3.彼の提案、彼女の提案
第13話 逆玉というやつだな
俺の感覚からして、二三時から始まる経済ニュース番組に間に合う時間帯に帰宅できれば、まずまず早い時間だと言えるだろう。
働き方改革なんて、どこの世界の住人が言っていることなんだろうか。
俺が抱えている仕事は生駒の案件だけじゃないからな。
クライアントから提案している新卒採用の企画内容に「弊社への理解がまったくない」というクレームを入れられたり、規定ミスのある原稿をつくった制作にクレームを入れたり、接待のための店を予約したり、まあいろいろだ。
「パワポとpdfは世界から滅べばいい」
俺は社会人になってから何度目かわからない怨嗟の声をもらした。
パワーポイントのせいで企画書のページ数は膨大になったうえにデザイン性が求められるようになり、ファイルをpdfにしてメールで送信すれば、いつでもどこでもクライアントは確認できるようになった。
結果、フィードバックの回数は増え、営業も制作も疲弊している。
ひょっとしたらクライアントの人事担当者もそうかもしれない。
まったく。
固定電話とFAXだけだった時代の先輩たちは、もう少し楽だったのかね。
そんなこと言ったら、普通に怒られそうだが。
いまよりは景気がよかったことは確かだろう。
競合の力は弱かったし、シーガルが切り拓いた人材業界における求人雑誌というマーケットはブルーオーシャンだった。
それが戦いの土俵がネットに変わったことで、参入障壁の低さから一気にレッドオーシャンと化した。次々と競合が台頭し、いまやシーガルキャリアはシェアを削られ、値引き合戦から利益を失い続けている。
「お帰り、ソーゴ」
マンションの自室に帰ると、当たり前のようにエルフがいた。
飼い主が戻ってきた犬みたいに、尖った耳をひこひこ動かしている。
「お前なあ」
俺は嘆息するしかなかった。
まったく帰る気はなそうだ。
これはもう力づくで追い出したほうがいいかもしれないが、暴力に訴えるのもどうかとは思っている。なんとか説得できないものかな。
俺はネクタイを緩めると、スーツの上着を脱いでソファに放り投げた。
ラクスはリビングのローテーブルで、ノートPCと向き合っていた。
相変わらずのスカートが短い制服姿。
頼むからその格好で俺の部屋に出入りするのはやめてくれ。
「少し忙しくて、夕食をつくれていないのだ」
「いや。つくらんでいい」
彼女はカロリーメイトのチョコレート味をむしゃむしゃ食べていた。
「そうか? 私は結構尽くすタイプだぞ」
「聞いてねえ。なにやってる?」
「プレゼン用の資料をつくっている」
「ノートPCでか? スマホといい、こっちの世界に順応しすぎだろ」
「子供のころから父親のビジネスに同行して何度もきているからな。一番多いのはアメリカだが、二ホンにだって何度もきているぞ」
こいつはどうやってこっちの世界の会社と取引をしているのだろうか。
三代目と言っていたし、取引スキームはできあがっているのかもしれない。
ペーパーカンパニーをこっちに設立して、そこと取引して実際には異世界に持って帰るとか。そういうスキームだ。
そもそも異世界貿易商社という業態自体、ラクスの会社だけとは限らない。
この世界は知らないうちに、あるいは知っていて、昔から異世界の人間と商売をしてきたのかも知れない。
もしかしたら、こっちの世界から異世界にいったやつもいるかもな。
俺がそんなどうでもいいことを考えていると、カロリーメイトを飲み込んだラクスが言った。
「ニホンはビジネスではなく旅行でくることが多かったな。父親がキョート好きだったのだ。あと、オーサカは食べ物がおいしいから好きだ」
「言ってることが、普通の外国人観光客だな」
「世界間移動のプログラムが実装されている精霊宝石を手に入れれば、それくらい気軽に行き来できるということだ」
「なら、たこ焼き屋に並んでる連中のなかに、エルフもいるってのか?」
「たこ焼きは大好きだぞ!」
目をきらきらと輝かせて、ラクスが身を乗り出してくる。
「外はかりっとしつつ、なかはふわっと仕上がっている、オーサカのたこ焼きは最高だ! ソースと青のりとかつお節でシンプルに食べるのがいいと思う!」
「お、おう」
こいつには日本食にはまった外国人と同じような熱意を感じる。
たこ焼きとなにがあったんだろうか。
自分が取り乱したことに気づいたのか、ラクスはバツが悪そうにもとの位置に戻った。
「とにかく、たこ焼きはいいものだ」
大阪で働いているけど俺は大阪人じゃないから、たこ焼きにそこまでの思い入れはないんだが。ただ、こっちにきてから、東京のたこ焼きはくそまずいということは理解しているつもりだ。
「まさかエルフから大阪のたこ焼きのよさを聞くとは思わなかったな」
いますぐに世界中のファンタジー作品をつくっているやつらに教えてやりたい。
本物のエルフはたこ焼きが好きだってことを。
俺はそんな思いに駆られて笑うしかなかった。
資料づくりを再開するラクスを横目に、冷蔵庫を開ける。
水とウーロン茶のペットボトルしか入っていなかったはずの冷蔵庫には、食材がきちんと整理されて並んでいた。
「…………」
食事をつくるためにラクスが買ったのだろう。
急激に生活感が出てきた冷蔵庫に、俺は戸惑いを感じるしかなかった。
コップに水を入れてリビングに戻ると、ラクスが満足げにうなずいていた。
「よし、こんなものだろう」
資料が完成したらしい。
俺は興味本位でなんとなく聞いた。
「どういうプレゼンだ?」
「うむ。こういう企画書だ」
ラクスは自信満々に、ノートPCの画面を俺に向けた。
企画書の一ページ目。
タイトルはこうだ。
【ラクシュリア・ユーキリスとの結婚のご提案】
俺は口に含んでいた水を噴き出した。
ラクスがいやな顔をする。
いやな顔をしたいのは俺のほうだ。
「まてまて、なんだその資料は」
「ここにあるとおり、ソーゴが私と結婚するとこんなにいいことがあるぞ、というプレゼンをするための資料だ」
「そんなものをコツコツとパワポでつくるな」
「私との約束を思い出さないのであれば、改めてメリットを伝えて私のことを……好きになってもらうしかないだろう」
少し照れたような表情で言うセリフにしては、なにかが違うような気もする。
そういうことは、企画書で提案することじゃない。
「さあ、座るのだ」
ラクスがばんばんと床を叩くので、俺は仕方なく彼女と向き合って座った。
ノートPCに表示されている企画書が、次のページにいく。
ラクスのバストアップの画像が貼りつけられ、プロフィールらしきデータがあった。
「まずは、私自身のことを説明しておこう」
名前、出身地、種族といった基本的なデータから、身長、体重、スリーサイズに至るまで記されている。
今朝がたにTシャツを脱いだときにも思ったけど、こいつ意外と――
「胸あるな、お前」
「そ、そうだな。エルフにしてはあるほうだぞ」
なぜかラクスは誇らしげだった。
俺が知っている日本の伝統的なエルフは、貧乳だと相場が決まっているんだが。まあ、最近はそうでもないけど。こいつの世界でもそうだったりするんだろうか。
「胸が大きいほうが好きなのなら、その期待には応えられると思う」
そう言って、わざとらしく胸を寄せて上げてくる。
制服の白いブラウス越しに、下着が透けて見える。
やっているラクス本人もすごく恥ずかしそうだ。
「ど、どうだ?」
「どうもこうもあるか。恥ずかしいならするな」
「むー……もっとこう、反応してほしい」
「わかったわかった。先を言え」
俺の対応に不満げな顔になりながらも、ラクスは言った。
