第18話 300万飛びましたか

 ごついガタイで度入りのサングラスをかけた、額がM字に薄くなってきている、香港の映画俳優であるアンソニー・ウォンにそっくりな男。

 それが関西HR営業部総合企画グループのマネージャーである桐山さんだ。

 どこからどう見ても香港マフィア。

「もお、一ノ瀬ぇ、アタシ困っちゃってるわけよ、ねえ」

 だが、オネエだ。

 野太い声のオネエ言葉にはもう慣れたが、身体をくねくねさせるのはやめてほしい。

「すいません。俺のチームが足を引っぱってるのはわかってます」

「違うのよぉ。それもあるんだけど、アンタのチームがギリギリなのはもうわかってるわけじゃないのよ」

 会議室で俺と向き合って座っている桐山さんは、乙女チックに頬杖を突いた。

「じゃあなんなんです」

「久慈チーム、今Qの数字、外すわよ」

 ドスの効いた声で、桐山さんは言った。

「は?」

 俺は間の抜けた声を返した。

 久慈チームは総合企画グループにある4チームのうちのひとつだ。

 リーダーである久慈さんは、新卒入社で俺の三期先輩。

 かなりやまっけのある営業マンで、ド派手な数字を上げることもあれば、まったくダメなときもある。全社MVPを取ったこともあれば、売上ワーストを取ったこともある、

 だが、今Qは個人もチームも達成できそうなヨミだったはずだ。

「なにがあったんです」

「どうもこうもないわよ。久慈が担当してるカオルーン・カンパニーあるじゃない?」

 神戸に本社がある外資系のグローバルコングロマリットだ。

 中途採用をかなり活発に行っており、一年中なにかしらの職種で募集をかけている。

「あそこの東京勤務のマネージャー、効果が出すぎて掲載ストップなのよ。Q末の最終入稿日に継続で出稿するはずだったG5がパーなの」

「マジですか……人材要件かなり高かったはずですけどね」

 こういうことはたまにある。

 求人原稿の効果がよすぎるというのは、いち早くこれぞという人材に内定を出せたとか、応募人数が想定以上に集まったとか、クライアントがこれ以上求人広告を掲載しておく意味がなくなった状態だ。

 その場合、要望があれば掲載期間がまだ残っていても、メディアから原稿を落とすことがある。

 今回の場合深刻なのは、採用難易度が高いと踏んで同じ職種で継続出稿をかける予定が、思いのほか効果がよかったせいで売上ごと吹っ飛んだことだ。

「いくらです。G5なら150万ですか」

 桐山さんが頭を振る。

「プラスでスカウトDM、600通」

 スカウトDMはガルナビNEXTに登録しているレジュメをもとに、求人にマッチする登録者を狙い撃つ商品だ。「あなたのこんな経験が、うちのこんな職種に活かせますよ」ということが具体的に書いてある。

 一企画あたり200人まで送付できるから、600通ということは三企画。

 スカウトDMは一企画で50万円。

「あわせて300万飛びましたか」

「そうなのよお、一ノ瀬ぇ。久慈のところはもうダメよ。ほかのチームもトントンだから、アンタのところでどうにかしてちょうだい!」

「どうにかって、俺のところなんてトントンどころか500万外してるんですよ! ほかのチームのフォローまでできるわけないでしょうが」

「生駒のゲーム会社、感触いいんでしょう。突っ込みなさいよ」

「勘弁してくださいよ。メディアと説明会で、実質700万は提案するんです。そこに300万のせたら一本ですよ。そんなもん受注するわけない」

「説明会ってKSじゃないの。だったら、そこ切ってメディアだけでやんなさいよ」

「いやいや、そこ切ったら受注するものもしませんよ」

 説明会の提案に乗り気でなかった俺が、そこを守ろうとするのはなんとも皮肉だ。

 だが、どう考えても受注するにはそこは必要なんだよ。

 わからねえかな、このオネエはよ。

「もういまから上積みの可能性があるのは、アンタのとこのチームだけなんだからね。なんとかしてちょうだい。アタシ、一ノ瀬だったらできると思ってるんだからね。これもアンタの成長のためだから」

 出たよ、成長。

 こんなもんで成長するわけないだろうが。

 成長のためという殺し文句でとんでもない仕事を押しつけてくるうちの会社の風習は、やりがい搾取以外のなにものでもない。

 成長しなければならないという焦燥感を抱いているやつはまんまと引っかかるが、俺はちっともそんなことは思ってないからな。

 桐山さんの言葉は、全然響かない

 俺のそんな態度には気づかないふりをして、桐山さんは言った。

「とにかく、目標の数字は必達よ。そうじゃないと、どうなるかわかってるわよね」

 俺の評価が下がって、給料が下がるんだよ。

 で、マネージャーであるあんたの評価も下がるってわけだ。

 カスタマーもクライアントも、自分の成長も、この際関係ない。

 つまるところ、そういうことだ。

「一ノ瀬、頼んだわよ!」

 会議室を出ていく桐山さんのごつい背中を見送って、俺は嘆息した。

 心が痛いとか、虚しさにいやになるとか、そんなことはなかった。

 入社以来、何度も経験してきたことがまた繰り返されただけだ。

 もう慣れたものだった。

 まったく。

 本当に。

 どうしようもない仕事だよ。

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