エピローグ
エピローグ1 達成か未達か
「一ノ瀬ぇっ! ちょっとどういうことなの! アタシに説明してちょうだい!」
狭い会議室に、桐山さんの野太いキンキン声――としか言いようがない――が響いた。
香港マフィアみたいなオネエの上司は、部下の失態によって重要な取引が警察にバレたのではないかと思うくらいに怒り心頭だった。
「説明と言われましてもね」
これは詰め会なので、なにをどう説明しても怒られるわけだが。
俺は腕を組んで、隣で肩を強張らせている生駒にちらりと視線を送る。
「まあ、なんというか、すいません」
「すいませんですんだらね、警察はいらないじゃないのよ!」
「桐山さんが言うと香港映画みたいですね」
「もお! 一ノ瀬ぇっ!」
俺と生駒は徹夜で手直しした企画書を持って、プロミスワークスを訪ねた。
アポなしの飛び込みで、しかも出社してくる社長を待ち伏せして強引に話をするという、新聞記者も真っ青の夜討ち朝駆けだった。
人事に話したところでどうせ結果は見えてる。
一発逆転するなら、上のラインに話をとおすしかなかったんだ。
結果。
提案は――落ちた。
残念ながら、世の中はそんなにうまくはできてない。
がんばった人間が必ず報われるほど、神様――だかなんだか――は情に厚くない。
がんばったで賞なんてものは、社会人にはない。
つまりはそういうことだ。
そして。
俺と生駒の強引なやり方に先方が激怒してクレーム案件になった。
桐山さんと部長が謝罪に出かけたものの、シーガルキャリアは出入り禁止になった。
そりゃあ、桐山さんも怒る。
「一ノ瀬、グループの目標未達どころかクレームに出禁で、GM会じゃアタシは散々よぉ。もう、どうしてくれるのよ!」
「桐山さん、一ノ瀬センパイは悪くありません。あたしが無茶を言ったんです」
「生駒、アンタは黙ってなさい」
サングラスの奥から桐山さんに睨まれて、生駒が身を硬くする。
本当に堅気かな、このオッサン、いやオネエ。
「ぺーぺーの生駒をハンドリングするのが、一ノ瀬の仕事じゃないのよ。それがどうして、こんなことになってるのかって聞いてるの!」
「それはそうなんですけどね」
俺はネクタイを緩めて、小さく嘆息した。
提案は落ちた。
世の中はそんなに甘くない。
それはわかっていたことだ。
営業は数字だ。
達成か未達か。
もし、この強引なやり方で提案がとおっていれば、俺と生駒は絶賛されただろう。
今QのMVPだったかもしれない。
だが、そんなこと、どうでもいい。
不思議と、いまの俺はそう思っていた。
少なくとも、俺と生駒は精一杯やれるだけの仕事をした。
自分にウソをつかず、誰にも忖度せず、カスタマーとクライアントのことを真剣に考えた仕事をした。
だったら、それでいいだろう。
俺は身を乗り出すと、桐山さんに言った。
「別にどうだっていいじゃないですか。数字なんて」
桐山さんが唖然とした顔になった。
「どうせ、全社で見れば黒字でしょ? 一人、二人、こんな仕事をする営業がいたってつぶれやしませんよ。この会社は。ただまあ、責任は取ります。俺は生駒の上司だし、チームの数字に責任がありますから。給料下げるなり、異動するなりしてください」
「一ノ瀬センパイ……!」
生駒がぎょっとした声を上げた。
なにをそんなに驚いているんだか。
組織でやりたいことをやるっていうのは、こういうことだ。
結果が出なけりゃ、誰かが責任を取らなきゃな。
「生駒、お前はさ。俺が異動になっても、お前はやれるだけやってみろ」
「そんな、あたし、一ノ瀬センパイからまだまだ教えてもらってないことあります」
生駒はぶんぶんと首を振って、この世の終わりみたいな顔をしていた。
懇願するように桐山さんに言う。
「桐山さん、お願いします! 一ノ瀬センパイを異動させないでください! お給料は、あたしだって下げてもらってかまいませんから!」
「あのねえ。アンタたち勘違いしないでちょうだい。それを言ったら、一ノ瀬の上司はアタシで、グループ全体の数字に責任があるのはアタシなのよ。最後の責任はアタシにあるの」
眉間に深い皺を刻み、桐山さんは言った。
「だから、ああいうことするなら、ちゃんとアタシに言ってからにしてちょうだい」
「言ったらとめるでしょうが」
「そりゃ全力でとめるわよ! でも、それでもやっちゃったなら、アタシは全力でメンバーを守るわよ! アンタたちがしたこと詳しく知ってたら、GM会だってもとうまく立ち回れたわよ!」
「あー……それは、すいません」
俺は素直に謝った。
数字を外したことはもちろん怒っているだろうが、それとは別のところでも桐山さんは怒っていた。案外、この人はちゃんとしたGMなのかもしれない。
俺のせいで桐山さんが異動になってしまったなら、さすがに後味が悪いな。
と、会議室のドアがノックされて、ひょっこりと小萩さんが顔を出した。
そういえばこの人、ここ数日はまったく会社で顔を見てないな。
なにをしてたんだろう。
俺、生駒、桐山さん、三人の視線を一斉に浴びた小萩さんは、職員室に呼び出された中学生みたいだった。
「蒼梧きゅん、蒼梧きゅん」
とはいえ実際は二九歳なので、まったく物怖じすることなく会議室に入ってくる。
「あ、小萩さん、次ここの会議室予約してました?」
「ちゃうよー。今日って締め日やろ? クロージングして申込書回収してきたんよ」
「ああ……っ!」
そういえば、少しは足しにできる当てがあると言ってたっけ。
「ほいこれ。がんばってもうちの心当たりやと100万くらいかなって思てたんやけど、なんや天王寺の飲み屋で知り合った不動産屋の社長と仲良くなってもうてな」
小萩さんは三社分の申込書を渡してきた。
「既存の二社で100万、その新規の不動産屋で700万。合計で800万受注したで」
「は?」
俺は間の抜けた声をもらして、さらりと言った小萩さんを見つめた。
俺だけじゃない。
生駒も、桐山さんも、同じような間の抜けた感じになっている。
「あれ? どないしたん? ひょっとして、うち受注しすぎてもうたかな? 来Qの目標高くなってまう? 蒼梧きゅん、せやったらごめんやで」
両手を合わせて頭を下げる小萩さん。
いやいや、なにを謝ることがある。
小萩さん、マジ天使!
八重歯が可愛い、合法ロリ天使!
俺は小萩さんの手を取り、
「やっぱり営業は数字達成してなんぼですよね!」
満面の笑みで言った。
営業は数字だ。
達成か未達か。
そんなことはくだらないと思ったが。
あれはウソだ。
いいか、数字は達成するに越したことはない。
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