「やはり、私のプロフィールで注目すべきは血統だろう。父方であるユーキリスは古くは王室にまでつながる血統で、民間に出たとはいえ王家の紋章を使うことを許されている由緒ある家柄だ。私の祖父の代より貿易事業をはじめ、戦時中の東西大陸間に自社物流網を構築して財を成した。さらに母のイリアスが連なる系譜であるアイ=ディー公は、領地こそ広くはないが港湾都市による貿易によって莫大な富を持つ経済貴族として王国の政治にも強い影響力を――」
「まてまて、全然わからん。つまり、どういうことだ」
俺の言葉に、ラクスはぴたりと言葉をとめた。
「そんな血統がどうとか言われても、まったくピンとこない」
「せっかく私がわかりやすく説明してやっているのに」
「いや、全然わかりやすくねえよ」
「そうだな……ものすごくわかりやすく言えば」
ラクスは顎に手をやって小首を傾げ、端的に言ってきた。
「逆玉というやつだな」
なるほど。
よくわかったわ。
「お嬢様だったのか」
「そんな大層なものではない。爵位を持っているわけではないからな」
ラクスの言葉には謙遜と同時に、爵位をバカにしているようなニュアンスも感じられた。
ソフィア王国とやらがどういった社会なのかはわからないが、恐らくはそういった身分制度が有名無実化しているのだろう。
「なんにせよ。そんな素晴らしい物件こそ、この私なのだ」
「物件て……」
「もちろん、これは私自身のハード面のスペックであって、そういう血統や家柄を目当てに結婚してもうまくはいかないだろう。性格面は結婚生活ではとても大切な部分だ」
「はあ」
企画書は次のページに。
離婚理由の統計データが記載されており、男女ともに「性格の不一致」が一位に輝いている。
「まず、バリキャリである私に対する君の懸念点もあるだろう」
さらに次のページへ。
【ラクスに対する懸念点】
・いつも深夜まで働いていて二人の時間が持てない
・仕事ばかりで家事などをしない
・仕事の愚痴ばかり言われる
・すぐに「成長」とか「キャリア」を考えろと言われる
・子ども欲しくない
などといった、彼女が自分自身に対して懸念されると想定している事項が並ぶ。
あれ、なんだろう。
ガル女かな。
俺はむしろうちの会社で働いている女子たちを思い浮かべた。
「だが、実は違う」
さらに次のページへ。
大きな文字で、たった一言だけ書いてある。
【ラクスは尽くすタイプです】
「……なるほど」
「私と結婚すれば、具体的には次のようなベネフィットを提供できると思う」
さらに次のページへ。
【ラクスが結婚生活で提供できるベネフィット(例)】
・毎朝、優しく起こす
・食事はできるだけ手料理
・家事全般もお任せ(できれば分担してくれるととても嬉しい)
・毎日いってらっしゃいのチューする
・一緒にお風呂入ることも可
・裸エプロンも可
「おい、なんか後半怪しくないか?」
俺は思わず突っ込んだ。
「新婚生活では必要不可欠なものだと理解している」
「そうか……そうか?」
「違うのか? 私の認識では評価される新妻は、大体これらの要素を満たしている」
「違う……んじゃねえかな?」
あまりにも自信満々の態度に納得しかけたが、絶対に違うぞ。
どこから得た知識だ。
「裸エプロンとかホントにする気なのか?」
「君が望めば、もちろんするぞ。なんなら、いますぐにでも!」
「まてまて!」
立ち上がろうとするラクスを引き留める。
裸エプロンの金髪エルフJKがパワポでプレゼンするとかいう、カオスな状況になっちまう。
「とりあえず、座れ。先を聞くから」
「む。ではそうしよう。まあ、このように私は君に対していろいろなベネフィットを提供できるわけなのだ。だが、もちろんこれだけではない」
ラクスはわざとらしくせき払いした。
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