第28話 やらない後悔よりも
「うわああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ」
俺はいろいろなことを思い出し、頭を抱えた。
恥ずかしくて死ぬ。
死んでしまう。
死んだ。
「ようやく思い出したか。まったく君というやつは」
ラクスは呆れたような、少し嬉しそうな、微妙な顔をしていた。
いや、耳がひこひこしているから嬉しいんだろう。多分。
「ちょっとまて、おかしくないか」
「む。なにがだ」
「いや、お前、明らかに幼女だっただろ。あのときといまの見た目が全然合わないぞ。それに耳も尖ってなかったし」
そう。出会ったときは五、六歳くらいの見た目だったんだ。
それがどうやったらJKにまで成長するんだ。
「ああ、そんなことか」
だが、ラクスはこともなげに言った。
「エルフの寿命は100年程度なのだが、幼年期と老年期がとても短いのだ。早く成長して、遅く老いる。つまり、いまの私のような最も充実している青年期の身体の状態を長く保っている種族だ。あと、幼年期に耳は尖っていない。成長すると尖ってくる」
「なんだそりゃ」
確かに俺が知っているエルフは、ゲームや漫画やラノベのエルフであって、本物のエルフの生態なんて知るわけもないが。
「しかしソーゴ、これで晴れてなんの問題もなく結婚できるな」
言葉のとおり素晴らしく晴れやかな笑顔。
「いやいやいや、まてまて。なんでそうなる」
「だって、私との約束を思い出したのだろう」
「約束ったってな……」
あんなもの、約束のうちに入るのか?
小さな女の子の「わたし、誰々のお嫁さんになる」的なやつは、普通に考えたら入らないだろう。
「本気か?」
「むー……エルフには初恋の相手と結婚して生涯愛するという決まりがあるのだぞ。だから、あんなこと、本気じゃないと言わない」
「初恋だったのか」
「悪いか」
「悪かないけど。なんでまた」
「一目惚れなどと陳腐なことを言うつもりはないが。君は、私に、仕事を楽しむ勇気をくれたからな」
ラクスがはにかんで、それから俺を見据えてくる。
あの真っ青な瞳で。
「私は君の言葉を信じて、やってみようと思った。そんなことを思わせてくれる人は誰もいなかった。いなかったから」
紛れもない事実であるかのように、完璧に確信しているかのように、彼女は言った。
「それは、運命の人というものだ」
その言葉には、その表情には、つけ入る隙なんて一分もなくて。
「まいったな」
俺はそう言うしかなかった。
いよいよもって、俺はもう彼女から逃げられないような、そんな気さえした。
皮肉なもんだ。
俺の言葉を信じていたのは、俺なんかよりも、目の前にいるこのエルフだった。
「まったく、まいったよ」
スーツからくしゃくしゃになった煙草を取り出して、安いライターで火をつける。
別に吸いたい気分だったわけじゃないが、言葉が出てこなかった。
肺に吸い込んだ煙を、ゆっくりと吐き出す。
視界に入る白い煙の向こうに、ラクスの姿があった。
両手を腰に当てて、俺を静かに見下ろしている。
「ソーゴ……私がいまここにいるのは、君の言葉を信じたからだ。だから、もう一度、君がやりたいようにやってみればいい」
「昔の自分の言葉をまた信じられるくらいの気持ちが、俺に残ってりゃいいけどな」
俺のなかにあった仕事への情熱なんてものは、とっくの昔に錆びついて埃をかぶってる。
どうやったらそんなポンコツのエンジンが点火するのか、俺にだってわかりゃしない。
短くなった煙草を足元に捨てようとして、
「あーっ! 一ノ瀬センパイ、また煙草吸ってるじゃないですか!」
夜の公園に響いた声に視線をやる。
そこには昼間に会議室を飛び出していった後輩の姿があり、俺はぎょっとした。
「生駒……?」
「あたし、煙草吸う人はいやだって何度も言ってますよね?」
生駒はずんずんと力強い足取りでこちらに近づいてくる。
厳しい顔つきで、ぶん殴られるのではないかと思うほどだ。
指に熱さを感じたので慌てて煙草を投げ捨て、俺は目の前にやってきた彼女を見上げた。
「よくここがわかったな」
「いくら電話しても出てくれないから、どうしようかと思いました。朝倉さんに聞いたら、仕事でいやなことがあったときは、近所の公園で飲めないビールでも飲んで黄昏てるんじゃないかって」
思わず会社ケータイの着信を確認すると、生駒から異様な回数かかってきていた。
夏海のやつも余計なこと言いやがって。
しかし、なんでこいつは俺を探しているんだ。
本当にぶん殴るつもりなのか。
「一ノ瀬センパイ!」
「お、おう」
生駒の気迫に気圧されて返事をする。
すると彼女は、肩から下げているバッグからごそごそとなにかを取り出そうとした。
殴られるどころか、刺されるのかな、俺。
だが、出てきたのはナイフではなくてA4用紙の束だった。
「プロミスワークスに再提案する企画書です。あたしなりにもう一度考えてみました」
「お前……」
俺は唖然とした。
提案の中身の問題じゃない。
どう考えても勝ち目がないなかで、そんなことしても意味がない。
意味がないのに、なんでそこまでするんだよ。
突き出された企画書を、俺は手に取った。
パラパラとめくっていく。
母集団形成から内定後のフォロー、入社後の定着まで、カスタマーとクライアントのことを真摯に考えた提案が丁寧に説明されている。
そこにはうちの都合だとか、人事担当者の事情だとか、そんなことはどうでもいいと言わんばかりに、仕事を探している人と、仕事を募集している企業に、本当に必要なことが書かれている。
