナ様が仕掛けたことだと勘違いしているの!?)
王の様子に、ディーナも慌てて意識をはっきりとさせた。怒りを買うかと一瞬身構えたが、目の前で王は必死に両手を握り締めると閉じた眉根を寄せている。
「しかし耐えてみせる! たとえ貴女が私の愛をどれだけ試そうとも、私の愛は真実貴女一人だ!」
(えーっ! ここで鉄壁の純潔を宣言するんですか!?)
さすがに、血走った目で必死に媚薬と戦いながら叫ばれる言葉に、ディーナの方が呆気にとられてしまう。
「あ、あの。陛下――。私は、アグリッナ様の身代わりでもかまわないのですが……」
(これが私の任務なのだし)
けれど、言った瞬間、ぎんと王に鋭く睨みつけられた。
「何を馬鹿なことを言っているんだ!」
王の視線は有無を言わせない迫力でディーナを睨みつけている。
「あなたはもっと自分を大切にしろ! 自分がそんな粗末に扱う価値しかないと思っているのか!?」
「申し訳ありません!」
怒気に近い視線に思わず頭を下げてしまう。
「わかったら、すぐに出て行ってくれ! アグリッナがしたことは、誰にも言わないようにしておくから――。私は、貴方もアグリッナも、傷つけるようなことはしたくない!」
有無を言わさない言葉に、背中を押された。
慌てて飛び出した背中の後ろで、ばたんと閉められたすさまじい扉の音に、ディーナはどうすることもできずにただ振り返った。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます