第8話 仕事に情熱のない社畜のくせに
うちの会社には営業部とは別に制作部という部署がある。
シーガルキャリアのビジネスモデルは、主には自社で運営している採用メディアに求人広告を出稿してもらう掲載料で成り立っている。
で、その求人広告すらも社内で制作している。
いまでこそネットメディアに移行したが、もともとは独自流通の週刊求人雑誌から始まったビジネスだ。広告掲載料と制作料を一社で独占することによって、高い利益率を出していた。
単純に言えば、出版社と広告代理店の機能を集約したみたいなものだ。
そのクリエイティブを担っているのが制作部。
U7には関西HR制作部という部署があり、営業部の各グループに対応するかたちで総合制作課、新卒制作課、中途制作課となっている。
制作部には広告全体のクオリティをコントロールしながら制作チームをまとめるクリエイティブディレクター(CD)をはじめ、コピーライター、グラフィックデザイナー、WEBデザイナーといった連中がいる。
俺が電話をかけた相手である朝倉夏海は、シーガルキャリア関西HR制作部総合制作課のクリエイティブディレクターだ。
「朝倉」
フロアの隅っこにある喫煙室に一人でいた彼女の背中に、俺は声をかけた。
古びた空気清浄機が音を立てている室内は、煙草の煙が漂っている。
俺は窓から外の景色を眺めている彼女に肩を並べた。
「ちょっと相談したいことがある」
「一ノ瀬がわたしに相談なんて珍しいじゃない」
そう言った彼女は、短くなったセブンスターを据付の灰皿に投げ捨てた。
気怠るそうな吐息をもらし、わずかにほほ笑む。
「復縁の話だったりして?」
「まさか。もう懲りた」
窓ガラスに映っている俺の顔は、なんとも言えないものだった。
くそ苦いコーヒーでも飲んだ、そんな感じだ。
朝倉夏海はクリエイティブディレクターであり、俺の同期であり、俺の元カノだった。
「だよね。わたしももう懲りた」
夏海は文字にするなら、「にひっ」という感じの表情になった。
ショートカットのクールで知的な眼鏡美人。
彼女を簡単に説明するなら、そんな感じだ。
ジーンズに白いシャツという色気もなにもない格好はいつものことで、社員証を首から提げていなければ社会人にはとても見えない。
「でもさ。二人とも六〇歳くらいになっても独身だったら、結婚して老後の面倒をお互いに見ようね」
「考えとくよ」
俺は夏海の話を適当に流した。
元カノが同じ職場にいるってのは普通は気まずいのかもしれないが、俺たちの場合はちょっとばかり事情が違う。
なにせ俺と夏海は、小・中・高と同じ学校に通っていた近所の幼馴染で、いままで三回付き合って三回別れてる腐れ縁だ。
中学と高校のときに一回ずつ付き合って、別の大学にいって疎遠になったと思ったら、就職したら同期として再会した。それでまた付き合って、それでもってまた別れた。
そもそも親同士も知り合いで家族ぐるみの付き合いだったから、なんかもう親戚みたいな感じになってる。
そういうのがよくないんだろうな。
お互いに「こいつでもいいかなあ」みたいな感じで付き合って、「やっぱりもっといい人いるなあ」と思って別れて、新しい恋愛がうまくいかないと戻ってくる。
俺と夏海の関係は、就活で言えば第二志望の企業に似ている。
だから、第一志望に落ちたらそこにいく。
就活と違うのは、それを何度でも繰り返せるってところだ。
とはいえ。
そんな妙な関係性を説明するのは面倒なので、同僚の間では入社してから付き合って別れたカップルという扱いになっている。
職場では「朝倉」「一ノ瀬」とお互いに呼んでいるのも、変な気を遣われるのがいやだからだ。
夏海は新しいセブンスターに火をつけて、
「いい出会いもないしね。本当にそうなりそうで怖いわ」
「お前が選り好みしすぎなんだよ」
「そうかしら。世の中の男って大概しょうもないよ? 女子大とか出て、事務職やってますみたいな女子が結局は好きなのよね。シーガルでクリエイティブやってますって女子なんて、合コンでそれ言っただけでドン引きだから」
「ガル女もてない説か」
「説じゃなくて、もてない。証明された」
夏海は断言すると、力なく煙をはいた。
シーガルキャリアを含めてシーガルグループで働く女性社員は、『ガル女』という通称で呼ばれている。誰が言い出したかは知らないが。
そのイメージは決していいものではなく、バリバリの仕事人間で、そこいらの男よりも馬力があり、結婚退職なんて絶対にしない――という、いわゆるバリキャリ女子の典型だと思われている。
まあ、決して間違ってはいないところもあるけどな。
出産して三週間で職場復帰したりとか、時短勤務で帰宅したけど子供が寝た午前四時にメールがきたりとか、あるけどな。
「合コンじゃなくてマッチングアプリとかあるだろ。確かうちのグループでもリリースしてなかったか」
「あー、なんだっけ。あったね」
シーガルグループにはブライダル事業を担当している事業会社があって、テレビCMもバンバン打っている有名な結婚情報誌と結婚情報サイトを展開している。
そこが確か、マッチングサービスを始めたはずだ。
「一ノ瀬は使った?」
「いや」
「あれさ、社内の人間がヤリモクでうようよいていやなのよね」
「使ったのかよ」
「後輩がね。そっちはどう? 新しいカノジョができたら紹介してよ」
「お前は俺の親か。出会いなんて――」
ねえよ、と言いかけて自称エルフのことを思い出す。
――深夜に異世界からエルフが訪ねてきて、結婚を迫られてる。
なんてことを元カノに言えるわけがない。
頭がおかしくなったと思われるわ。
だが、夏海は目ざとく反応した。
「あ、なにかあったって顔してるね」
そりゃあったよ。
お前が想像もできないことがな!
