第17話 元カノと後輩の圧力は

 梅田のオフィスに戻るなり、俺は生駒に言った。

「どう思う」

「常盤さんがキーマンじゃないですか?」

「ああ、俺もそんな気がするよ」

 適当に空いている場所を見つけると、生駒と隣り合って座る。

「山崎は人事畑の中途入社だからマネージャーやってるけど、どうも採用現場を仕切ってる常盤のほうが発言権はありそうだ。彼女がごりっと言えば、意見がとおりそうな雰囲気だな。あそこの決済のラインは?」

「マネージャーより上は出てこないはずです。社長はもともと大手パブリッシャーのディレクターですし、経営ボードは開発出身の人間ばかりなので。採用は人事に任せているはずです。予算も一定額までは自由に動かせると言っていました」

「金額は?」

「すいません。そこまでは」

「だよな」

 確実に取りにいくなら、人事が自由にできる予算の枠内に収める提案を持っていく必要がある。とはいえ、最低でも500万円は数字をつくる必要がある。考えても仕方ない。

 俺は軽く息を吐いた。

 体重をイスの背もたれに預ける。

「さて、どうするかな」

「あの、一ノ瀬センパイ、ありがとうございました」

「なにが?」

「説明会、提案できるようにしてくれて」

「常盤がキーマンなら、そこのニーズは押さえる必要があるしな。なんにせよやることになっただろ」

「またまた、あたしへの優しさですよね」

「いや、全然違う」

「なんだかんだ言って、そういうところ、好きですよ?」

「人の話を聞け」

「一ノ瀬センパイこそ、聞いてました? 後輩が告りましたよ? いま、まさに。可愛くて巨乳な後輩が!」

「おー、そうだな。前向きに善処するように検討してみるわ」

「それ絶対、なにも進まない役所の返事じゃないですか。ぐぎぎ」

「あと、お前な。俺に相談もなしに、勝手にいろいろと言うんじゃないよ」

「だって、相談したらやめろって言うじゃないですか」

「そりゃ言うよ」

「やっぱり! 一ノ瀬センパイのバーカ、バーカ」

 わざとらしく頬を膨らませる生駒を無視する。

 全然怖くねえぞ、その顔。

 先輩を出し抜いて自分がやりたいことを提案してやろうって考えは、俺は別に否定はしない。それくらいの気概でやらなきゃ、いつまで経ってもくだらねえ先輩の下請けだ。

 だからまあ、お前はそれでいいよ、生駒。

「なんであたしの顔見て笑うんですか!」

「いや、社会人とは思えないガキっぽさだな」

「ひどー! パワハラ案件ですよ、パワハラ案件」

 生駒の声はオフィスに響いていたが、周りの連中はいつもことなので「またやってる」という顔でなにも言わなかった。

 俺はなおもなにか言ってくる生駒を無視して、会社ケータイで朝倉を呼び出した。

「おつかれさん、営業の一ノ瀬です。朝倉、いまどこだ? 煙草部屋? ちょっと戻ってこい。いいから。プロミスワークスの件だけどな、説明会の提案やることなりそうだわ。ああ、時間あるか?」

 煙草部屋からスマホを耳に当てている夏海が出てきた。

 俺に向かって軽く手を振ると、電話が切れた。

「一ノ瀬センパイ、朝倉さんに説明会の設計丸投げするつもりですか?」

「ああ、そのほうが手っ取り早いからな」

「営業サイドからも噛んだほうがいいですよ。そういう仕事してるからダメなんです」

 生駒の言うことは正論なので、どっちが先輩かわかったもんじゃない。

「時間がないから分担するんだよ。こっちはこっちで提案用の企画書を用意する必要があるんだぞ。それにな、朝倉はあんなだけど伊達にCDやっちゃいない。説明会の設計もお手のもんだ。お前よりな」

「一ノ瀬がわたしを褒めるなんて珍しいわね」

 近づいてきた夏海が、どこかこちらを疑うような視線を送ってくる。

 失礼なやつだな。

 まあ、俺も逆の立場ならそう思うだろうが。

「説明会の設計、丸っとやっていくらいる?」

「300万」

 夏海がきっぱりと言った。

「売値300万でなんとかするわ」

「ホントかよ」

 説明会の企画設計、使用するパワポのスライドと台本の作成、運用プログラム、全部ひっくるめてやるにしちゃあ安い値段だ。

 そもそも受注額の三割は企画料という名目でうちが中抜きするから、実際の制作原価は210万円だ。この差額の90万円が営業の数字になる。見積もり型の企画商品の割が合わないってのはこういうところだ。

 かといって高く見積もれば、失注するリスクも高くなる。

「安いほうがいいでしょ。全額数字につくメディアに予算を突っ込めるし。こんなに営業に配慮できる制作、いないわよ?」

「そいつはありがとうよ。本音を言え」

「スライドのデザイン以外はわたしがやる。それで浮いた予算でポスターつくって勝手に納品するから。先方をうまく言いくるめてよ」

 洋食屋でハンバーグを頼んだら、サービスでエビフライがついてきた。

 クライアントからしたらそんな感じだろう。

 数字にならない企画商品の原価を削ってくれんだから、俺からしたら文句はない。

 生駒は違うみたいだが。

「朝倉さん、先方が望んでもないもの勝手に納品しないでください」

「いいじゃん。予算の枠内でしれっとやるだけよ?」

「だったら、その分を安くすればいいじゃないですか」

「まあ、そうなんだけどさ。生駒ちゃんは真面目だなあ」

「あたしが普通なんです。一ノ瀬センパイ!」

「わかったわかった」

 そんなに睨むな。

「提案にポスター入れて、納得してもらえばいいんだろ」

「そもそも制作がつくりたいという理由で提案するのもどうかと思いますけど?」

「生駒ちゃん、ポスターだってちゃんと意味はあるの」

 そう言った夏海は軽く腕を組んだ。

 できの悪い生徒にレクチャーする女教師みたいだな。

「プロミスワークスは『究極のゲームをつくろう。』っていう社長の理念あっての会社だから、働くとしたら結局はそこに共感できるかどうかなわけ。でも、わたしが思うに究極って開発側の人間からしてもそれぞれ違うでしょ。そこを紐解いてそれぞれの立場で共感の接点をつくらないといけない。そういう意味では説明会の会場で、職種ごとに改めてメッセージを伝えるのはアリだと思うわけ。それも何種類ものポスターにして会場に掲示することで、自分にあったメッセージを見つけてもらうような設計にするの。そうすると、単に目に入るだけの状態から、一段階強く印象付けることができる」

「ぐっ……それっぽいことを言いますね」

「ええ、それっぽいことを言うのが仕事ですから」

 クールで澄ました表情がなんとも憎らしい、と生駒なら思っていそうだ。

 夏海は腐ってもクリエイティブディレクターだ。

 新卒入社二年目の若手が口で勝てるほど甘くない。

「生駒、お前の負けだ。そんなに言うなら、朝倉と一緒にやって勉強させてもらえ」

「ええ……?」

「そんなにいやな顔しないでよ。傷つくなあ」

 ちっとも傷ついてない顔で、夏海は言った。

 実績のある制作マンと若手の営業マンが一緒に仕事をするのはいい勉強になる。

 逆もそうで、ベテランの営業マンが若手の制作マンを育てることもある。

「そんなことより一ノ瀬さあ」

 夏海が普段のクールな表情を崩して、「にへっ」という笑みを浮かべた。

 こいつがこういう顔をするときは、あまりいい話じゃない。

「これ、誰なの?」

 俺に向けられたスマホの画面には、ラクスの写真が表示されていた。

 昨日、俺に弁当を持ってきたときのやつだ。

 嘆息とともに目を閉じると、額に手をやる。

 いやあ、なんか急に熱っぽいというか、体調が思わしくないなあ。

 まったく。

 本当に。


 やっぱり、むちゃくちゃ目立ってた!


