第14話 もちろん私は処女だ

「新婚生活に必要な不可欠なものと言えば、その……夜の営みということになるわけだが」

「そこを切り分けるなよ」

「大切なことだろう!」

 気迫の込められた声に、俺はたじろいだ。

 ひょっとして。

 そういう知識だけはあって興味もあるけど、経験が全然ない女子高で育ちましたみたいなパターンか?

 お嬢様っぽいしな……

 俺がそんなことを考えていると、企画書が次のページへ進む。

 再び大きな文字でたった一行。


【ラクスは処女です】


「エルフは生涯で一人の異性しか愛さないので、もちろん私は処女だ」

 一瞬、なにを言ってるんだこいつはと思ったが、まあそういうことなんだろう。

 経験が少ないとかではなく、本当に未経験だったとは。

 俺は別に処女信仰なんてこれっぽっちもないんだけどな。

 面と向かって女の子から処女を告白されたとき、男はなんて言うのが正解なんだ?

 企画書が進む。


【ラクスが処女であることで提供できるベネフィット(例)】

・初めての相手になれる(優しくしてくれるととても嬉しい)

・経験がないのであなた色に

・最初はぎこちないけどそこも楽しめる

・若いので子どもをつくりやすい


「ど、どうだろう……?」

 ラクスは上目遣いになり、俺を見た。

「なにか質問はあるだろうか?」

「質問なあ……」

「ないのであれば、納得してもらったということで。以上の観点から」

 企画書が最後のページになる。


【ラクスはいいお嫁さんになれる】


 という結論が書かれていた。

「…………」

「…………」

 俺はラクスと見つめ合った。

 なにかをすごく期待しているのか、無言のまま尖った耳がひこひこしている。

 俺が最初に思ったのは、「マジでエルフいい嫁だわー」みたいなことじゃない。

 なんでこいつはここまでやるんだろう、ということだった。

 俺に覚えはないが、仮に五年前に結婚の約束をしていたとしても、少なくともそこから一度も会っていない。

 それこそ小さな子どもが学校の先生なんかに「将来お嫁さんになる」なんて無邪気な話をしたとして、何年もあとになって本気で結婚を迫ってくるなんてことはないはずだ。

 けど。

 こいつは本気だ。

「なんで俺なんだ」

 俺は思わず言った。

 わからない。

 約束したから?

 そんなことだけで、日本くんだりまでやってくるか?

 彼女は、異世界のエルフなんだぞ。

「私が君のことを好きになったから」

 ラクスは少し寂しそうに笑った。

「でも、ソーゴは忘れてしまったんだものな」

 その声は落ち着いたトーンで、そのくせに俺の頭のなかにひどく響いた。

 ウソなんてついていないことは、表情や声ですぐにわかる。

 だから、俺は小さな罪悪感に襲われる。

 向けられた好意に対して、応えるにしろ、断るにしろ。

 俺はそれを決められるだけのなにかを、彼女の言葉を借りるなら忘れてしまっているんだからな。

「…………」

 俺はなにを言えばいいのかわからずに、そのままラクスを見つめていた。

 とはいえ。

 さすがにJKはない。

 異世界のエルフかもしれないが、そういうことに関係なく。

 まっとうな社会人の男として。

「まったく。仕方のないやつだ、君は」

 怒っているような、呆れているような、どちらとも取れる嘆息をラクスがもらす。

 そして、おもむろに距離を詰めてきた。

 俺は反射的に離れようとして、左腕を掴まれる。

「今朝は動揺してしまったが――」

 ラクスは息を呑み、濡れた瞳で俺を見た。

「――覚悟は、できているぞ」

 俺の腕を掴んでいる細い指に力が込められるのがわかった。

 彼女の手のから、体温が伝わってくる。

「私を、君の、嫁にしてくれ」

「お前な――」

 今朝のように適当にあしらうことができない、そういう雰囲気があった。

 なんというか。

 少しでもラクスの言葉に流されてしまうと、もうどうでもよくなってしまいそうな、そんな気がする。

 それくらい、彼女の言葉は真剣だった。

 ラクスは掴んだ手を放さない。

「がんばるから!」

「いや、なにをだよ……」

「なんか、その、いろいろ――」

 言ってみたはいいが、自分でも答えがないらしい。

 ラクスは目をぐるぐるさせながら、さらに俺との距離を詰めてきた。

 彼女にのしかかられる。

 柔らかい肌の感触や体温が、薄いシャツ越しに伝わる。

「がんばるから」

 耳元で囁く声。

 緊張からか少し硬く、震えている。

 だから俺は、空いている右手をラクスの肩にやり、ゆっくりと身体を離した。

 俺が拒絶したことに、ラクスは落胆の色を隠さない。

「がんばらなくていい」

「いやだ。がんばる」

 ぶんぶんと頭を振る。

 尖った耳は、彼女の気持ちを代弁するかのように下がっている。

「なんですぐに迫ってくるんだ。前にも言ったけどな、もう少し自分を大切にしろ」

「エルフの世界には、身体を一度重ねた者同士は、生涯離れてはいけないという掟があるのだ……! かつてはこの掟を破った者は、首を刎ねられたものだ」

「怖すぎるわ!」

「安心しろ。かなり昔の話だ。いまでも老人たちはあれこれ言う者もいるが、私の家はそこまで厳しくはない」

 ラクスは鼻息を荒くした。

 本当かどうか確かめる術は俺にはないが。

「とにかく、そういうのは、勘弁してくれ。なんというか、困る」

「ソーゴがそこまで拒否するということは。私には、魅力がないだろうか……?」

 自信なさ気に、こちらをうかがう。

 むちゃくちゃ可愛いよ。

 そこいらを歩いている、同年代のJKなんて目じゃないくらいにはな。

 だから、困ってるんだろうが。

 俺は息をはいた。

 本当に困ったもんだよ。

 俺はこの押しかけてきたエルフに、ちょっとばかり情がわいている。

 まとわりついてくる子猫を、仕方なくペット禁止の家に上げてやったみたいに。

 人ってのは、自分に好意を向けてくる相手を無下にはできない。

 猫だろうが、エルフだろうが。

 だから、しょげているラクスを極力傷つけないように、俺は言った。

「いや、お前は、その、可愛いよ。けど、あれだ、まだ子どもじゃないか」

「私は子どもじゃないぞ」

「子どもはみんなそう言うんだ」

「むーっ!」

 ラクスが唇を尖らせて抗議の意志を伝えてくる。

 だが、なにかを思いついたように表情を明るくする。

 電球が頭上で点灯したみたいだ。

「だったら」

 彼女は言った。

 小首を傾げながら。

「私と一緒に、寝て?」

「は?」

「ソーゴ、君は子どもである私となら、一緒に寝てもなにもしないはずだ。そうだろう?」

 ディベート相手を論破したかのようなドヤ顔だ。

 ああ、そうかもな。

 まったく完璧な論理だ。

「勘弁してくれ」

 俺のうめき声は、降伏して両手を上げる兵隊のそれに似ていた。

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