「一ノ瀬センパイ、あたしはガッツのある女なので、あんなことくらいではへこたれませんから。本当に自分がいいと思う仕事をしたいので」
企画書を流し読みした俺に、生駒が力強く宣言する。
「あたしは、この仕事は、誰かの人生を変えることができる仕事だと思ってますから」
まったく、聞き分けのない後輩だ。
生駒、お前もか。
そんなことを信じてるなんてな。
「それを教えてくれたのは、一ノ瀬センパイですよ」
「俺はお前を、そんなふうに教育した覚えはないけどな」
そう言う俺に、生駒は子どもっぽい顔に微苦笑を浮かべて小さく言った。
「一ノ瀬センパイのバーカ、バーカ」
そして、無理やりに俺の手を取ってベンチから引っ張り上げる。
「いいですか。一ノ瀬センパイが情熱のない社畜になってしまったというのなら、あたしがお尻を蹴っ飛ばして思い出させてあげます! 佐藤工業で一ノ瀬センパイがした仕事を、会社の誰も認めなかったとしても、あたしは尊敬してます。とっても素敵で、いい仕事で、一ノ瀬センパイはあたしの憧れですから!」
そこまでを一気にまくし立てて、生駒はぜえぜえと肩で息をした。
佐藤工業の仕事の話なんて、こいつにはしたことなかったのに。
どこで聞いたんだ。
「だから、一ノ瀬センパイ、あたしと仕事をしましょう」
俺は生駒の力強い視線を受けとめて、軽く嘆息をした。
俺の一度錆びついてしまったエンジンに火がつくのかどうかは知ったことじゃないが、目の前の後輩の背中を押してやるくらいのことは、してやるべきなんだろうな。
「生駒、どうせ提案したって結果は見えてる。勝ち目はない。それでもやりたいのか?」
「はい。あたしは、自分がいいと思った仕事をやります」
生駒は迷いなくうなずいた。
「やらない後悔よりも、やって後悔することを選びます」
そこまで言うなら仕方ない。
俺は生駒に企画書を突き返した。
「なら、こんな詰めが甘い企画書つくってくるんじゃねえよ」
「はい! 直します!」
「直しの指示に嬉しそうに返事するな。ドMかお前は」
「MでもSでも、一ノ瀬センパイの好みに合わせます」
「そういうことじゃねえよ」
やれやれ。
これから会社に戻ったとして、徹夜かなこれは。
俺は突然のことにぽかんとしていたラクスに視線をやり、軽く肩をすくめた。
「お前の言うとおり、もう一度だけやりたいようにやってみるさ」
「そうか」
彼女は俺に向かって笑い、そして半眼になった。
明らかに敵視している眼光を生駒に送っている。
「ところでソーゴ、さっきからうるさいその女は誰なのだ」
「それはこっちのセリフなんですけど」
その言葉に答えて、生駒も恐ろしくじっとりした目になった。
「一ノ瀬センパイ、このビッチな金髪女子高生とはどういうご関係なんですか。この前、お弁当持ってきてた女子高生ですよね?」
「誰がビッチだ! お前こそ卑猥な胸部をしているくせに!」
「はあ!? 卑猥ってなによ卑猥って! そっちこそスカートこれ見よがしに短いし、金髪だし、どう見てもビッチJKなんですけど!?」
「わ、私はまだ処女だ! お前みたいな清楚ぶってる女に限って、淫乱に違いない。絶対そうだ。巨乳に限って淫乱だ!」
「な、なんてことを……! 誰が淫乱よっ!? あたしだってそんなに経験――処女みたいなものです――っ!」
お互い口悪すぎだし、とんでもないことを叫ぶんじゃない。
それに生駒が泣きそうになってるじゃねえかよ。
「一ノ瀬センパイ!」
ぐりん、と生駒が視線を向けてきて、俺は怖くて一歩後ずさった。
「お、おう」
「一ノ瀬センパイはあれですか、処女信仰ですか?」
「なに? 落ち着け生駒。お前はなにを言ってるんだ?」
「もしそうなら、あたしは、ノーチャンスなので、死にます。一ノ瀬センパイを殺してあたしも死ぬううううううううううううううううううううううううううううううううううう」
「俺もかよっ!?」
「そんなことされてはいい迷惑だ。お前が一人で死ぬがいい、淫乱巨乳女め」
ラクスさん、煽りすぎだよ!
生駒のライフがゼロになっちゃうだろ!
「もう、もう、頭にきた! 謝っても許さないから、ぐぎぎ!」
「なんだ、やるか? やるのか? 相手になってやるぞ」
格ゲーの対戦前みたいになってるな。
とはいえ。このままだと髪の毛を引っ張り合って取っ組み合う、ガチのキャットファイトを見ることになりそうだ。
俺は仕方なく、空気を肺に思い切り吸い込んだ。
吐き出すと同時に叫ぶ。
「うるせえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇっっっっっっっっっっ!」
二人がいまにも飛びかかろうとしていた動きをぴたりととめる。
「お前ら、いい加減にしろ。俺は会社に戻るからな」
「あっ、ちょっと、まってくださいよ一ノ瀬センパイ!」
生駒が慌てて俺の後ろをついてくる。
「あの子、誰なんですか。説明してくださいって」
「レイヤーの従妹だ」
「絶対ウソです」
まあ、ウソだが。
本当のことを言っても信じてもらえるわけはないし、俺も社会的に死ぬ。
「ソーゴ! それでもがんばる価値がない仕事だと思うなら、すぐに辞めてしまえ」
背中からラクスに声をかけられて、俺は振り返った。
「私と私の会社なら、君にそんな思いはさせないからな」
まったく。
いい口説き文句だよ。
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