「いや、なんにも」
「怪しいな。生駒ちゃん?」
「なんでそこで生駒が出てくる」
「だって、あの子、どう考えてもそうだと思うけど」
「社内恋愛なんてするもんじゃねえよ」
俺はスーツの内ポケットからメビウスを取り出して火をつけた。
そして、言ってやる。
「エルフだよ」
「エルフ……?」
「深夜に異世界からエルフが訪ねてきて、結婚を迫られてる」
「ほほう。なるほど」
「って、言ったら信じるか?」
「それなんてエロゲ?」
「だよな。ってか、なんでエロゲ前提にする?」
「それはほら。エロゲの発売日を優先してデートをキャンセルされた、哀れな女子高生が過去にいたからですけど?」
こいつ、とんでもない話を持ち出してきやがった。
ああ、そうだよ。
そういうこともあったよな。
「だから、あれは、部活の先輩に買いにいかされただけだ」
「でも、そのあと借りてたじゃない」
「……そうだな」
俺は過去の傷をえぐられることに抵抗しないことにした。
「それにしても、エルフって。女子高生って言われるほうがまだ信じるわ。エンコーしてる社会人通報しました」
いや、夏海。
エルフはJKでもあるんだよ。
てか、通報するんじゃねえよ。
元カレの人間性を信じろや。
「まあ、忘れてくれ」
俺は短くなったメビウスを灰皿に投げ捨て、それだけを言った。
言ったところで信じもらえないことはわかっていたし、親身に相談に乗られてもそれはそれで困る。本気で通院を勧められそうで。
「で、仕事の話なんだけどな」
「面白そうな案件?」
「いや、Q末にどうにか突っ込みたい案件だよ」
「くっだらないね。相変わらず」
夏海はそう言って外の景色へと顔を向けた。
俺もつられて視線をやる。
U7は高層ビルというわけではないが、東京に比べて背が低い建物が多い梅田の街がよく見えた。もうすぐビアガーデンの季節になる阪神百貨店の屋上、その奥には改装されたJR大阪駅の駅ビルがある。目を移せば円柱形の奇妙なかたちをした大阪マルビルがあり――それはもう喫煙室から見えるお馴染みの景色だった。
「ああ、くだらねえよ。けど、それが営業の仕事だしな」
「それはそうなんだろうけどさ」
「それなりのボリュームを提案するつもりだから、受注すればある程度の長丁場になるはずだ。ただ、さっきも言ったけどQ末に突っ込みたいから、提案はほとんど一発勝負。地均しの時間はない」
「それでクリエイティブの案も一緒に持っていきたいわけね。この時期だし中途よね?」
「ああ」
「中途かー」
夏海は煙草の煙と一緒に、気怠い声をもらした。
「中途はあんまりやりたくないなあ。メディアの縛りが強くてさ。提案の自由度がないんだよね」
「どうせ暇だろ。頼む」
俺は両手を合わせて夏海を拝んだ。
「暇というのは失礼ね。まあ、いいけどさ。一ノ瀬に貸しつくっておいてあげるわ」
「助かる。誰が動かせる?」
「急な話だし、そんなに手は空いてないって。コピーはわたしが書くわ。デザイナーが必要なら、社内でちょっと誰か当たってみるけどさ」
夏海は煙草の灰を落として、ぼやくように言った。
「それで、打ち合わせはどうする? 時間とか決めておく?」
「ああ。急で悪いんだけど、もう決まってる」
俺は腕時計で時間を確認しながら、生駒のことを言った。
一三時までにはまだ時間がある。
「噂をすれば生駒ちゃんの案件だったか。あの子、二年目にしては仕事できるって評判だけど? わたしも何回かやったことあるわ」
「俺がメンターだったんだからな、当然だ」
「なにそれ。仕事に情熱のない社畜のくせに」
夏海の言葉は実に的を射ているので、俺は肩をすくめるだけだった。
ああ、そうだとも。
俺は社畜だけど、仕事に夢も希望も情熱も理想も持ってない。
そんな、日本のどこにでもいるサラリーマンだ。
夏海はなにか言いたそうだったが、俺はスマホに着信があったのでそっちを優先させた。
喫煙室を出て、着信に出る。
『おつかれさまです。一階受付です』
相手は出社の際に挨拶した受付のお姉さんだった。
フリーアドレスになって固定電話もなくなったので、来客の連絡などは会社から支給されているスマホ――通称・会社ケータイ――にかかってくる。
とはいえ。
「おつかれさまです。一ノ瀬です」
来客の予定なんてなかったはずだ。
だが、受付のお姉さんは朗らかな声で言ってくる。
『一ノ瀬さんにお客様がお見えですよ。ラビットストリームの――』
俺は受付のお姉さんの言葉を最後まで聞くことなく、エレベーターに飛び乗った。
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