 俺は意を決して目を見開く。

 スマホの画面を覗き込んでいる夏海と生駒の姿がある。

「一ノ瀬、いくらなんでもJKに手を出したらアウトでしょ。そういう趣味だっけ?」

「一ノ瀬センパイ……! こ、これ、これ、女子高生じゃないですか! なんなんですか、この金髪の、どう見てもビッチな女子高生は!」

「そういう趣味じゃねえし、生駒のディスりがすげえな……」

 夏海は画面をスワイプして別の写真に切り替えている。

「見て、生駒ちゃん。お弁当らしきもの持ってきてるわけ」

「ちょっ、まてよ! あたしがつくってきますよ、お弁当くらい!」

「朝倉、パパラッチかお前はよ。どれだけ撮ったんだよ……」

「心外ね。これはわたしが撮影したんじゃなくて、後輩から共有してもらったの。結構出回ってると思うけど?」

「死んだ!」

 俺は頭を抱えてデスクに突っ伏した。

 もうダメだ。

 社会的に死んだ。

 職場までJKに弁当を持ってこさせる社会人。

 完全にアウト。

「ねえねえ、一ノ瀬。元カノとしてこの子が誰なのか知っておきたいなあ」

「一ノ瀬センパイ、後輩としてこの女が誰なのか知っておきたいんですけど」

「お前らの知りたい理由が、ちっとも納得いかねえのはなんでだろうな?」

 おかしいな。

 胃が痛いし、妙な汗がとまらないな。

「なにその態度は? 条例違反野郎のくせに。そんなに溜まってるなら、わたしに言いなさいよ」

「エンコーですか? エンコーですよね? まさかカノジョとかじゃないですよね? あたし、一回の過ちなら許せる心の広い女ですよ」

 そう言ってくる元カノと後輩の圧力は、ミッション面談のマネージャーの比じゃなかった。いますぐに逃げ出したいが、生憎とそんな隙はなさそうだ。

 さっきまでいがみ合っていたくせに、なんだこいつら。

 俺は大きく息を吐くと、真剣な表情をつくり、言った。

 

「従妹です」


 我ながら、イケボだ。


「「はあ?」」


 二人はゴミくずを見るような座った目で俺を睨んできた。

 怖い。

 おしっこもれそう。

「こんな従妹がいるなんて、わたしは聞いたことないけど」

「まさか、従妹と、付き合ってるんですか……?」

「付き合ってねえわ!」

 二人の視線に殺されそうだ。

 それでも、俺は毅然とした態度で言った。


「従妹はレイヤーなんですよ」


 イケボだ。


「「はあ?」」


 まったく信用されていないことは、二人の反応でわかった。

 そりゃそうだ。

「そんな理由で納得すると思うわけ?」

「従妹だっていうなら証拠みせてください、証拠、エビデンス」

 完全に詰め会じゃねえか。

 刑事の取り調べでも、もうちょっと優しいんじゃないかと思える。

「一ノ瀬!」

「一ノ瀬センパイ!」

 二人は声を揃えて言った。


「「説明して!」」


 本当のことを言ったところで、「異世界からきたエルフ」だからな。

 それはそれでヤバい。

 正気を疑われるレベルだ。

 しかもJKには変わりないし、理由は俺と結婚するためなんだから、もっとややこしくなりそうな予感しかしない。

 沈黙する俺への救いは、意外なところからもたらされた。

 使われていた会議室のひとつからマネージャーの桐山さんが顔を出し、野太いくせにどこかなよっとした声で俺を呼んだ。

「一ノ瀬ぇ、ちょっときなさい! いますぐによ!」

 ちなみに桐山さんはオネエだ。

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