第12話 いいわけないだろう

 会議室の空気が、一瞬だけ凍りついたような気がした。

 生駒はぽかんとした間抜けな表情をしていたし、夏海は目を大きくしていた。

「な、なにがダメなんですか!」

 表情を取り戻した生駒が、俺に掴みかからんばかりの勢いで言ってくる。

 近いよ、顔が。

「いいか、今回のゴールは本質的な提案をすることじゃない。どうやって手間なくQ末の売り上げに突っ込むかって話なんだ。エージェントと組んで説明会の設計なんてやってる暇はないし、わざわざ他社のメディアの併用を提案してうちのバジェットを下げる必要もない。うちのメディア単独でいくんだよ」

「そんなこと……うちの都合じゃないですか!」

「ああ、そうだよ。うちの都合だ。うちの都合のなかで、ベストな提案をするんだよ」

「採用が成功しないとわかっていてもですかっ!?」

「わかっていてもだ」

 俺は言い切った。

 そう、わかっていてもだ。

 採用成功、結構なことじゃないか。

 けどそれは、数字を上げてからの話だ。

「俺たちは営業だよ、生駒。数字になる提案だけが、いい提案だ」

「ホントにそれでいいと思ってるんですか」

 生駒は低い声で言った。

 そうだな。


 いいわけないだろう。


 けど、仕方ない。

 それが社会人ってやつだ。

 みんなそういう「仕方ない」を、夜の居酒屋のビールで腹に流し込んで生きてるんだ。

 生駒が助けを求めるようにして夏海を見た。

 勘違いするなよ。

 夏海は別にクライアントの採用成功を考えて説明会を設計したいわけじゃない。

 単にポスターとパンフレットをつくりたいだけだ。

「一ノ瀬、じゃあせめてポスターだけつくらない? 五種類」

 案の定、エゴ丸出しの提案を言ってくる。

「つくらねえよ。そもそもKSなんて売っても数字がつかない」

 KSとは企画商品の頭文字を取った略称だ。

 うちの会社はなぜか、日本語をそのままアルファベットで省略する文化がある。

 なんにせよ、その企画商品ってのは、要は完全見積もり型の商品のことだ。

 シーガルキャリアが運営している採用メディアへの広告掲載費は固定で決まってる。だが、採用に関するそれ以外のオーダーメイドの商品――WEBサイト、動画、パンフレット、ポスターなど――も、必要とあればうちがつくる。

 その場合は、制作物ごとに見積もりだ。

 けど、KSは手間がかかる割に利益率が少ないし、そもそも営業の数字には受注額の30パーセントしかつかない。仮に100万円で受注したとしたら、営業の数字は30万円。そのうえ納期までのスパンは長い。

 営業からしてみれば、そんなもの売りたくもない。

 億プレなんて呼ばれる、大型提案やコンペになれば話は別だけどな。

「あの、そしたら一ノ瀬センパイ。動画を提案しませんか。説明会用のツールなら動画のほうが効果あると思いますし。スマホで見るのと違って拘束してるんだから、ある程度長くても見てもらえます。それにそれなりに高額な見積もりになります」

「動画ね」

 俺は腕を組んだ。

 採用マーケットでも、動画コンテンツはかなり使われるようになってきている。

 社長や先輩社員のインタビューといったベタなものから、面白おかしく事業内容を伝える興味喚起に特化したもの、仕事のやりがいや個人のエピソードを感動的なコピーに落とし込んだ動機形成用など様々だ。

 動画コンテンツは興味がなければ30秒で離脱され、長くても3分程度までしか見てもらえない。ただ、説明会という場であれば、生駒の言うとおりデメリットは払拭できる。

「えー、わたしポスターがつくりたいなあ」

 夏海はまったく譲る気はないようだった。

 いまどきポスターを会場に貼って採用メッセージを伝えるなんてことは、ナンセンスだし時代遅れもいいところだ。

 そんな俺でも知っているようなことを、仮にもクリエイティブディレクターである夏海が知らないわけがない。

 知っていて、こいつはポスターをつくりたいと言っている。

「朝倉さん、なんでそんなにポスターにこだわるんですか。なにかすごいアイデアが?」

 生駒がもっともな疑問を口にする。

 俺は夏海の代わりに答えた。

「TCCに出したいだけだ」

「あ、一ノ瀬にはやっぱりバレバレ?」

「まあな。制作らしいというか、朝倉らしいよ」

「TCCってなんですか?」

 生駒がきょとんとしていた。

 無理もない。

 東京コピーライターズクラブ(TCC)なんて、大半の人間は縁がないからな。

 知っているのは広告業界に関わっている連中だけだろう。

 国内外に広告賞ってものはかなりの数あるんだが、日本の広告業界でコピーライターになったなら、まずはTCCの新人賞を取ることを目指す。

 TCCそのものはTCC賞を取った連中の団体だから、俺から言わせてもらえば広告屋のクリエイティブ連中が集まって、内輪で広告を褒め合うっていうよくわからないものだけどな。

 まあ、広告賞なんて、どこもそんなようなものだろう。

「え? 賞に出すため?」

 俺の説明を聞いた生駒が、眉間に皺を寄せている。

 夏海は悪びれた様子もない。

「そうなの、生駒ちゃん」

「クライアントのためでも、カスタマーのためでもなく?」

「結果としてそうなればいいとは思うけど。わたしはTCC取って、はやくこんな会社出ていきたいのよね」

「はあ? なんですかそれ!」

 TCC賞は国内の広告賞では権威のある賞だ。

 と、いうか大手の総合広告代理店のクリエイティブでコピーライターをやっていきたいなら、こいつを取っていないと始まらない。

 昔、夏海は言った。

「広告賞なんてくだらないと思うけど、勲章みたいなもので取ってると便利なの。狭い業界だからね、仕事がやりやすくなる」

 夏海はもともと代理店のクリエイティブ志望だ。

 だが、代理店に新卒で入社していきなりクリエイティブに配属されるのは、デザイナーとして採用された美大卒の選ばれた連中くらいだ。普通は営業から始まって、数年後に転局試験というやつを受けて異動する。それも合格するとは限らない。

 だから夏海は、あえてシーガルキャリアで求人広告のクリエイティブを選んだ。

 かつて紙媒体が全盛だったころ、うちの会社――といっても、まだホールディングス化する前の話だが――のクリエイティブは業界で強烈な存在感を持っていたらしい。

 らしいってのは、俺が入社したときには紙媒体は全部廃刊してたからな。

 業界というのも、人材業界のことじゃない。

 広告業界の話だ。

 新聞、雑誌、テレビ、ラジオ――かつて広告と言えばそんなマス媒体で競うクリエイティブだった。そんななかで、求人媒体にもそこに負けないくらいのクリエイティブがあるのだと、当時の先輩たちは躍起になって発信した。

『アットホームな職場です。』とか、『未経験からでも年収1000万円以上。』みたいな広告で採用が成功すればいいだけだった求人屋が、表現という広告屋の土俵に乗り込んだ。

 そして。

 それこそTCC新人賞に、シーガルの小さな求人広告がいくつも選ばれた。

 シーガルのクリエイティブは新卒からでも配属されて、一年目から自社媒体でばんばん原稿をつくる。そうして若手のうちにTCC新人賞を取って、シーガルから代理店のクリエイティブに転職する。

 一昔前には、そんなルートができ上がっていた時代もあったらしい。

 だが、紙媒体がなくなったいまでは、出品するのにも一苦労している。

 WEBメディアはアドバタイジングじゃなくて、エディトリアルという扱いだからな。昔からある広告賞には馴染まないし、出品できない。

 そういう意味では、夏海は生まれるのが遅すぎた。

「わたしもそろそろ潮時っていうか、ここじゃろくな仕事しかなくなるのは目に見えてるの。自社媒体は全部WEBメディアだし、最近はHRテックなんて言ってるしね。これからはもっとデータドリブンな企画設計やクリエイティブになるから、わたしだけじゃなくて制作そのものがいらなくなるかもね」

「だから転職のために賞を取りたいってことですか?」

「そうね」

 こいつは入社以来、社内外の広告賞を取りまくり、最年少でクリエイティブディレクターになった。それでもTCCだけは取れない。

 実力は申し分ないが、極端なクリエイティブ志向はいまの会社の方針とは合わないから、営業からも制作からも扱いづらいやつだと認識されている。

「そんなこと……朝倉さんの都合じゃないですか!」

「そう、わたしの都合」

「ホントにそれでいいと思ってるんですか」

 生駒は低い声で言った。

 皮肉なことに、俺と同じことを朝倉も言われている。

 そうだな。


 いいわけないだろう。


 けど、これが現実だ。

 営業は売上のことしか考えないし、制作は賞のことしか考えない。

 それが本音だ。

 生駒、お前だっていやになるはずだ。

 こんな業界で長くやってたらな。

 カスタマーもクライアントも不在のなかで、どうすれば自分自身に最大限のメリットがあるのかを考える。

 そんな打ち合わせからなにかいい結果が生まれるわけはなかったし、落としどころをどうするのかはフロントに立つ営業の仕事だ。

 だから、俺は言った。

「生駒、先方にアポを取れ」

「え?」

「ここでうだうだ言っても仕方ない。地均しにいくぞ。そこで説明会を手弁当でやってくれないってんなら、うちがやるしかないだろ」

「一ノ瀬センパイ……!」

 生駒がきらきらした目で俺を見てくる。

 やめてくれ。

 別にお前が言う本質的な提案に目覚めたわけじゃない。

「朝倉、それでこっちで説明会を請け負うなら仕方ない。ポスターつくれ。その代わり、そのときはプログラムの設計はそっちで持ってくれ」

「らじゃー」

 夏海が「にへっ」と笑って敬礼をする。

 これで説明会の設計をやることになっても、企画設計費は受注して営業の負担は減る。

「あとG5のカンプ」

「それ本番の提案のときでいいよね?」

「ああ、それでいい。提案としては職種ごとに原稿を走らせることになるだろうから、全体をまとめるコンセプトも用意してくれ」

 G5というのは五段階あるガルナビNEXTの掲載枠で、一番大きいサイズだ。

 G1からG4まではCMSに近い原稿制作システムによるテキストベースの原稿になるが、G5はフリーデザインのコンテンツがついてくる。

 一原稿あたり150万円。

 あこぎな商売だよな。

 タイミングを見計らったように、会議室のドアがノックされた。

 次の予約が入っていたらしい。

 俺は立ち上がり、二人に言った。

「よし、朝倉頼んだ。生駒は地均しに持っていく企画書用意しろ」

 それで打ち合わせは終わる。

 まったくもって、いつもどおりの不毛な打ち合わせだ。

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